第二十三話 ようこそ、植田へ(前編)
天道の家は城下町の端のほうにある。大通りからも少々遠いが、その分、広く大きい。店と複合している家屋は二階建てで庭と倉庫付きである。
風牙と荊花がその忍び名を授かった翌日。巳の刻(午前10時ごろ)、一人の人物がその天道の家、玩具屋のおひさまを訊ねていた。菫色の小袖と袴……真木薫である。
「頼もう。天道殿。風牙殿と荊花殿はおられるか?」
周囲に客がいないことを確認したうえで、薫は尋ねる。さらに店先で話すのもなんだから、上がって話せるかとも尋ねる。天道はにこやかに笑ってちょっと待ってねと言って裏にひっこんだ。
「風牙、荊花。お客様だよ。真木さんのところの娘さん。薫さんだよ」
荊花は庭で体操をしており、風牙は梢と拓に文字を教えていた。一度中断だと言って風牙と荊花は言い、薫を迎えた。
「薫殿、いかがなされた?」
風牙の硬い出迎えに薫はぽりぽりと頬を掻いた。
「あー、その……殿と父上に言われてだな、この街のことを少し案内せよとのことだ。二人とも着任したばかりでこの街のことを知らんだろうと思ってな」
七保志盛光の目となり耳となってこの街のことを知らなければならないとは思っていたが、案内があるのなら僥倖だ。理解が早くなる。
ただ、風牙と荊花は忍びである。おいそれと日向を歩んで、街の者と顔見知りになるわけにもいかない影の者だ。そのために、やらなければいけないことがある。
四半刻(約30分)ほど時間が欲しいと風牙と荊花は申し出る。どのような準備だと薫はいぶかしむが、断る理由はない。その間、梢と拓の相手をしながら待つ。
その四半刻が経ち、薫は驚いた。現れたのは風牙と荊花であった。判断した基準は、服がまったく同じだったからだ。だが、それがなければ風牙と荊花とまったく気付けない。その容貌はがらりと変わっていた。
風牙は薫とだいたい同じ歳のはずだ。だが薫の前に姿を現した彼は、顔にシワが刻まれており、髪が灰色にすすけていた。あっという間に三十ほど歳をとった……薫の父の慎一郎に近いくらいの歳になったのではないかと思うくらいの変わりようであった。
荊花はまぶたに銀を塗り目元の印象を鋭くしていた。もともとくくりくりとした丸目の荊花であるが、これにより雰囲気が様変わりしていた。
「変わり身の術というやつか! すごいな……まるで別人ではないか」
感心する薫。荊花はそれほどでもと謙遜したが、にんまりと笑っており内心は褒められてまんざらでもない。一方、風牙のほうは表情を変えず、感情の起伏を示さなかった。それどころか、冷たい目を薫に向けている。
「薫殿……先程の通り、俺達は忍び……本来ならいないはずの人間です。今の拙者達は行商人の風五郎とあざみということにしておいてくださいませんか」
承知したと頷く薫。しかしその顔にどこか寂寥の念が浮かんでいるのを荊花は感じ取った。風牙が忍びとして、薫との関わりに一線を引いたのが分かったのだろう。仕方がないこととは言え、理解するとそれは確かに悲しい。
「ねーねー風牙ぁ、ちょっと硬すぎない? せっかくの同い年くらいの三人でこれから仲良く街の散歩に行くんだよ。もっと砕けたほうがいいんじゃない?」
にやにや笑いながら風牙を茶化すように荊花は言うが、どちらかというと薫に対する助け舟のような気持ちであった。そしてやはり、今の荊花の言葉に薫の表情が明るくなる。目つきや生真面目さは父親の慎一郎に似ているが、表情を変えず何を考えているか分からない慎一郎と比べ、薫はよく表情を変える。
「忍びとはそうでなくてはならん。ましてや薫殿のことを考えればこそ……」
「へぇ~、さっすが風牙。薫ちゃんのことちゃんと考えてあげてるんだ。やっぱり忍びの里にいた女の子よりも薫ちゃんの方が魅力的なんだ?」
からかう荊花に、そんなつもりはないと声を張り上げる風牙。しかしそれすらけらけらと荊花は面白がって笑うばかりだ。
「冗談だって、そんなにムキになっちゃって~。まあそれでも薫ちゃん」
笑っていた荊花であったが、その笑顔を消して、真剣な表情で薫に向き直る。
「風牙の言うことも本当。アタシたちは忍び。街の人と仲良く顔なじみになるというわけにはいかない。それに薫ちゃんもアタシたちと必要以上に仲良くなると厄介なことにも巻き込まれる……」
このことは良く胸に留めてアタシたちと付き合うこと、と荊花は人差し指をピシッと立てて薫に示す。薫も真剣な表情になり頷いた。
「まあ、たまには茶屋で甘味とお茶でも一緒しようか? この『あざみ』の姿でさ」
「それは私としても嬉しい。ぜひご一緒したい」
早速打ち解けている様子の荊花と薫。荊花が風牙に目を向け、軽く顎をしゃくる。そんなところにいないで、風牙のほうも来いと。
風牙は少し戸惑っていたが、頷いた。薫から得られる情報もまた何かあるはずだと、少し打算もある。
「……それでは薫殿。よろしく頼む」
まだ殿付けではあったが、少なくとも堅苦しいですます調は捨てた。そんな彼らを天道は離れたところで腕を組んで目を細めて頷いているのであった。
―――
街に繰り出した薫と、変装をしている風牙と荊花。どこに行くかと訊ねる薫に風牙は答える。
「薫殿にお任せするが、服屋・布屋、薬屋は見ておきたい」
変装のために服はあるだけあったほうがいい。布に関しても自作で服を作ったりするため。また薬はもちろん、傷薬として自分で使ったり、毒殺のために用意したりと、いろいろだ。
「行くのはいいけどお金はあるの?」
訊ねる荊花。それを聞いて薫がふっふっふと笑い出す。
「そんなこともあろうかと、殿と父上が小遣いをくれた。大銀貨五枚分だ」
荊花が目を丸くする。表情を出さない風牙も驚きに片眉を掲げていた。大銀貨一枚は日雇い労働の日勤一日ぶんくらいだ。中古の服を買うのなら、そんな立派な物を買わなければ大銀貨一枚で四着は服は買えそうだ。
それだけ貴殿たちは期待されているのだぞ、と薫は笑った。
「ご、ご期待に応えられるよう、努力します……」
思わず硬い口調になってしまう荊花。風牙も頭を下げていた。
これで服を買うとなると結構な荷物になってしまう。先に薬屋を覗いてみようと荊花は提案した。
往来を行きながら薫は、植田の城下町について簡単に説明する。人口はおおよそ五千から六千人ほど。大月の城下町ほどではないがだいたいの物は揃うが、ちょっと良いものは大月に行くか、あるいは行商人から買う。
気候はだいたいの大月の国の中で言えることだが内陸らしく、夏は暑く冬は寒い。ただ、晴れの日が多いので、山はともかく植田の城下町は降水量は少なめであり、冬も雪が積もることは少ないとのこと。
季節によって気温の上下は大きいし、日中の変動も大きい。ゆえに体調を崩さないように気をつけたほうがいいと、薫は風牙と荊花に告げた。風牙たちの故郷、賀神忍流の里は山中にあったため天気自体の変わりが激しかったので、植田は少し異なるようだ。気をつけておくと二人は答えた。
そうしているうちに薬屋、芍薬堂についた。古めかしい造りで、店内は少し薄暗い。店に入ると店主らしき老人が座っており、書を読んでいた。
「失礼する」
「おやおや、真木殿のお嬢様。お久しゅうございます。本日はどういった用事で?」
少ししゃがれつつも全てを受け止めるような柔らかく穏やかな声が薫と風牙たちを出迎えた。とくに用事はないが、行商人の案内だと薫は伝えた。老人は薫の背後にいる風牙と荊花を見て頷く。
「行商の旅で何かと入り用なものがございましょう。何かありましたら買っていきなされ」
傷薬や包帯、毒消しや虫下し……おおよそのものはここで手に入りそうだ。あるいはその気になれば毒殺用に悪用できそうなものも……風牙と荊姫は頷きあった。冷やかしも失礼なので、包帯と傷薬を買って店を出る。
忍びとして実用的な店は気になるのだが、風牙たちはこれからこの植田の街で暮らすのだ。その暮らしに根ざした店も知っておきたい。荊花がそう言うと薫は頷き、市場の方に行こうと言う。ここからすぐだ。
植田の街にはいくつか大通りがあり、そのうちの一つが食料品関係の大通りだ。いろんな店が店が並んでいる。米屋、八百屋、味噌屋、酒屋、蕎麦屋、菓子屋、魚屋……魚に関しては川魚がほとんどだ。海の物は少なく、あっても硬く干されている。
「大月の国は港が底田にしかないからな。その底田のものもだいたい大月の本都で消費されてしまう」
薫が解説する。このあたりは星五谷に似ている。ただ、果物や野菜に関しては周辺で作られるので新鮮だ。このあたりは星五谷とは大きくことなるだろう。
具体的に果物は桃、ぶどう、梨、柿が盛んだ。果物以外も米を始め、大根などの野菜もよく取れる。他に特筆することとしては、昨日話題に上った、天道が開発した茸、永茸はここだけの特産品と言えよう。それから、蕎麦の生産が多い。
「ちょうどいい。昼は蕎麦にしよう。どうだろうか?」
「お、楽しみ! アタシたちがもともといたところはどちらかというと、うどんが多かったからね」
薫の提案に荊花はにこにこ笑う。風牙も頷いていた。彼女のお気に入りの店という山月亭に入る。時間も午の刻の早いころ(午前11時過ぎ)だったので、店は比較的空いていた。
「亭主、今日は三人だ。空いているだろうか?」
「おお、その声は我が友、薫ではないか」
「……その冗談は飽きた、亭主」
薫が眉を寄せて顔を片手で抱え込みながら首を振る。対して釜に向かっている四十過ぎほどに見える亭主は肩をすくめる。
「相変わらずつれないねぇ薫お嬢。二十年来のつきあいじゃないか」
「私はまだ十七だ」
「お父上を含めれば二十年だ」
「父上を含めるのは反則だろ!」
怒ってみせる薫に亭主はからかって悪かったと言って薫に席を指し示す。木の実が大丈夫かを確認したうえで蕎麦を茹で始める亭主。
まもなく、一行にせいろそばが出された。さらに横には薄く切られて炙られた茸のようなものが添えられている。薫曰く、これが永茸だそうだ。他に見慣れぬものと言えば、横にあるそばつゆは黄土に近い茶色に濁っている。
「ああ、植田での蕎麦は醤油じゃなくて、くるみだれだ」
手を合わせていただきますといい、薫は箸で蕎麦を取ってその茶色のつゆに浸して食べる。その動きに迷いはない。
ここがそういう食べ方なのだと思った風牙と荊花は同じように手を合わせていただきますと言い、薫の動きに習った。
「おお……」
風牙は思わず声を漏らす。蕎麦はそばがきなら食べたことがあるが、その時はネチョネチョしていて食べづらいなと思っていた。だがこの細く切られた蕎麦はつるりとしていて食べやすい。そばがきの時は嫌に強いと感じた風味も抑えられ、だがしっかりとうどんとは異なることを主張してくる。鼻の奥をくすぐるかすかな重みが心地よい。
「うわなにこれ美味しい!」
荊花も感動していた。蕎麦もさることながらくるみだれである。甘味とともにくるみに含まれていた油分が満足感を出していた。それをたっぷりと蕎麦が絡みつけて口の中に入ってくる。甘味だけではない。つゆの醤油の塩味が甘味を引き立てつつ香りで自分を忘れないように顔を出している。その複雑な味わいに荊花ははしゃぎたい気分であった。
黙々と食べる三人。味を語りたい気持ちもあるが、それ以上にまた次の一口を食べたいという気持ちがはやって出る。
「お嬢も連れも良い食べっぷりだな。おかわりいるか?」
「欲しい!」
荊花が真っ先に手を上げる。風牙と薫は顔を見合わせ、ちょっと笑って自分たちも食べると手を上げた。
せいろが全員にもう一つずつ運ばれる。三人は笑顔で箸を伸ばした。
さらに、食べているのは米と同様のものだ。ただくるみを食べて醤油を舐めているわけではない。しっかりとお腹に溜まっていく。食べ盛りの若き三人にとってもありがたい話である。
永茸も忘れてはいけない。薄く切られて炙られたそれに歯を立ててみるとイカのようなしっかりとした弾力がありなかなか噛み切れない。しかしそれがゆえに噛めば噛むほど旨味が出てくる。ただイカのような磯臭さではなくヒノキのような香りと、炙られたための香ばしさが漂っていた。
風牙と荊花は唸る。おいしいし、何度も噛むことによって満足感も出てくる。寂淵が「飢饉の時に飢えもしのげた」と言っていたところから、栄養も良いのだろう。これを開発したのが、自分達が居候している、どこかふわふわと掴みどころがない半永夫の七保志天道なのかと思うと、不思議と言おうか、驚きがあった。
これまで賀神の忍びの里より外は学びや情報以外でしか知らなかった。いろんな国があっていろんな訛りがあっていろんな特産品があっていろんな土地柄の気質があって……と学んでいたが、いざ実際にその地に身を置くと、知らなかったことがたくさんあると驚かされる。
盛光に認められ、一応一人前の忍びにはなったが、まだまだこれからも修行だなと、二人は永茸を噛み締めながら思っていた。
お久しぶりです。ちょっと他の小説にも手を出したので更新が遅れました。
そのようなわけで城下町の案内・情報回でした。
ええ、ええ、分かってます。注釈をつけさせてください。
一応この小説は日本の戦国時代をモチーフに書いております。その時代、うどんはあったようですが、そばは今のような麺タイプではなく、途中で風牙が言及していたそばがきタイプしかなかったと言われております。
しかし……しかしどうしても植田のモデルとなった上田の感じを出したくて、くるみそばを出すことになりました。実を言いますとこのためだけに夏に二日連続の休みがあったときに、長野県上田市まで足を伸ばしました。くるみそばも食べましたし、長野県の御当地スーパーのTSURUYAに行ってジャムとかコーヒーとかレトルトとかくるみだれを買い込みました。はい。
もう少し植田の案内が続きます、おたのしみください。




