第二十七話 水底の呼吸 〜深淵への接続〜
ジョナサン・ジョースターに敬意を表して
2026年4月23日1字誤記(午前9時を回った→午前10時を回った)1字削除2字追加、1字誤記(8時半には→9時半には)1字修正、1字誤記(9時近くになって→10時近くになって) 1字削除2字追加しました。
すみません。ぼうっとしてました。
このエリシオン・ラボと呼ばれる施設内では、食堂はもちろん、基本的に被検体の動線内において『時計』というものは一切設置されていない。つまり被検体には正確な時間を知らせることもないし、彼ら自身知る由もないのだ。
研究員たちスタッフがたまに腕時計をしていることはある。だが基本的には白衣の袖に隠れるように装着するようなケースが多い。自然と被検体への情報を極力与えないようにする、という方針がそうさせるのであろう。エリシオンでは、まるで流行りであるかのように、不思議と懐中時計のようなものを使う者が多い。音を大きく鳴らさずに振動によって設定した時間を知らせる機能があるらしく、秒刻みで仕事に従事する者として重宝しているようだった。形状としてはストップウォッチのような感じである。実は、これはエリシオン独自の支給品のひとつである。腕時計による時間確認に執着がない限りは、支給品を使用する方が効率が良いので、結果的には腕時計派が少ないのである。
またカレンダーも特に置いてあるような場所は見受けられない。これもまた懐中時計型の支給品によるデジタル表示で日にちや曜日を確認できるため、そして被検体への情報を遮断するための措置と言える。
更にこの支給品にはもうひとつの特長がある。それは施設の敷地内限定にはなるが、連絡手段として使用できることである。彼らが「無線」と呼ぶものは一般的に流通しているトランシーバーのようなものではなく、この支給品のことを指している。
この様子は、さながら携帯電話普及が浸透したあとの我々の日常に近いものがある。
だが、被検体にとってはテレビもラジオもなく、雑誌等の情報も遮断されたこの世界は、本来享受できるはずの文化が後退した世界と言えよう。
この状況は、刑務所のそれに酷似していると言っていい。ただし大きく異なるのはチャイム等のお知らせが一切ないことである。刑務所であれば大抵は起床時間、就寝時間を知らせるチャイムが鳴り響くことで時間を知る指標を掴むことも可能かもしれないが、ここではそれすらない。つまりエリシオンでは基本的に全くと言っていいほど日時を知る術がないのだ。
代わりに被検体は刑務官による常時監視や刑務作業への従事もなければ、炊事や洗濯も自分で行うことがない。就寝時間も特に定めはなく、消灯を強いられることなく、その気になれば夜通し明かりをつけて過ごすことも咎めはない。
朝夕の食事は居住エリアで配膳され、昼食だけは食堂で行う。それも監視ありきのときはタイミングが合わなければ、ほかの者と顔を合わせることもなく、1日が終了というのもざらではなかった。
監視を緩めた施設内の自由な行き来を許されてちょうど20日余りとなる。途中の鹿島の事件による再制限はあったものの、訓練等のプログラム実施で束縛されない限りは食堂で昨日のように歓談することも可能であり、少年たちにとって不自由を大きく感じることはない。
だが日時が把握できないということは、いくら自由とは言え、集合時間の約束もできないということである。
こうした状況下で野生児さながらの超動物的勘と執念で、日付を言い当てた大田は驚異的である。実際彼の推測は当たっていたのだから。
そして、レベル3の食堂に圓崎たち13人は集結していた。今はちょうど午前10時を回ったくらいである。ちょうど上では白鳥所長の演説が始まったころである。
最後にここに到着したのはオサムたち4人であった。ほかの9人は昨日の話でいよいよ噂の悪魔のところへ出発となる今日を楽しみにしていたらしく浮き足立っていると言える。ところが反してオサムたち4人は、到着時点からずっと暗い表情のままである。9人はスタッフたちが会合に行くというので、彼らと同じく居住エリアを出て、食堂には9時半にはもう皆揃ってオサムたちを待っていたのだ。逆にオサムたちは香澄たちが出て行った後も暫く4人で話をしていたらしく、10時近くになっての登場であった。
小前がはしゃぎながら楽しそうに疑問を投げかける。
「ビンガっち、遅えなあ。時計ねえし、時間とか決めてるわけじゃねえから、ひょっとしてもっと遅くに来んのか?」
これを聞いて4人は何故か更に暗い表情になる。
気になっていた香野が訊ねる。
「エダ。ひょっとしてお前ら何か遅れてる理由知ってんの?」
溝端も畳み掛ける。
「マツノもエダもなんか隠してんだろ?来たときからおかしいもん、お前ら。」
図星である。ずっとダンマリの彼らについては圓崎も不思議には思っていたが、敢えて口には出さなかった。実は佐久間や吉村も同じように感じて彼らを静かに眺めていた。
ここで初めて安川がオサムの方を振り向いて喋り出した。
「なあオサム?やっぱ全部先に言っちまった方がいいんじゃねえ?隠してたってしゃあねえじゃん。」
「……そうだね。」
そう言って松野と添田の顔を見てオサムが説明をすることにした。
「実はさ……。」
彼らは今朝聞いた話を全て皆に説明した。ビンガは先生との約束で1人レベル5に行ったこと、眠った少年をFクラス居住エリアで預かっていること、ただし佐久間に関する一点だけは伏せたまま……。
話を終えた後は先程までのお祭りムードはすっかり冷め切っていた。
「じゃあどうすんだよ、俺たち?」
吉村が言ったことは、話をしたオサムたちも含めて全員が同じ気持ちであった。
「その眠ってる奴って、ヤニ親父と一緒にいた小さい茶髪か?」
「うん。」
佐久間の問いにオサムが頷いた。
「なあ?一旦座んねえ、みんな。」
「そうだよ。責めたってしゃあねえじゃん。オサムちゃんたちが悪いわけじゃねえし。」
「俺もそう思う。別にマツノたちが何か悪いことしちまってこうなったんじゃねえし。」
柴崎、竹田、そして香野のこうした発言でまずはテーブルを囲むようにみんな椅子に座り始めた。
圓崎が腕組みしながら誰に向けるでもなくこう言った。
「どうすっか?」
静寂を破って発言してくれたのは柴崎である。
「まずさ、俺は下に向かうのはとりあえず『ヤメ』でいいんじゃねえかと思うけど?」(シバ)
「うん。昨日までと違って謎解きのために危険を冒して行く必要性はなくなったな。だって答えでちまってるし。」(ミゾ)
「だな。問題はさっきの茶髪をどうすっかと、この後どこ行くかだと思うけど。」(コウノ)
「コウノ、どこ行くって、アテがあんのか?」(エンちゃん)
「いや全然。でも、ここでじっとしてても、しゃあねえっしょ?」(コウノ)
「確かに……。オサムちゃんとかエダとかは何かいい考えねえの?」(タケダ)
「うううう。まあさっきシバケンも言ったようにレベル5行くのは中止でいいと思う。誰も反対しないかと思うけど。マエコーもいいよね?」(エダくん)
「うん。なんかやばそうだし。」(マエコー)
「だとするとコウノが言ったように、どこ行くかってのはもう上しかないと思うけど。」(エダくん)
「それって『脱出』ってことでいいかな?」(オータくん)
「そう。」(エダくん)
「どうやっかは別として、ここから出ようってのは俺も賛成すっけど。」(シム)
「俺は脱出はいいけど、ちょっと先生たち来んの待ってからの方がいい気がすんだけど。」(カズキ)
「いいじゃん別に。アイツらに黙って出てったって。サヨナラでも言うのかよ?」(クニヨシ)
「いやそういうんじゃねえけどよ……。ほら、隠し事なしでって言った手前、なんか悪いかんよ。反対されてもいいから、俺らの意思だけでも伝えて出てってもいいんじゃねえかって話。」(カズキ)
「まあマツノの言うことも分かっかな。実際レベル5に行かずに済むのは、あの人たちが情報開示してくれたからなんだし。」(エンちゃん)
「俺は『今』上に行くのはやめた方がいい気がする。」(オータくん)
「根拠は?」(エンちゃん)
「俺の直感。」(オータくん)
「サクマはどう思う?」(エンちゃん)
「ん〜、俺は……正直わかんねえ。でも俺もなんか上には今すぐ行かねえ方がいい気がすっかなあ。」(サクマ)
「オサム、お前は?」(エンちゃん)
「……今、警備も手薄で人も出払ってるから逃げ出すチャンスのようにも思えるんだけど……でも同時に上には今いっぱい人が集まってる。中には良い人もいて手助けしてくれる人もいるかもしんないけど……逃げ出そうとしてる俺らを見て、万が一あの副所長が怒り出したら、誰彼構わず虐殺とかやりかねないかな、ってのが心配。それと……」(オサム)
「それと?どうした?」(エンちゃん)
「エダくんは分かると思うけど……ほら、水中に引きずり込まれて、もがいて水面に出ようとしないで、あえて水底に向かって潜って、ゴロゴロ転がってる石をどけると、息継ぎのための空気が石の下に閉じ込められてて、って感じのやつ。普通でなく、敢えて逆がいいってこともあるでしょ?」(オサム)
「ふふ、ああ、アレね。」(エダくん)
「どこから攻め込まれるかは分からないけど、もし自分が相手を閉じ込めるなら、上から攻めてきて、下に追い込もうとする気がする。だから上に逃げようとすればするほど、性格悪い奴なら面白がって上に来るの防ごうとするんじゃないかなって。」(オサム)
「つまり、それは……?」(エンちゃん)
「みんなに中止を呼びかけておいてなんだけど、レベル4に一旦避難するのもアリかなって考えてる。」(オサム)
「レベル4?なんで?」(シム)
「もしここで襲われると多分みんな強いし、なんとかなるかもしれないけど、お互い巻き込んじゃうんじゃないかと思う。ここ広いけど、暴れるには狭いでしょ?
このレベル3なら、バラけて隠れたりするのは都合いいんだけど、多分常に固まって行動する方が安全だと思う。襲ってくる連中にとっては、ウチらが1人とか少人数の方が都合がいいし。
でもレベル4ならアリーナがある。あそこなら全員一緒で固まってても狭くないし、思いっきり暴れることもできる。逆に丸見えで逃げたり隠れたりはできなくなるけど。」(オサム)
「んんん……なるほど……。」(コウノ)
「言ってることも分かっけど、結局出口が遠退くんじゃねえ?下に移動したら。」(シム)
「確かにそうなんだよね……。とりあえずレベル4行くけど、そのままレベル5まで逃げた場合も考えてることあって、ちょっと普通は思いつかないことだから、多分いくら頭の良い副所長も分からないだろうっていう考えなんだけどね……。」(オサム)
……
「えええええええええ!」(ほぼ全員)
「俺はぜってえー嫌だ。」(シム)
「んんん。だからオサムちゃん、さっきも一生懸命図面見てたのか。やっぱ発想が変わってるよね。」(エダくん)
「俺もちょっとな……。」(カズキ)
「オサムができるっつうんなら、出来んだろうけど。俺も勘弁してくれよって感じ。」(クニヨシ)
「オサム、お前おかしいって。」(ミゾ)
「さすがにそれは……やり過ぎって言うか、まあ確かにあのお辞儀男もさすがに思いつかねえと思うけど。」(シバケン)
「俺、ちょっとだけ面白そうって思ったけど。その、中がツルツルってのは分かったし、あともうひとつのなんちゃらスイってのが、そんな汚くねえってなら……ちょっと泥っぽいイメージあっけど、なんか勢いよく出るっつうんならプールにあるでっけえ滑り台みてえなもんだろ。まあ逆さまだけど。」(マエコー)
「俺も意外に行けんじゃねえって思っちまったけど。」(コウノ)
「俺も……う〜ん、面白えとは思うけど、実際やってみねえとわかんねえかな?その水だけでも見てみてえかな。どんなもんか。」(タケダ)
「正直俺もクソまみれはゴメンだけど……本当に俺なんかでも入れんのか?」(サクマ)
「直径60センチだから、エンちゃん、ミゾ、サクマくんは確かにキツいと思う。ギリギリだね。ただ油断すると詰まると言うか、引っ掛かるかもしれない。だから管をぶっ壊しながら……ぶっ壊すか……」(オサム)
「あ、また今何か違うこと考え始めた!」(エダくん)
「出た!オサムの考え事モード。」(クニヨシ)
「俺も行けそうな気、すっけどなぁ。」(オータくん)
「大田まで賛成か?」(エンちゃん)
「まあエンちゃんが通れっかが一番問題な気がする。サクマやミゾは行けるけど、エンちゃんとマツノの2人が筋肉の鎧だから、この2人が詰まりそうかな?エンちゃんはどうなの?」(オータくん)
「んんん。俺もちょっとなあ、今回ばかりはパスしてえなあ……。」(エンちゃん)
「じゃあまとめっと、1がここに残って先生を待つ。2がレベル4のアリーナに行く。3がレベル5まで行く。あと4で上を目指す。ってとこかな?俺はアリーナ行く案かな。」(シバケン)
「じゃあ先生待ちでここに残りたいのは?」(エンちゃん)
松野、添田の2人が手を挙げる。遅れて吉村も挙げる。
「次、アリーナ行く奴?」
圓崎、佐久間、柴崎、竹田、溝端が挙手をした。
「上行きてえ奴はいねえんだよな?」
みんな首を振る。
「で、最後レベル5まで行く?」
高山、安川、小前、香野、大田が手を挙げる。自分の提案とはいえ、さっきの反応からすると意外と多くてオサムは内心驚いている。
「何だクニヨシ?結局レベル5行きてえのかよ?」
「汚物まみれは嫌だけど、しゃあねえじゃん。オサムが行きたがってるみてえだし。ついでに悪魔も見られっから。」
「あのよ、ひょっとして全員忘れてんじゃねえかと思うから一応言うけどよ、お前らどうやって別の階層に移動するつもりだ?レベル4だって今じゃ自由に行けねえし、エレベーターや階段も付き添いいねえと行けねえだろ?」
「ああああ!」
吉村の指摘に圓崎、柴崎、竹田、溝端、小前は本当に忘れていたようで思わず声を上げた。
圓崎は本当に失念していた。慌てて声を上げなかった連中に確認する。
「クニヨシ、コウノ、オータはわかっててレベル5の案に賛成したんだな?」
「え?だってオサムが何とかすんのかと思ったから。」と安川と香野が同時に答える。大田は黙ったままである。
「吉村とエダくんとマツノは分かってたから先生待ちなんだろうけど、サクマ、お前はわかっててレベル4なんだな?」
「俺は警備が手薄ってことで強引に突破するつもりだった。まあ俺たちでも壊せねえくらい頑丈な扉なんだろうけど。やってみてどうしてもダメなら、諦めて別の方法考えるでいいと思ってた。」
佐久間は珍しく真剣な眼差しと喋り方であった。
「単純な多数決だとレベル3で待つのは3人で、レベル4行きとレベル5行きがそれぞれ5人だから、この2つの案のどっちかか、あるいはみんなの意思通りに3班に分かれて行動してみっか。まあオサムちゃん言ってたように、バラバラになるとその方が危険かもしんねえけど。」
柴崎が言う3班にするのも考えとして妥当な気もする。オサムとしては班分けも実は考えていたが、3人がこのまま残るっていうのは想定してなかったのと、3人の組み合わせがなんとも言えないもので複雑な気分であった。
「真ん中とって、さっきサクマが言ってたようにまず全員でレベル4行くために扉が開けられるか試してみねえ?それで開いたら、3人が本当に残るか考えるとか。」
竹田の折衷案が一番良さそうに思える。
「マツノ、エダくん、吉村、お前たちはどう思う。俺は今のタケダの意見は一理あるって思ったけど。」
「そうだね。ちなみにオサムちゃんはどうやって別の階層に行こうと考えてたの?」
添田が首を傾げながら質問する。
「俺ら4人揃えば、アレができるんじゃないかと思う。ホワイトルームの修行の成果。」
「ああ!アレか!」
カズキとエダくんが合点が言ったように叫びを上げた。
周りは、『アレ』こと修行の成果の意味が分からず首を傾げている。
その光景は、まるで9羽のフクロウが同時に首を傾げているかのようであった。
(第二十七話 終わり)




