第五話 七つ目は売りません
六つの注文なのに、秤の横には七枚の薄紙が並んでいた。
リディは最後の一枚へ杉を落とし、朝から三度目になる戸口の鈴を聞いた。今度こそ宮廷の使いだろうか。顔を上げると、パン屋のポールが丸パンの籠を抱え、その後ろから洗濯屋のマルタと娘のジュリーが覗いていた。
「裏通り、水道工事ですって。うちの受け取り、ここで少し待たせてもらえない?」
店先にはすでに、石鹸を取りに来た時計師のオドンがいる。リディは客用の椅子から空瓶の箱を下ろした。待つのは構わないが、パンを調香台へ置かれては困る。
「籠は窓の下へ。食べる分を一ついただきます。代金は、そこの銅貨から」
朝食を買いに出る手間が省けた、と考えている間に、ジュリーが七枚の紙を数えていた。
「どれも同じ匂いなの?」
「同じにしているところ。まだ、少し違います」
昨夜受け取った六つ分の材料代で、必要なものは揃った。ただ、昨日の庭で作った一つをそのまま六倍にすれば済むわけではない。大鉢で混ぜてから分けると、細かい檸檬の皮ばかりが底へ落ち、最後の袋だけ明るく尖った香りになる。
杉は繊維を揃えて短く切り、檸檬の皮は篩にかけて大きさを分けた。同じ重さでも、細かなものほど早く香る。最初に顔へ届く檸檬と、服を動かしたときに残る杉。その順番を、六人の誰にも同じように渡したかった。
リディは紙を一枚ずつ折り、端を軽く叩いて薄く広げた。ジュリーも真似をして、自分の膝の上で掌を平らにする。
「揉んだら、もっと匂う?」
「よく気づいたわ。でも今日は、強くしないためにこうしています」
そこへ入ってきた青年が、戸口で立ち止まった。縫製係から来たトマと名乗り、ベルトから預かった布包みを差し出す。その肩越しには、香材商のガスパールが手押し車を止めていた。
店が広くなった覚えはないのに、人だけ増えていく。
トマの服には新しい布と糊の匂いがあり、その下から酸っぱい恐れの徴が立っていた。包みを取り落としたのだろうか。リディは受け取った布を開いたが、六つとも汚れはなく、貝釦も揃っている。
「何か、伝言が?」
「昼の鐘までに持ち帰らないといけなくて。北橋が工事で、道を間違えて……間に合いますか?」
窓辺のオドンが懐中時計を出し、まだ鐘まで随分あると教えた。トマの肩が下がる。壊した品を隠している顔、と決めつけなくてよかった。
リディは内袋を収める手を止めず、店の裏から抜ける道を教えた。魚市場ではなく、聖アンヌ広場へ曲がれば早い。ポールが粉のついた指で道順を付け足し、マルタが今朝は広場も荷車で詰まっていたと言った。
結局、ジュリーが途中まで案内することになった。
六つの外包みへセルフィーユ香房の札を入れたところで、トマが残った一枚を見る。
「それも、お預かりしますか?」
「これは店に残します。同じ中身を、同じ日に詰めたものです」
後で香りが違うと言われても、記憶だけでは比べられない。封をしたまま保管する見本と、使われた品では条件が違うが、少なくとも自分が何を渡したかは確かめられる。最初の香袋にも、これがあればよかった。
日付と配合を書いた小瓶に七つ目を収めると、棚の売り物が一つ減ったようで、少し惜しかった。それでも蓋を閉めた。
トマたちが出ていくのと入れ違いに、ガスパールが細長い木箱を運び込んだ。
「南港から来た杉だ。次の仕入れ、これでどうだい?」
蓋の隙間から、乾いた柔らかな木の香りが届く。削りたての鋭さは少なく、昨日使ったものとも合わせやすそうだった。リディが薄片を一枚つまんだところへ、彼は値段を書いた紙を置いた。
指を戻したくなる数字だった。
「半箱では?」
「半分売ると、残りを入れる箱が要る。その分は上がるよ」
今日の六つには足りた。けれど補充分まで使った棚は心細い。二十袋の代金が来るまであと幾日だったか、帳面を開く前に数えられてしまう。
オドンの石鹸代を受け取り、マルタに洗濯物へ移りにくい香りの相談をされていると、鈴がもう一度鳴った。
黒い上着が見えた。エリアスは人で塞がったカウンターを見渡し、入口の脇に立ったまま手袋を外した。
「お待ちします」
彼の前だけ、匂いが途切れる。そこへ注意を向けかけて、リディはマルタの話に戻った。客の相談の途中で、来た理由を嗅げない人の顔ばかり見ても仕方がない。
洗濯用の試し紙を渡し、オドンが石鹸を鞄へしまうころ、エリアスはようやく書類を置けた。
上の一枚は園遊会用の六つの残金、下は新しい依頼だった。白鷺棟の来客室で使う香りについて、明後日の午後に相談一回。その隅に、替えの内袋十八個を希望、と別の筆跡で加えられている。
「十八個も、明後日ですか?」
「希望日はそうです。引き受けられる数を伺うよう、ラウル侍従から頼まれました」
香りの相談なら受けたい。部屋で使うのか、人が持つのかも聞かずに十八個作るのは違うし、材料代を待っていてはガスパールの荷車が帰ってしまう。
リディは彼に椅子を勧め、自分は立ったまま金額を出した。六つの残金を足しても、杉を一箱買えば家賃に分けた封筒が薄くなる。
「相談はお受けします。内袋は用途を伺ってから。ただし、明後日までに十八個なら、今日中に材料代が必要です」
エリアスは書き込みを読み直し、十八の数字を線で囲んだ。
「では、この数は保留と伝えます。相談料の前金はこちらです」
差し出された銀貨を数えてから、リディは領収証を引き寄せた。店名の印を押そうとすると、彼の指が紙の端に触れた。
「監察局へ出す分は、お名前だけでお願いします」
「品はここで作るのに?」
「今回も、あなた個人への謝礼として支払われます」
押しかけてきた最初の日より、仕事は増えた。宮廷へ届けた袋には店の札がある。それなのに金を受け取る紙の上では、香房はまだないことになっている。
リディは印を台へ戻し、別の紙を重ねた。
「提出用はそうします。店の控えには、依頼元も品名も残しますよ」
「はい。私の名も記してください」
彼は控えにも署名した。急いでいるかと思ったが、リディが砂を振って乾かす間、紙を取ろうとはしなかった。
ガスパールが戸口から、箱を下ろしておいていいかと尋ねた。リディは銀貨と仕入れ用の封筒をもう一度見比べる。
十八個の注文はまだない。だが、来週来る町の客にも杉は使う。必要な量だけ買うなら割高になる、その差額まで含めて自分の商売だった。
「半箱ください。箱はいりません。こちらの缶に」
空になった缶を取り出すと、エリアスがカウンターの書類を端へ寄せた。銀貨が一枚、彼の袖に隠れかける。リディが手を伸ばした拍子に、指先が触れた。
温かかった。
顔を上げても、彼は何も言わない。リディには、自分だけが手を引くのを遅らせた気がした。
「次も、こちらへ伺ってよろしいですか」
「午後の相談なら。午前は、見てのとおりです」
窓の外からポールが、パンの籠を忘れたと戻ってきた。エリアスは椅子を引き、通り道を空けた。
リディは棚の七つ目を奥へ置き、新しい杉を受ける缶をカウンターに載せた。




