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4夏の終わり

 それから、私と幸野君は話すようになった。

 私は彼の自殺を止めたのだから、生きるのが楽しいぐらい思わせて責任をとろうと思ったし、幸野君は偉そうなことを言った私にずいぶん苛立っていたみたいだから、腹いせもあったみたい。


「この本はどう?」


 私たちはよく、図書館にいく。分厚いハードカバーの児童書を手渡して、自分のカゴには別の本を入れる。


「古い本だね」


 幸野君が受け取った本は、私が最近好きになった作者の本。児童書だけれど、児童書という感じがしなくて面白いのだ。


「じゃあこれは?」


「絵が女子っぽすぎて嫌だ」


「…幸野君ってわがままよね」


 これも結構好きなのに。結局なんの話だか理解できなかったけれど。


 それから読書スペースに座って、私は夏期講習の宿題を解いて、幸野君は本を読む。ああ、あれはさっき嫌だと言った本だけど……読んでくれるのか。


 ふんわりと、嬉しさが心を覆う。歴史の問題を解きながら、微笑んだ。


「……何」


「…なんでもないわ。こうやって誰かと図書館にいるのなんて、初めてだと思っただけよ」


 表紙の、キラキラした目の大きな女の子と、向かいに座る幸野君の組み合わせが、アンバランスで笑ってしまったと言ったらきっと彼は怒ってしまうから。


 静かに時間が過ぎて行く。宿題を解き終えて時計を確認すれば、あと少し、夏期講習まで時間があった。

 一息ついた気配があったのだろう。幸野君は顔をあげて私を見つめた。


「…終わったの?」


「ええ。そんなに難しいところもなくて良かったわ。……算数は別だけれどね」


 声を小さく最後を言い訳する。算数は駄目だ。解き方が思い出せないし、授業中の板書は汚くてどう解いているのかさっぱり参考にならない。


「本当は過去問もやらなくちゃならないけど…少しぐらい良いわよね」


 成績が落ちるような気もしたが、取り合えず気にしないことにする。今が楽しすぎて、勉強などしている場合ではなかった。


「……なあ、今日どんないいことあった」


 幸野君が私に訊ねた。これは、もう恒例だ。私は少し考える。


「…そうね、空が、真っ青できれいだったわね。あと、コンクリートの端っこからタンポポが咲いての」


「そんなことが?」


 下らないと、幸野君は初めそう言った。けれど、私は毎度些細なことばかりをいいことだと言ったから、最近は不思議そうにするだけになっていた。


「ええ。私、あざやかな色が好きなの。濁った色も、味があると思うわ。だから、空の色もとってもすてきよ」


「そういうもの?」


 私は笑う。


「さあ?私はこういう話をするのは初めてだから、よく分からないわ」


 いつか。幸野君が一日の幸せなことを語れるようになればいいと心から願った。そしてそれは、近いいつかのことだった。



「今日は、どんないいことがあった?」


 夏休みも終わりの頃。いつもの図書館で幸野君が私に聞いた。私は少し考えて言った。


「昨日だけれど、晩御飯のあとにシュークリームが食べられて嬉しかったわ。やっぱり、甘いものって特別よね」


 今思い出しても顔がにやける。あまりお菓子は食べない家庭だから、甘いものに対する憧れもひとしおだ。

 それを聞いた幸野君はふっと笑った。私はひどく固まった。別にそれが馬鹿にしているような笑い方だったとかいうわけじゃない。


 だって―――


「いま、いいことひとつあったわ……」


「は…?」


 呆然と呟いた私に、幸野君は笑みを消してしまう。


 けれど、その笑顔は網膜に焼きついて離れなかった。


「笑った!笑ったわね!」


 つい幸野君の手を握り、椅子を蹴って立ち上がっていた。


「な、なに…笑ったってそれがどうかしたの」


 勢いに押されるようにつられて立ち上がった幸野君は、怯えたような表情で、冷静になって私は座り直した。


「…だって私、幸野君の笑顔、初めて見たもの」


「…………」


 自覚があるからか、自覚がないからか、幸野君は黙ったまま俯いていた。


「……僕の笑顔がいいことなら、今日、いいことあったよ」


「え……?」


 私はまた、固まる。

 今日は初めてのいいことがたくさんある。ふたつもある。幸野君もあるんだから、合わせたら、無敵だ。


 口を開こうとしたら、喉が緊張で乾いていることに気がついた。かすれる声で尋ねる。


「どんないいことが、あったの?」


 シャーペンを持つ手が、字を刻めなくて、私は震えていることに気がついた。もうきっと、こんなに緊張することはないだろうと思う。2月1日だって。


 幸野君が口を開いて、感情が高ぶった私は嬉しさに泣いてしまいそうな気がした。

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