6噛みつき
新学期が始まった。私は模試の成績表を片手に溜め息をついた。
「桐ケ谷さん、どうしたの」
「………成績が落ちてたのよ。夏休み前は志望校に余裕で入れそうだったのに、今は駄目ね。入れるか危ないわ」
「まあ、こんなところでやってたら成績も落ちるだろうな」
「………。……分かってるわよ。理由は明白。勉強しなかったから落ちるのよ。自業自得よ」
私たちは屋上へと繋がる階段の踊り場で、蒸し暑さに閉口しながら話していた。
「そんなに落ちたの?」
幸野君の疑問に笑いを禁じ得ない。馬鹿すぎて笑える。
「前回の結果もあるから、比べてみてちょうだい。悲惨よ」
ぴらっと一枚幸野君に渡すと、まじまじと眺めた幸野君が難しい顔つきになった。
「でしょう?」
「……ごめん、僕、見方がわからない」
「…そこからなのね」
私はほっとしたような落胆したような気持ちで幸野君と成績表を覗き込んだ
「………まあ、中学受験は落ちたって地元の学校に行けるからいいのよ」
現実逃避ぎみに呟いた私は、破り捨てたいような気分で成績表をランドセルにしまった。
「じゃあなんで、桐ケ谷さんは受験するの?」
純粋に首を傾げて聞いた幸野君に私も首をかしげた。
「なんでかしらね…?考えたことがなかったわ」
受験をすると決めたのは自分だが、何故そう決めたのかは覚えていない。両親が、姉と兄は公立なのに―――兄はできない理由があるのだが―――何故私だけに受験をさせているのかも理由を知らない。
首を捻る。
わからない。理由も忘れてしまった。
「まあ、たいした理由じゃないのよ、きっと」
それより、と話を変える。
「幸野君は、どう?クラスで仲のいい子とかはできたの?」
質問にみるみるうちに表情を暗くした幸野君に分かってしまう。
まだ、駄目なのだ。
「大丈夫よ。そのうちできるわ。それに、私がついてるもの」
言っておきながら、なにも大丈夫じゃない。
私に何ができるっていうのだろうか。
「………あんた何ができるっていうんだ、僕に」
幸野君は正しくそこをついた。私はうっと詰まってしまう。それを見て、幸野君は苛立ちを募らせる。
「私にも…何か、出来ることは………」
「何かって何だよ。何にもないじゃん」
ばっさりとそう切り捨てた幸野君はよく分かってる。取り繕うように、私は言葉を連ねる。
「き、きっと、私にも、なにか…」
「だから、今まで桐ケ谷さんは僕に何をしてくれたっていうの?何もできないくせに、偉そうにしないで。
………そうだ。僕のことなんて、何にも理解できないくせに、お節介して、私優しいでしょって、何様のつもり?」
鋭い刃のように、幸野君は苛立ちを言葉で殴り付けるように私にぶつけた。私は驚いたのか、傷ついたのか、すぐには何も言えなかった。
「え………」
まさか、そんな風に思われていたのだろうか、と。否定できないのは、確かに私に優越の気持ちがあったのかと思ってしまったから。
「その顔が、嫌だ。自分は、何も知りません、してませんって表情。どうせあんただって、僕と同じクラスだったら皆と同じように僕のことシカトするくせに、そんなの知りませんって、清廉潔白なふりして!」
歯茎を剥いて威嚇する犬みたいだった。
私は幸野君の言いようにすごく腹が立った。間違ってないからかもしれない。勇気を振り絞って、清廉潔白な行動を選んだからだ。
「うるさい!!
うるさいうるさいうるさいうるさい!
なんでそんなに言われなくちゃいけないのよ。どうせ理解できないわよ。分かってるわ、私は幸野君じゃないもの」
「……ほら」
幸野君の言葉を肯定したというのに、幸野君は落胆したような声を出した。
「―――でも、皆と違うって気持ちなら、少しぐらい分かるもの」
「は?そんなもの分かる訳―――」
「幸野君だけが特別だなんて思ったら大間違いなのよ!幸野君だけが何かの事情を持ってるなんて思ってるんだったら、ただの馬鹿よ!大馬鹿よ!」
私は最近、私の家庭は少し変わっているのか、と自覚したところだった。皆が何か、我が家ほどの事情を必ず抱えているのだと思っていたから。
絵に描いたような平穏な家庭はほんの一部で、だから人はそれに憧れて、平穏な家庭ばかり描くのだと思っていたから。
「あなたのお兄さんってなんなの?って聞かれるのよ。私はひろき君のことを大事な家族で好きって思っていてもも、他の子に、私の兄は気持ちが悪いって言われるのよ!私の前で真似して、みんなで笑うのよ!」
いつの間に俯いていた私は、怒鳴る勢いで顔をあげて幸野君を見る。幸野君は呆然としたような顔で私を見ていた。それもそうだ、と思う。だって、これだけじゃ何もわからない。
「………知的障害。私のひとつ上の兄は私より年上だけど、心は子供なんだそうよ。今はね、施設に入っているの」
私は、初めて自分から打ち明けた。




