第十三話 計略 〜胎動の予感〜
黒崎副所長は1週間程度は「要療養」と医療チーム内の医師に診断された。
疲労の蓄積によるもので、白鳥所長が語っていた『バーティゴ』(空間識失調)と呼ばれる──平衡感覚の喪失──その『後遺症』が再発し、卒倒を引き起こしたのだろうと、館内では発表された。
黒崎は、当面はレベル2の医務室での生活が続くことになり、公務は病欠として扱われるが、所長のメクラ判がある限り、職員たちの業務への支障など一切なかった。
その医務室では、意識を取り戻した黒崎と、Gクラスのチームリーダー上野の2人が話をしている最中であった。
「無理はまだなさらないでください。」
「いや、体を起こすくらいはしないとな。」
黒崎はそう言いながら、ベッドから上体を起こした。
「眠ってしまえば問題ないが、実はこうして横になってる状態でも気分が悪くなるものでな……。
まだ体が不安定ということか……。」
「いえ、充分安定されています。副所長の今回の発作は気にされることではありません。バイタルは至って正常値です。」
「……そうか。で、スペアの方はどうだ?」
「そちらも順調です。驚くほど早く順応しています。」
「ふふ、私はここまで2年以上かかったというのに……。まさに脅威だな。あっちのスペアを選んでおいたら、どうなっていたんだろうな?」
「……これはあくまで私見ですが、恐らくあちらをスペアとした場合は拒絶反応があった可能性があります。結果的にはよろしかったのではないかと……。」
「そうか。それはそれは。貴重な素材を危うく壊してしまうところだったか。」
「ええ、データだけで結論づけられない歯痒さはあるのですが、過去のデータの数字との比較から、個人的にはその確率が高いのではと思っております。」
「分かった……。ところで、彼らの説得はどうなっている? ミカエルは頑なに協力を拒むだろうが……。
交渉決裂のときは、別ルートを使う。そっちを使うのもいろいろ準備が必要になるが……。」
「早急に進めて参ります……。
それと、こちらを見ていただきたいのですが?」
そう言って医務室のモニターに、監視カメラの映像を映し出した。
「これは……? 宮里か? 相変わらずルールが守れん奴だ。不快だ。消してくれ。」
実験アリーナの隅の控えスペースで、タバコを吸っている宮里と呼ばれる被検体が映っていた。
黒崎はタバコは吸わない。この昭和の時代、喫煙者は当たり前にそこら中でタバコを吸っていた。今のような『禁煙』が当たり前ではない。学校教員が、教室内に灰皿を置いていることも珍しいことではなかった時代である。
空調システムがあるとは言え、ただでさえ息苦しい地下である。
黒崎は自分の赴任後は、この時代では非常に珍しい「喫煙スペース」を設けて、そこでの喫煙のみを許すようにルールを敷いた。館内では飲酒はやめられないという連中は多かったが、意外にも喫煙者は少なかった。それでいつのまにか職員側には徹底されるようになっていたが、宮里のような外部の人間には、こういうルールは響かないものなのだ。
「すみません。でも奴自体はどうでもいいんです。それより例の少年を見てほしいんです。」
「例の少年?」
そう怪訝な反応を示しながら、目を細めて黒崎はモニターを凝視する。
「これは……!」
「そうです。間違いありません。」
「ハハ、そうか。あの宮里の馬鹿者がルールを守らなかったおかげで、こんな映像が見られるとは!これで確証したな。」
「ええ。間違いありません……。実は副所長、もうひとつ気になったことがありまして……。」
「何だ?」
「共命鳥のデータです。」
「グミョー兄弟がどうした?」
「あのとき、ちょうど挨拶をし終えた男を覚えていますか?」
「あのときとは、どのときだ?」
……
それから暫く話が続くこの医務室の、少し開いた扉の外には、空気の歪みのようなものが、通路の壁に沿ってゆらゆらと動いていた。
同じ頃、レベル4の実験アリーナでは、14人の少年が同時に集まっていた。
A、C、Dの各クラスのチームリーダーは、Gクラスのリーダー上野からの指示で、子どもたちが望むのであれば、Fクラスのプログラムに合流させて構わないとされた。
子どもたちは皆彼らと自分たちで何が違うのか、という点が気になっていたらしく、全員がFクラスに合流を選択した。
リーダーたちの意向も、黒崎の意向も、『香澄に任せて構わない』という結論で合致した。
これにより、居住空間における管理のみが従来どおり各リーダーによるものとなり、『実質全てを香澄に丸投げ』という状態になった。
リーダーを務める研究員たちが『お役御免』となるのは、意にそぐわないように感じられるが、実はそうではない。むしろ自分の仕事が減ることを喜んでいる。
中学生急襲計画を会議室で聞かされて狂喜していたのは、確かにエリシオン所属の研究員もいたが、上野を除くこの3人は、正直気乗りしていたわけではない。
あの会議は、地上部にある擬似施設の建物内で行われていた。
このとき参加していた上野が、香澄の『無線での会話の主』であった。
擬似施設は『外の世界』であるため、地下の連絡機器は地上の館内設備とは切り離されていた。そのため、無線による通話を行う必要があったのである。
会議には所謂個人出資者たちも参加しており、同時に国内の研究機関の博士たちが、黒崎の台本読み聞かせに、狂喜乱舞していた。
エリシオン内部の研究員・職員たち全員が『狂人』というわけではない。
香澄たちのような目立つ行動を避け、長いものに巻かれているに過ぎない。
ただ、この3人以外の、『リーダーの肩書きを持たない研究員たち』は、かなりの狂人が揃っている印象がある。リーダーとは、最早面倒ごとを押し付けるための貧乏くじに過ぎない。
こうした人事は、黒崎の意向が反映されたことでもあった。彼は建前では狂気を演じても、狂人じみた輩を心底嫌っていた。だから役職に就かせず、代わりに研究には干渉しないという流れが、自然と出来上がっている。
狂人たちは、ろくに書類も作成できない。医療チーム内でも同じだ。字が汚い。読めない。言い訳ばかりする。自分が優秀だと主張する。
だから数少ない寧ろ真っ当な者がリーダーに選出、つまりは貧乏くじをひかされるのだ。そのくせ、給与に大した差がない。だったら仕事は少ないに越したことはない、これが3人の本音である。
神格化計画──Project Apotheosis (プロジェクト・アポテオシス)と呼ばれる母体のもと、このエリシオン・ラボは造られている。施設内の至るところで見られるプレート、書類に大きく書かれた「PA」とは、この計画の頭文字である。だがこのPAの全体像は、誰も把握できてはいない。エリシオン以外の拠点が存在するかは謎であるが、あったとしてもこれほどの規模の施設はさすがに存在しないはずである。
黒崎の一件以来、少年たちはレベル3の居住区内で自由に会うことが許されるようになった。
香澄たちも、黒崎にオサムたちの存在が知られていること、ほかの10人の少年たちも、最早エリシオンの実験に巻き込まれて、施設内の事情を隠すには遅過ぎること、これらを鑑みて、他の被検体との接触を避ける理由はなくなったと判断した。
これは黒崎側も同じで、今14人の少年が結託しようが、しまいが、エリシオンの状況は全く変わらないと考えた。
ビンガのように、レベル2までの出入りを自由にするのは出来かねるが、居住空間のレベル3から実験アリーナのあるレベル4までの空間を行き来する自由が許された。
ただしセキュリティロックされて、特別な人間にしか通れない通路や扉も存在する。
それでもエレベーターや階段は自由に使えるようになり、セキュリティガードの常時監視という状況からも解放されて、皆以前よりも施設生活を満喫していた。
慣れてしまえば、学校よりも遥かに快適な空間である。
今後彼らは、堂々と行動を共にすることが可能となった。これは脱出計画に大きな利点と言えよう。少年たちのチカラの安定を優先することで、所謂戦力の確保にも繋がるのだ。
香澄たちは改めて、今後いかに安全に、無事に14人全員が施設を抜け出せるか、という計画を練り直すことにした。
こうして集まった少年たちは、まずは情報共有から始めることにした。
レベル3の会議室に14人の少年と、香澄博士、山本、藤原が同席した。
まず圓崎たちは、最大の疑問である「ウイルス感染」について、香澄に問い糺すことにした。
「結論から言えば、ウイルス感染自体は嘘だ。」
この香澄の言葉に、圓崎はやっぱりという反応を示す。
溝端は嘘だったのか、と落胆するような素振りを見せつつも、感染していないに越したことはないと思うことで、複雑な表情をしている。
「だが、病気ではないと言っても、すでに気づいていると思うが、君たちは無理やりな肉体強化を施されている。クスリによってだ。体を切られたり、何かを埋め込まれたり、そうしたことはされていないはずだ。」
これには納得して皆頷いている。
圓崎は真剣な表情で更に確認を続ける。
「先生、すみません。もうひとつ確認したいことがあるんです。サクマのことなんですが……。」
「ええ、オレ?」
素っ頓狂な声で佐久間が驚いている。
「ええ、アイツは真っ白い部屋に連れて行かれ、そのあとの記憶が曖昧なんです。
このときマツノにも会ったって言ってるんです。それと、オサムがピカピカしてるのを見たって。でしたら先生もその場にいらしたはずですよね?」
香澄は頷く。佐久間が黒崎とビンガと共にその部屋に来たことを認めた。
「通称ホワイトルームと呼ばれるあの部屋は、特殊な造りでね。
青白い電気のような光、稲妻のような、と言った方がいいかな?
多分彼も目にしたと思う。」
「おうおう、それそれ! なっ、本当だったろ?」
佐久間が立ち上がり、高い声で全員に呼びかけた。飛び跳ねるような動きで興奮している。
頷いて笑顔で皆それに応えている。
「あそこに充満している気体が、君たちの宿したチカラの放出を可視化──つまり目に見え易くしているんだ。」
香澄博士は、少年たちの顔をゆっくりと見回しながら言葉を続けた。
「その気体を我々は『ルミナス・ミスト』と呼んでいる。『チカラ』の波長に反応しやすい特殊な微粒子だ。ホワイトルームは、その反応を最大限に引き出すために設計された観測室なんだよ。」
圓崎が眉を寄せた。
「つまり……サクマが見た『オサムがピカピカしてる』姿ってのは、あのときオサム自身がチカラを出していたってことですか?」
「そういうことだ。」
腕組みをしながら、圓崎を首を僅かに傾げている。
「ピカピカの謎はいいとして、結局先生はサクマが、副所長から何かされたかどうかは知らないんですか?」
「私たちが見ていた限りは、彼が特別に何かされたようには思えない。そもそも何故あの部屋に来たのか、正直私も検討がつかない。
佐久間くんが来て、松野くんと話をしていた。そうだったね?」
「ええ」と松野が肯定する。
「その後、黒崎はビンガ──白髪で君たちとの初顔合わせの会議室にもいた男性のことなんだが、この2人が結構長く話をしていたと思う。内容までは分からないが。会話を聞くことができるような部屋じゃないんだ。
ただ、この間に眠ってしまった佐久間くんを、ビンガが抱き上げて、黒崎副所長と一緒に部屋を出ていったのは覚えている。つまり我々よりも後に入室して、先に退室したということだ。
佐久間くんが眠ってしまったのも、訓練後の疲れからのように見えた。
部屋に充満するルミナス・ミストの影響で眠くなったというのも考えられる。
私はモニタールームで見ていたからね。間違いない。高山くんたちと一緒にいた山本は何か気づいたことはあるか?」
「いえ。私もあの2人を見ましたが、佐久間くんに何か直接行っている様子はありませんでした。博士が言うように、そもそもあの部屋に来た理由が見当たりません。会話を聞かれずに話をしたかった、なら少々強引ですがなくはないのかもしれません……。
ですが、それだと今度は佐久間くんを連れてきた理由が見当たりません。あの部屋を佐久間くんに見せたかった……、でも何故?」
佐久間に関する謎は却って深まった。
この話で、佐久間が彼らに特殊なことをされずに済んだ、と言い切れるだろうか?
オサムたちのいたタイミングに、その部屋に入っていったのは、ただの偶然だったということか?
圓崎は、床を見つめながら考えていた。
(第十三話 終わり)




