第二十六話 決意の朝 〜驚愕の真打〜
Fクラスの居住エリアでは、いつものように薄暗く、人工的な照明だけが淡々と空間を照らしていた。
4人の少年たちは、テーブルに横並びで座り、大人たちの到着を静かに待っていた。日差しを知らない朝にすっかり慣れてしまった日常の中で、今日という日は明らかに異なる緊張感を帯びていた。
「おはよう。昨日は随分と遅くまで打ち合わせをしていたみたいだが、きちんと4人とも眠れたかい?」
山本がいつもの穏やかな笑顔で挨拶をすると、オサムは胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。
この笑顔にも、そろそろお別れを告げる日が来るのかもしれない。そう思うと、言葉にできない何かが込み上げてきた。
「おはようございます。」
4人揃っての挨拶は、いつもよりやや硬かった。
山本はその微妙な変化を察したのか、テーブルに腰を下ろし、一人ひとりの顔を順番にじっと見つめた。そして視線を少し落とした後、再び真っ直ぐに少年たちと向き合った。
「昨日の食堂の件は藤原から聞いている。相当なショックだったんだろう。俺と話すときもずっと震えていたよ。まずは、すまない。博士も私も全く君たちの指摘に気づいていなかった。本当に申し訳ない。」
山本は深々と頭を下げた。
少年たちは無言でその姿を見つめて、誰一人すぐに言葉を発しなかった。
やがて顔を上げた山本は、静かな声で訴えた。
「でも、これだけは本当に信じてほしい。私たち3人が本気で君たちを助けようと思っていることを。」
最初に口を開いたのは松野であった。
「ありがとうございます。そこを疑っているとかはないです。今日はこの後、俺らはエンちゃんたちと一緒にレベル5に向かおうと思っています。その前にきちんと知っておきたいんです。いろんなことを。」
「いろんな……こと?」
「はい。昨日みんなで話し合いました。これからのこと。それで自分たちも隠し事はしない代わり、山本さんたちも知ってることは全部教えてほしいんです。相手が子どもだから、これを伝えるのは酷だとか、やめとこうではなく、知ってらっしゃることは全て共有させてください。」
オサムがそう言うと、4人は揃って深く頭を下げた。
「お願いします。」
4人の声が揃って部屋に響き渡る。
山本は改めて4人の顔をじっくりと見た。全員の瞳には、揺るぎない決意の色が宿っていた。
「分かった。知ってることは全て話そう。」
その言葉とほぼ同時に、居住エリアの入り口からもう一つの声が響いた。
「僕も混ぜてもらうよ。」
そう言って入ってきたのは藤原であった。
「おはようございます。」
4人の声は山本に対する挨拶より心なしか小さくなっていた。
「おはよう。昨日はすまなかったね。取り乱しちゃって。」
藤原は軽く頭を下げた。昨日よりは落ち着きを取り戻しているように見えたが、どこか無理をしている印象は拭えなかった。彼は少年たちの表情を察したのか、静かに続けた。
「正直、まだ戸惑ってる。それが本音だよ。でも昨日みたいにはもうならないよ。そう決めたから。大丈夫。君たちを信じるし、君たちもできれば僕のことを信じてほしい。」
少し間を置いて、オサムが慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「本当はお互いにきちんと気遣いしながら意思疎通を図るのが望ましいんでしょうけど、自分たちの言葉でまた傷つけてしまうかもしれません。それでも今は……昨日の情報からすると本当に命の危険が迫ってるのだと思います。ですから皆が無事でいられるよう、できれば先生も交えて話をしたいと考えています。」
「分かった……。高山くんは相変わらず、こういうときに年不相応な堅い言葉を使うねえ。俺も博士にはきちんと話を聞きたい。」
4人の少年は藤原の言葉が終わると同時に後ろを振り返った。ゆっくりと香澄博士が入って来た。彼もまた部屋に張り詰めた空気から、状況を察しているようであった。
無言でテーブルにつき、深く頭を下げた。
「すまなかった。私の不甲斐なさで、君たち全員に迷惑をかけてしまった。特に藤原、お前には本当に申し訳ない。私も全てを話そう。すまないが、さっきの君たち4人の言葉も聞こえていた。だから話そう。いや、知ってほしい。それがどれだけ残酷であっても、知る限りの全て……そして今、私がやろうとしている目的を……」
博士の声は低く、重く、しかし確かな覚悟を帯びていた。
居住エリアの空気が、一層引き締まった。
4人の少年たちは、息を潜めて大人たちの次の言葉を待った。
この朝が、ただの朝ではないことを、全員が肌で感じていた。
レベル1の搬入ゲート付近は、朝の静けさの中に不自然な喧騒が混じっていた。
黒崎は施設の通路を歩きながら、眉をわずかに寄せた。
(なんだ? 搬入車両?)
彼の性格上、この光景は極めて不自然に映った。
(今日は木曜……。木曜の午前中は、生物試料の『定例廃棄』以外、一切の車両入構は禁止されているはず。しかも今は9時31分……。配送業者がこの時間に山上のゲートを抜けるには、昨夜から麓で待機していなければ不可能。あり得ない……。ジジイが何か仕掛けたか……?)
レベル2で見られた職員たちの浮ついた様子は、次週に控えた賞与支給によるものだと考えていた。しかし、この搬入車両は別だった。
エリシオンでは大規模施設であるがゆえ、週末の支払処理に間に合わせることを目的として、木曜日を検収事務の締日としている。これに伴い外部からの受付を一切制限しているのだ。
また木曜日は10時から週例全体会議がある。そんな直前に荷解きの立ち合いなど誰が好んでするだろうか。
運転席に乗り込もうとするドライバーを見つけ黒崎は駆け寄った。
「おはようございます。お疲れ様です。私はこの施設の副所長を務める……」
「ああ? あんたが所長さん?」
「あ、いえ、私は副しょ……」
「困るんだよね。本当に。急にもほどがあるでしょう? まあこっちも仕事だからやってっけどね。悪いが、文句のひとつも言わねえとやってらんないっしょ? 今後はやめてくださいよ、こういうのは。年末でどこも忙しいのは、あんただって分かってるでしょ? 子どもじゃないんだから。サンタじゃないんだよ、こっちは……。あ、もう行かねえと。次あっから。頼んますよ、所長さん!」
トラックドライバーは苛立ちを抑えきれない様子で、一方的に苦情を述べると、黒崎の返事を待たずに再び運転席へと乗り込んだ。ミラーに映る黒崎の会釈など、最初から視界に入っていなかったようだった。
およそ30分にわたり、香澄博士は施設の真の内情、研究の核心、そしてこれまで4人の少年たちに伏せられていた事実の数々を、一切の隠し立てなく語った。ビンガとの取引の詳細も、ようやく皆の知るところとなった。
香澄はどこを見るでもなくテーブルの一点を見つめながら言葉を紡いでいた。その表情には、深い自責と覚悟の色が浮かんでいた。
そんな折、まずオサムが急に後ろを振り向いた。ほぼ同時に松野も何かに気づくように振り返った。
「来たみたい。」
オサムの短い言葉に、大人たち3人が「誰か」と尋ねる間もなく1人の男が現れた。
少年を抱きかかえたビンガであった。
「……ビンガ。」
香澄は静かに呟いた。藤原は昨日のように取り乱すことなくただ目を細めた。山本は若干驚きを隠せない表情を浮かべている。
「その少年は……?」
香澄が尋ねるとビンガが間を少し置いてから答えた。
「E910-7 米田という少年だ。眠らされている。ミーズにいたところを俺が連れてきた。」
「ミーズだと?なぜあの場所に?」
「分からない。昨日君らは彼に会っているか?」
「いえ。その人は一切見てません。」
オサムの答えに、ほかの3人の少年も黙って頷いた。
「我々も見ていない。」
香澄が山本、藤原にも視線で確認をとった後、再びビンガに向き直った。
「あの部屋に今アクティブな被検体が全員集められて、Tマターの過剰摂取をさせられたと考えられる。残渣が漂っていた。理由は分からないが、この子だけが取り残されていた。
黒崎の指示で間違いないとは思うが、昨晩もずっと身を潜めながら彼の目覚めを待ったが一向に起きる気配がない。それであなたたちを頼らせていただきたく参上した。」
「子どもだけ残して……。でも過剰摂取で何が都合の良いことが生じるんだ?」
「恐らくSタイプと強引に融合させる計画を、憚ることなく始めたのだろう。」
「Sタイプだと?」
Sタイプ……香澄の説明にも出てきた第二世代、機械人形のXタイプと並行して造られた異質同体型人造人間。封印されたということであったが……
「黒崎も何か急ぐ理由ができたのだろう。『淘汰』……彼の目論見の第一段階だ。俺も奴の狙いの全ては知らされていない。だが急がねば……。昨日本来ならあの場で確認、いや君たちに伝えねばならなかったことを俺は敢えて黙っていた。」
「伝えねばならなかった……って?」
「佐久間くんのことだ。」
午前9時55分のレベル1。
通常レベル2の会議室に所狭しと研究員が集まる週例会議が、今日に限り急遽レベル1の大会議室で行われることになった。黒崎は一旦執務室に戻り、会場の変更を知らされてここにやって来たが、暫くは場内の様子を伺っていた。彼は先程目の当たりにした、大いなる不自然が何であるのか、それを確認すべくこの場に臨んだ。
そしていつもと大きく異なることがもうひとつあった。所長の出席である。今までも顔を出すのは冒頭部分であとは全て黒崎が取り仕切る。白鳥本人はもちろん、会議参加者にとっても何ら問題もなく、むしろそれが自然でもあった。
だが今回は黒崎が到着した時点で、1人演台の傍にある奥の椅子に腰掛けていた。それはいつもの好々爺の印象とは違った様子を見せていた。
(お手並拝見といこうか。)
黒崎は軽くお辞儀をして黙って所長の横に腰掛けた。
「おはよう黒崎くん。急なことでね。詳しいことは会議冒頭で皆に説明をするので、それまで待ってもらえるかね?」
「何かあったのですか?」
「んんん。まあ。急だからね。仕方ない。はっはっはっは……。」
声の調子はいつもと変わらぬ白鳥だが、やはり目だけが何かいつもとは違う鋭さを宿しているように思えた。
「では、定刻になりました。始めさせていただきます。今回はかなり急な案件が発生いたしまして、これより白鳥所長から皆さまにご説明いただけるとのことです。では所長……」
ゆっくりとした足取りで演台へ歩き出す。
「皆さま、おはようございます。」
一斉に「おはようございます」と返事が響きわたる。
「大変急なことで、一体何が起こっているかを、まだほとんどの職員が把握されていないかと思います。一部の職員で手近に直接声をかけさていただき、その準備を急ピッチで行っているところです。」
会場に集まった研究員たちの顔に、不安の色が広がっていく。
「実は防衛庁からの急な要請がございました。
我らがエリシオン・ラボを『対ゲリラ・コマンドウ特殊訓練』並びに『化学防護除染訓練』の会場として使用させていただきたい、とのご連絡をいただきましたのが昨晩のことでございます。」
一斉にどよめきが広がった。
「何だと!」
珍しく黒崎が驚きの声を上げ、その場で立ち上がった。
会場中がざわついている中で、黒崎の咄嗟の反応が目立つことはなかったが、これほどまでに狼狽える姿は誰もが初めて目にするものであったと言っても過言ではなかった。
(自衛隊を動かしただと? このジジイが? あり得ん! 確かにコイツは大蔵(省)でもかつては切れ者の1人と言われたことがあったのは俺でも知っている。だがいくら大蔵が不可侵の領域とて、こんなにも急に動かせるなんて絶対にあり得ん。仮にできるとしても、そんな力を持つ者など……)
黒崎の全身に鳥肌が立った。
(コイツ、まさか、あの『西澤輝』を動かしたのか?)
「通常であれば、さすがに非常識過ぎるのではと私もお断りするところですが、防衛庁事務次官から直々にお願いをいただきましたもので、今回はやむなく了承をさせていただいた次第です。文部省からも『防衛庁とは調整済のことなので、現場としては急で申し訳ないが、要請に応えるように』と今朝電話が入りました。文書は追って送られてくることになります。」
昭和62年……このときはソビエト連邦が存在し、冷戦の影が色濃く落ちる時代。
スケジュールの突飛さは別としても、冷戦下における重要研究施設へのゲリラ襲撃を想定した警護訓練という主旨であれば、こうした実施がなされたとしても不自然ではない流れと言えた。
この白鳥という所長は、旧友の息子からの懇願を受け入れ、ミスター防衛庁とまで言われる最強の切り札を黒崎の鼻先に突きつけたのだ。
1か月前に黒崎が行ったことと真逆となった。あのとき彼は、隕石落下による未知のウイルス感染という虚偽を巧みに演じたが、今回は賢者の顔をした食えない策士が、それを凌駕する勢いの大芝居に打って出たのだ。
(やってくれたな、狸ジジイめ……)
黒崎は唇を強く噛み締めた。
唇の端から、黒く滲む血がわずかに浮かび上がっていた。
(第二十六話 終わり)




