第二話 香りを置く場所
王宮へ持っていく鞄に、リディは最後にパンを一つ押し込んだ。午前の客が帽子用の香りを選び直したため、昼食の時間がなくなったのだが、二つの小瓶を買ってもらえたので文句はない。売上の半分を仕入れ用の封筒へ移し、残りで家賃がどこまで埋まるか考えながら、店の鍵をかけた。
通されたのは、王宮の客室に隣接した小さな衣装部屋だった。窓際の卓には水色の香袋が三つと、琥珀色の小瓶が並び、ミナがその横に立っている。迎えに出たエリアスは鞄を置く場所を示してから、卓上の品について説明した。
「こちらの二つは、客室係が保管していた未使用品です。返却された袋と、香油も揃っています」
小瓶は奥様の私物だという。持ち主の確認は済んだらしいが、誰が使ったかまでは、彼の説明に含まれていなかった。リディは手帳に品数を書き、持参した白い布を卓に広げた。
未使用の袋は、紐をほどくと軽い檸檬の香りが立った。中身の色も乾き具合も揃っており、油染みはない。昨日の袋と並べてミナに確かめてもらっていると、奥の扉が開き、薄紫の肩掛けをした女性が入ってきた。
ミナが奥様と呼んで椅子を引いたので、この人が依頼の発端なのだとわかった。四十代ほどだろうか。髪は丁寧に結われていたが、袖口から出た右手には布が巻かれ、腰を下ろすときにも、その手を膝に置いたままだった。
「私が足しました。ミナは知らなかったの」
リディが挨拶を終えるより先に、女性は小瓶を見てそう言った。ミナの息を吞む音がして、張り詰めた酸味がこちらまで届いたが、リディはそちらへ意識を向けず、蓋を開ける許可を求めた。
細長く切った紙の端に香油を移すと、甘さの下から橙の皮の苦みが上がった。しばらく振って待てば、橙だけが先に薄れ、安息香の丸い甘さが残る。返却品に付いていたものとよく似ているが、袋のほうには、もう一つ鈍い匂いがあった。
「香油だけではないようです。こちらへ、何か触れましたか」
「毎朝、胸元へ入れていましたけれど」
女性が左手で襟を押さえる。その動きにつれて、甘い香りの奥から薬草を煮詰めたような苦さが漂い、リディは袋ではなく、布を巻いた手へ目を移した。
「お手元にお使いのものを、少し見せていただけますか。香りを比べたいんです」
女性はすぐには答えなかった。布の端を左の指で押さえたままミナを見て、それからエリアスへ視線を動かす。彼が手帳を閉じると、ようやく肩掛けの下から小さな平たい缶を出した。
蓋の内側には黄色い軟膏が付いていた。紙に取ったものへ顔を近づける必要もなく、樟脳の涼しさと、煮た葉の苦みがわかる。返却された袋の紐に鼻を寄せると、その苦みが薄く残っていた。
「指の痛みに、医師からいただいたの。これを塗るようになってから、会う人が皆、手のことを聞くものだから」
女性は卓の香油へ手を伸ばしかけ、途中でやめた。代わりにミナが小瓶を寄せると、困ったような笑みが浮かんだ。
「刺繍の集まりを任されているのよ。でも先週は、針を持たずに休んでいては、と言われて。親切なのはわかっているの。ただ、私はまだ、図案も選べるし、若い方に教えられることもあるでしょう」
リディは母の裁縫箱を思い浮かべた。針を持つ人がいなくなっても、糸の選び方を教わった記憶は残っている。けれど目の前の人は、思い出になりたいわけではないのだ。
卓に落とされた指先を見ているうち、甘さの奥に乾いた焦げのような徴が触れた。痛みか、苛立ちか。確かめようと意識を寄せると、鼻の付け根がちりりと熱くなり、リディは紙を置いた。昨夜、店で返却品を調べ直した分が残っている。ここで嗅覚を失えば、明日の客に渡す香りを仕上げられない。
「少し窓を開けても?」
エリアスは理由を尋ねず、留め金を外した。風に飛びかけた紙を彼が指で押さえたので、リディは空の皿を重しにする。彼の手が近くにあっても、やはり何も感じ取れなかったが、少なくとも、もう一度嗅ぐようには言われなかった。
「匂いが消えるまで足されたんですか」
「ええ。最初は二滴ほど。でも、すぐ薬の匂いが戻ってしまって」
リディは新しい紙を二枚取り、一枚には香油だけ、もう一枚には薄く塗った軟膏の隣へ香油を付けた。女性に渡す前に、どちらも腕の長さほど離して、ゆっくり風を送る。
「少しずつ近づけてみてください。苦手でしたら、そこで止めて」
女性は二枚を交互に動かしたあと、軟膏を塗ったほうを遠ざけた。ミナにも同じように試してもらうと、眉間に小さく皺が寄る。
「薬が、甘くなったみたいです」
「ええ。苦みは残ったまま、甘さが重なるんです。消えないので足していくと、袋には甘い香りばかり溜まります」
リディは鞄から、午前の客にも使った杉の薄片を取り出した。少量の檸檬の皮と一緒に紙で包み、軟膏の紙から少し離して置く。甘く覆うのではなく、薬草の苦みを乾いた木と皮の香りの中へ馴染ませるつもりだった。
女性が慎重に顔を寄せ、今度は遠ざけずに息をついたので、リディもようやく頬を緩めた。
「これなら、薬箱を抱えている感じはしないわね」
「まだ試しです。服につけるなら、染みも見ます。それに、手から袋へ軟膏が移るので、置く場所も変えたほうがよさそうです」
ミナが女性の胸元を見てから、椅子に掛かった上着へ目を向けた。リディはその襟の裏を示す。小さな内袋を縫えば、肌にも手にも触れにくく、顔へ上がる量も抑えられるだろう。ただし、今日ここで売れる完成品ではない。
「では、めまいは香袋のせいではなかったのですね」
ミナの明るくなりかけた声に、リディは首を横に振った。隣でエリアスが再び手帳を開くのが見えた。
「そこまでは言えません。元の袋と、実際に身につけた袋が違うことは確認できました。ご気分の悪さについては、香油を足した量も含めて、お医者様にお話ししてください」
女性は頷き、ミナへ医師を呼ぶよう頼んだ。そのあとで、香房に粗悪な材料の使用を認めさせるよう命じたのは自分だと、声を低くして付け加えた。リディは謝罪を受け取り、未払いの請求書も持参していると伝えた。こちらは忘れてもらっては困る。
エリアスは未使用品を包み直し、衣装棚用の注文を別に再検分できるよう手配すると言った。停止が解けたわけではない。それでも、二十袋を棚で眠らせる以外の道ができたので、リディは明日の作業を頭の中で組み替えた。
道具を拭いていると、女性が杉と檸檬の包みを指した。あの香りを仕立ててもらいたいが、ミナを通して頼めるかという。リディは材料の残りを思い返し、試作料と日数を伝えてから、返事を待った。
「次は、手が痛むことまで隠さなくてもいい香りを、お願いできるかしら」




