第二十四話 ようこそ、植田へ(後編)
蕎麦を食べてお腹いっぱいになったところで、薫は腹ごなしに少しだけ街を離れたところを散歩しようと言った。お気に入りの場所があるらしい。
三人は城下町の通りを歩く。昼時の市場は賑わっていた。野菜売りの声が飛び交い、魚屋ではどの料理の仕方が美味いと声が上がり、客たちが買っただの安くしろだの声を上げている。
だが、そこを抜けた先で風牙はこれはどうしたと、眉をひそめた。
「薫殿、これは一体……?」
服屋や雑貨屋が並ぶ通りは妙に静かだった。人通りはまばらで、店先に座る店番たちもどこか気だるげである。並べられている品も少ない。昼時だからというだけでは説明のつかぬ寂しさがある。踏まれる心配がないと言わんばかりに猫が数匹、闊歩したり、店の軒先で昼寝をしている。
「売るものないのかな? そもそも売る気力も無いって感じだし」
荊花も気づいたようで、薫に訊ねる。訊ねられた薫は酢でも飲んだような顔つきになった。
「……丑田屋のせいだ。最近はこの通りも、活気がめっきり落ちてしまってな」
個人の商店では太刀打ちできない大きな商家があるのだろうか、と風牙は考えたが、少々違っていた。
「丑田屋が商品を店から買い占めてしまうらしい」
大勢の客が並んで買っていってくれたと思ったら、それらは全員、丑田屋に雇われていた浪人や無宿者。買われた物は丑田屋の商店でより高い値段で売られる。
買い占められているのは店先のものだけではなく、行商人からもたらされるものも含まれている。国外よりもたらされる布や陶器、酒などが買い占められる。
店としては金が手に入るから良いように見えるが、他の客から品がないことに不満を言われるらしく、気持ちも落ちている。
これで特に困るのが服屋や仕立て屋だ。布を買われてしまい、服を売ることができない。
ということで、服屋に行くことも所望していたが、もしかしたら物は少ないかもしれないと、薫は申し訳なさそうな顔をする。
「ひどい話だね、暴動とか起きない?」
「実際に暴動は起きた……ん?」
曇った顔をした薫が何かに気づいて視線をそちらに向ける。その顔は曇ったままだ。
視線の先にいるのは熊のような男であった。身の丈は五尺半(約165cm)ほどで、体重は二十七貫(約101kg)もあるのではないかと思わせる。その成でさらに髭も生えており威圧的極まりない。だが、背中を丸めてとぼとぼふらふらと歩いているその様子はおおよそ脅威的には見えなかった。
この町の大工の勝吉だと薫が説明する。そうして、手を振った。
先方も薫に気づいたらしく、片手を挙げて、のそのそとこちらにやってきた。
「真木のお嬢じゃねえか」
親しげに呼ぶ勝吉の息はまだ昼だと言うのに酒精にまみれている。だが美味い酒というわけではなかったことを、彼の暗い声が物語っていた。
「勝吉……傷の調子はどうだ?」
訊ねる薫。まだちょっと痛むと勝吉は答える。彼の胸には、袈裟懸けの傷が走っていた。大工仕事でできる傷には見えない。浅そうだが、刀傷だ。風牙と荊花の目が細められる。
「さっき言った暴動だが、とうとうこの勝吉らを始め、大工が怒って立ち上がってな……」
薫が説明する。
一月ほど前、街の大工たちが徒党を組んで丑田屋に迫った。先頭を切っていたのは勝吉。丑田屋の買い占めによって、工具が手入れできなくなったり、端材を使って小物を売ることができなくなってしまった。そのため、恨み怒りを積もらせていた。
彼だけでない。多くの大工が困っていた。また、勝吉を始め多くの大工は子持ちであり、子どもに玩具を買ってやれなかったという恨みもあった。
力持ちで血の気も多い大工たちは丑田屋に迫ったが、刀や槍を向けられたらさすがにそれ以上進めない。いや、ただ向けられただけではない。浪人の刀が勝吉の胸を浅くではあるが傷つけた。大事には至らなかったが、実際に傷つけられた大工たちは士気を削がれた。
それ以上の騒ぎになる前に薫などを始め、植田の役人達が介入してなんとか騒ぎを抑えた。刀を振るった浪人は捕らえられたが、あくまで防衛のためと主張し、役人もそれを崩せなかったため、あまり重い罪には問えなかった。
「なあ、お嬢……あの丑田屋、いつになったらとっちめられるんだ?」
「すまない……殿も心を痛めており、なんとかしようとしているが、なかなか思うようにいかないらしい」
自分は政が分からないから、端から見ることしかできないが、と薫は申し訳なさそうに言う。その薫に酔っている勝吉は熱が高まる。
「そう言っていつまで放置してるんだよ。あんなやつ、とっとととっ捕まえて磔にでもすりゃあいいんだ!」
「……正直なところ、私もその気持ちは分からないでもない。が、貴殿自身のためにも滅多なことは言わないで欲しい。頼む」
薫は勝吉の顔を覗き込む。女の武器を使っていない、真摯で真っ直ぐな瞳。それに見られて勝吉はうつむいた。
「頼むぜ。この怒り、殿様に向かないようにするためにもよ」
「ああ、そうすると私は貴殿を斬らなければならなくなるからな。そうはならないように努力する」
その声は、苦渋が滲んでいる。そんなことは絶対にしたくはないが、そうせざるを得ないし、そうするという覚悟が硬い。勝吉は何もいわずにふらふらと去っていった。
去っていく勝吉の背中を見ながら薫はつぶやく。
「勝吉の怒りももっともだ。彼の言う通り、丑田屋をどうにかしたほうが良いのかも知れない。だが、そうすると今度は他の商人からの反発は免れない。さりとでどうすればいいのか……政は難しい」
そこをどうにかしてくれるのが七保志盛光なのであろうが、その考えはまだ若い薫には分からないとのことであった。
沈んだ調子であった薫だが、鼻をふんと一回鳴らして表情を変えた。さあ、言っていたお気に入りの場所に行こうと促す。確かにここで嘆いたり難しいことを語り合っても仕方がない。
通りを抜けようとする一行。猫が不思議そうに三人を見上げ、そして通りをよぎって裏に消えた。
―――
薫がやってきたのは、植田城の近くにある小さな丘の上だった。鳥居と境内と祠だけの小さな神社があるが、薫が誇るのはそこではない。
「……おぉ~」
荊花は思わず感嘆の声をあげる。眼の前に広がるのは蓼食山を始めとする緑の山々とそれに囲まれる植田の城下町の屋根の湖……左に目を向ければそびえ立つ植田城。
「どうだ、悪くない景色だろう」
薫が得意げに胸を張る。普段は剣の稽古は城下の道場で行われるが、たまにここで一人で稽古をすることがあった。また、一人で考え事をしたいときはここに来ることが多いのだという。
薫の自慢に風牙と荊花は賛同して頷いた。二人の反応を見て笑う薫だが、照れくさそうに頭をかく。
「まあ、自慢はしたのだが別にここは秘密の場所でもなんでもなくてだな」
実際、来る人は少なくても小さくても神社がここに建てられているので、ここは公共の場だ。現に。
「やや、薫殿ではござらぬか!」
明るく若々しい男の声が響き渡った。振り向いてみると、辛子色の小袖と茶色の袴に身を包んだ若武者がそこにいた。歳はこの場にいる者と大して変わらない。
風牙と荊花は、その若武者に見覚えがあった。昨日、自分たちに盛光から試練達成の書状を持ってきた若武者だ。姿を認めて薫は手を振り返した。
「む、見慣れぬお方だが、そこの二人は?」
一方、若武者は風牙と荊花に目を向ける。疑っているというより、純粋に誰なのだろうと興味を持っているような目であった。こちらの正体や、昨日実は会っていることも気づいている様子はなさそうだ。
「ああ、この二人は……行商人だ。ちょっと真木家が世話になってな」
「そうでござったか。これはこれはようこそ植田に。某、七保志家の家臣、工藤孫兵衛と申す者でござる。いやあ、丑田屋の騒ぎで大変なところようこそおいででござる」
若武者の名乗りで、風牙と荊姫は始めてこの若武者の名前が工藤孫兵衛ということを知った。
そして、ここでもやはり丑田屋の名前が出てくる。相当な問題になっているようだ。ただ、行商人のふりをしているが風牙たちはそのことを知らない。適当に話を流す。
「ところで孫兵衛はどちらに?」
薫も変に風牙たちとの会話でボロが出ないように、自分に注意を向けさせた。幸い孫兵衛は特に気にすること無く、薫との雑談に戻る。
「これから田植えの様子を見てくるでござる。薫殿やお二方も参られるか?」
「気持ちはありがたいが、今日は遠慮しよう。この二人の街案内がある」
薫の言葉に風牙と荊花も頭を下げて辞退する。一瞬、孫兵衛は寂しそうな顔をしたが、すぐに太陽のような笑顔を浮かべる。
「用事があるのならば仕方がないでござる。では某は行ってくるでござる」
頭を下げて孫兵衛は丘を下り、城下町の外へと向かっていく。意気揚々と、歌を歌いながら。
―― 峠道 里の田植えを 見れるなら 足取り軽く 植田の道を
「あ、あの歌……大月から植田の帰り道で孫兵衛が歌ってた歌だね」
荊花が北登の町での連歌会を思い出しながらつぶやく。そうだったか、と薫は腕組みをし、孫兵衛を見送りながらつぶやく。
「孫兵衛は私より一つ下だが……あのように元気に動き回り、皆を明るくする。私も助けられたことがある。街の皆も、な……」
その目が再び、城下町に向けられる。
「戦国乱世とは言えど、幸いこの城下町は戦火に曝されず平和だ。私はそんな平和が続けばいいと思っている。だが……」
丘から見る植田の城下町は太陽に照らされ明るい。だが、光に照らされるところあれば影もまたできる。食品の市場は賑やかであったが、雑貨や服屋の通りは閑散として沈み込んでいた。平和に見えても苦しんでいる者がいる。
「風牙殿、荊花殿」
周囲に他の人がいないことを確認した薫は、二人の忍び名を呼ぶ。
「殿のあの名簿に名前が乗らなくても、私たちはこの植田のために働く同志。ともにこの植田を良くするため、力を貸して欲しい」
「もちろんだよ」
薫の要請に、荊花は握りこぶしを強く握って見せて賛同し、風牙も力強く頷いた。薫はありがとうと言い、照れたように笑う。
「……っと、硬く湿っぽい話になってしまったな。とにかく、私の好きな植田の景色を見せたかったのだ」
それでは、街に戻ろうか城下町に足を向ける薫。最後に変装などのための服や布を買って今日の街巡りは終了だ。薫に風牙と荊花は続く。
光あるところに影はある。平和に見えても苦しんでいる者もいる。それどころか、闇影の中には植田の平和を脅かそうとする者どもがいる。
自分たちは七保志盛光の影として、その闇影に潜む物を、影を持って制するのだ。
街に向かって歩く、日の光に照らされる女武者を背後から見ながら、二つの影は心に誓うのであった。
そのようなわけで第二十四話にてこの第四章『新たな古里、植田』を締めさせていただきます。
凪あらため風牙、雫あらため荊花が暮らす舞台の紹介の章でした。和風にファンタジーを絡めるべく、エルフも出したパートでした。このために上田に行ったりもした章でした。アクションや緊迫がない章でしたが、お楽しみいただければ幸いです。
さて、次回から忍者活劇らしく、任務の章に移ります。お楽しみいただければ幸いです。




