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9高鳴る

 ぽんぽんと背中を叩きながら紡ぐ言葉に幾らか想いを混ぜる。


「一汰を選ばなかった子は見る目がないのね。私なら絶対あなたを選ぶもの」


 本当にその通りだ、と千沙都は瞼を伏せた。私だったら何を蹴ってもあなたを選ぶのに。


 呟く言葉は慰めに消えて、千沙都の想いは遠いまま。


 けれど千沙都はそれでいいと思っている。誰かに好かれるような人間だとは思っていない。千沙都は自分のことが嫌いだから。


 その言葉を聞いたのか、一汰は顔を上げた。


「俺でもきっと、千沙都を選ぶと思うよ」


「……?」


 言葉の意味を捕らえられない千沙都に、一汰はもう一度言った。


「俺なら、千沙都を選ぶと思う」


 頭を横殴りにされたような衝撃が走る。


 バレてしまったのかと焦って声が出ない千沙都などお構いなしに言う。


「さっき、諦められないって言ってたから。千沙都にも好きなやつがいるんだろ?

 千沙都は本当にいいやつだから、きっと相手が振り向いてくれると思う」


 真摯でまっすぐな言葉に、千沙都は苦笑した。






「うそつき」




 小さく小さく呟く。だって千沙都の好きな人は振り返ってくれない。

 好きな人がいて、まだその人が好きだと泣いていた。

 振り返ってくれない。


 それなのに、どうしてその言葉はこんなに暖かいのだろう。どうして千沙都は、こんなに幸せになってしまうのだろう。


「……ありがとう。でも、良いの。その人は振り返ってくれないもの。私は、その人が幸せなだけで、幸せになれるのよ」


 有無を言わせない千沙都の様子に、一汰はそれ以上は何も言わなかった。


 ただ、


「千沙都に好かれた人は幸せだな」


 撃ち抜かれた。



 どうしようもなくときめいて。


 耳の先まで熱くなって。


 視界が潤んで。


 やっぱりどうしたって好きなままだと千沙都は思わずにいられない。


 顔を見られたくなくてぎゅっと一汰の頭を肩に押し付けた。そうしたら余計に鼓動が早まって、失敗したかもしれないと赤い顔で千沙都は考える。

 でもいとおしくて、放すことができない。


 すぐに抗議の声が上がる。


「ちょっと」


「ご、ごめんなさい…」


 慌てて体を離せば、一汰は短くなった千沙都の髪の先に触れた。頬に指が触れそうで、また動悸がする。


「髪、切ったんだな。こんなに短いの、初めて見た」


「そ、そうね。私もこの長さは初めてよ。どう?」


 慌てて距離を置きながら短い髪を肩の後ろに払うような仕草をした。


「なんか新鮮。似合ってるとは思うけど………なんかもったいないな。長いの、凄いきれいだったから」


「一汰は髪の長い女の子が好きなのね」


「……………そう、かもね」


 ああ、失敗した、と千沙都は後悔する。けれど、一汰はまるで気にしないと言うように、明るい声を出した。


「俺さ、あいつのこと、きっぱり諦めるや」


 思わず千沙都は一汰のことを見た。


「…いいの?」


「いいの。まだ今は辛いけど、俺は千沙都みたいになりたい。相手が幸せなのを、自分の幸せって思えるようになりたい」


「………私はそんな」


 そんな、一汰が考えるほど崇高な感情ではないと千沙都は自嘲した。けれど、一汰は気にもせずに言葉を継いだ。


「それに俺、どっちも好きだから。

 二人がくっついたら、どっちも幸せになれるだろ?」


「一汰は、…凄いわね」


「千沙都は、いつもそう言ってくれる」


「だって、本当にそうだと思うのだもの」


「………俺は千沙都の方が凄いと思う」


 こんな純粋な賛辞を千沙都が受けるのは、初めてだった。


「俺は、千沙都に救われた。だから、千沙都はもっと、自信を持っていいと思う」


 気づかれていたのか、と千沙都は少なからず動揺した。無理もない。千沙都は自己に誇れるものを見つけられないけれど、それを恥じていて、必死に自信があるように見せているのだから。

 気づかれてしまうような時間を二人は過ごしていたけれど、それでも千沙都は知られたくなかった。


「………そう、かしらね」


 気まずくなって、千沙都は瞼を伏せる。


「そうだよ」


 一汰は力強く頷いて、千沙都に笑いかけた。


「千沙都がどう思ってたって、俺の自慢だから」


 どうして一汰は千沙都にいつも欲しい言葉をくれるのだろう。それなのに、本当に欲しい言葉だけは、くれないのだ。


 けれどそれは己に原因があるのか、と千沙都は思った。


 千沙都は決して自分が選ばれるとは思っていない。

 卑屈で、自分に自信がなくて、そんな自分が情けなくて、大嫌いだから。



 ああ、この想いが報われることはないのか。

 分かっていたことなのに、どうにかしてしまいそうなほどの虚無感に、千沙都はずっと胸が冷たくなった。


 苦しくなって、目を伏せる。自分が嫌いな気持ちも苦しいし、一汰に向ける気持ちも苦しかった。


 体に収めておける気持ちがもう足りなくて、瞬きひとつ、呼吸一度で溢れてしまいそうだった。


 すると、千沙都を向いていた一汰が、両手を伸ばして千沙都の頬を包んだ。真っ直ぐに一汰の方に顔を向けさせる。

 青みがかって見える黒い瞳が、静かに千沙都を見つめた。涙の跡か、仄かに赤いが、全てを見透かしそうに、澄んでいて。


「どうか、した」


「………少し、寂しいことが、あったの」


「さびしい、こと?」


「…………。少し、触れていてもいい?」


 ベンチに置かれた手に、指を伸ばす。まだ、一汰には決まった人がいないから。だから、まだ、触れることを許してください。


 誰かわからずそんなことを千沙都は願う。


 昔から、千沙都も一汰も一肌が恋しいことがあった。そんなときは互いに、他意もなく肌をふれあわせたものだった。

 もう、そんなことはできないと、思っていた。


 けれど、今だけは。



 一汰の手に指を触れたと思ったら、握りしめる前に、目の前が暗くなった。


 暖かさに包まれて、鼓動が、聞こえる。







 いとおしい、香りがした。










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