2手を伸ばす
私たちが出会ったのは、暑い夏の日。小学生の時のことだった。
今でも覚えている。茹だるように暑かった、小学6年生の8月。
塾の夏期講習の合間に、時々学校の夏休みのプールに参加していたから、ふと目につく人影にも気がついていた。
解放されていないはずの屋上に、つまらなそうに立ち尽くす、金髪の少年。
勇気を振り絞った。
人気のない校舎の、冷えた湿気と、どこか濃い夏の空気。炎天下の元で熱い顔を冷やしながら、階段を、一段一段登る。
確か、一歳下。金髪の転入生がやって来たと、しばらく前に話題になっていた記憶があるから。
「……あつい…。………やっぱり、やめておいたほうがよかったかしらね…」
呟く。もし先生に見つかったら怒られてしまうだろう。それは恐いし、恐いのは苦手。だけど、あの子に会ってみたいとも思うから。
屋上へ続くドアを開けると、真昼のきつい陽射しが強い熱気とともに流れ込んだ。つい腕でそれを防ぎながら、目当ての子を探した。その子はすぐに見付かった。
「…な、なにしてるの!?」
呆然としてから声をあげる。
「危ないわよ!お、降りて」
フェンスに足をかけて登っている少年がいた。それもかなり上の方。金髪が陽射しに反射して眩しくて、私が探していた子だと分かったけれど、どうしてそんな風になっているのか分からない。
精一杯声を張り上げたから、聞こえていないはずはない。なのに、少年は振り向きもしなかった。
「お願い!降りてきて、危ないわ」
落ちたら―――死んじゃうのよ。
続いた言葉に少年は過敏に反応した。
「………それで、いいから―――それが、いいから」
少年は言葉少なにそう告げた。決して大きな声ではなかったのに、それは私によく届いた。
言葉の意味を理解するのにしばらくかかった。余りに馴染みが無さすぎて。
しにたい、の?
震える声で告げたそれに、悲しいほどあっさりと少年は首肯した。
かっと顔に熱がのぼる。そんなの駄目だと、初めてなほど強い感情で思った。
「駄目よ!降りてきなさい!」
風が吹いたと思った。スカートを風が揺らす。髪が浮く。フェンスが小さく鳴る。気持ちが昂るままに、叫んだ。
「死にたいなんて、考えないで!生きてれば、絶対にいいことがあるわ。必ずよ!だから、死のうとなんてしないで!」
私はあの子のことを何も知らないけれど、ただ、死んで欲しくなかった。諦めたような瞳が、泣き出したくなるほど嫌で堪らなかった。
「………いいことが?そんなもの、どこにもなかった。僕はそんなもの知らないよ」
少年は悲しそうに、淋しそうに、言い捨てた。投げ遣りで、私の言葉なんて、一寸たりとも届いてなかった。
けれど、生きることに理由なんて持っていなくて、未来にわかりやすい希望なんかも持っていなかった私は、自分が生きてるのに相手が死のうとするのが許せなかったのかもしれない。
「じゃあ!私が探すから!私が、あなたと一緒にいいことを一緒に探すから!」
思い付くままに、再び叫んでいた。
良いことってなんだろう。すぐには思い付かない。
風が吹く。今度は強い風。ばたばたとスカートが翻る。髪が浮かんで視界を奪いそうになる。フェンスがまた、音をたてて、ガシャンと、揺れる―――
「危ない!」
悲鳴じみた声をあげた。気がついたら、腕を伸ばしていた。地面を蹴っていた。こんなに早く動けるのは初めてだと思う。
少年が足を滑らせて、落ちた。
私は、必死に走る。間に合えと、妙にゆったりと動く時間の中で思考ばかりが焦った。
「きゃ……」
落下する影に、ついまぶたを閉じてしまったが、なんとか受け止められた。鈍い痛みが肩や足を襲うけれど、それはきっとお互い様だ。
そのまま、きつくきつく、抱き締める。
「…………離して」
そう言って少年が暴れたけれど、放さない。良かったと安堵するほどに、もう二度とあんな光景を見たくないと思った。引き留めるように強く。
「…離せよ!」
怒鳴られて、私は怒りを覚えた。自殺をはかるほど追い詰められた人間にやることじゃないかもしれない。けれど、私は子供だったから、思ったそのままを怒鳴り返した。
「ふざけないで!こんなことしてる暇があるなら、誰かに相談して!死のうとするなんて、私は絶対認めない!認めないわ!」
ぶつかった肩が鈍く痛くて、余計に腹が立った。
なんの関係もない、ただの初対面の女子にそんなことを言われて驚いたのか、その子は静かになった。
「………あんたが、何をしてくれるっていうんだよ」
不快感を顕に言い返された。
「…あんたじゃないわ。私は6年1組桐ヶ谷 千沙都よ。
あなたの、名前は」
不機嫌に言い募れば、その勢いに押されたのか少年は名前を告げる。
幸野 一汰
ぶっきらぼうに名を告げた少年は、5年3組だと付け足した。




