第二十一話 風と荊
暮れ六つの鐘が植田の城下町に鳴り響く。その酉の刻(午後6時)は逢魔が時とも呼ばれる。あるいは、相手が分からなくなる上に黄昏の由来は誰そ彼と言われるような時だ。
この鐘が鳴ればだいたいの店はおしまいだ。橙の斜陽を背に、通りに出していた屋台は片付けを始め、表に看板を出していた店はそれをしまう。逆に酒屋は暖簾を出し提灯を掲げて店を始める。
そんな鐘が鳴り響く中、凪と雫、そして梢と拓は七光寺の門の前に立っていた。
鐘が終わるとともに、門から二つの人影が現れた。一人は真木慎一郎だ。もう一人は菫色の小袖と袴に身を包んだ女……歳は凪や雫と変わらないだろう。厚めのくちびるは軽く笑みを作っているのだが目つきが鋭いためか、どこか自信家のように見える。その目はどこかで見た気が、凪と雫はした。
漆のような黒髪を後頭部で束ねている。胸は雫にまさるともおとらないが、袴で胴回りを絞っているがゆえに余計に目だって見える。その袴には刀が二本差されている。
「貴殿が凪殿と雫殿か」
こちらの姿を認めた女侍のほうが声をかけてきた。慎一郎と一緒にいるなら、信頼していいだろう。慎一郎も頷いている。凪と雫は頷き返した。
「私は真木薫。真木慎一郎の娘だ。喉を負傷し声を出しづらい父の補佐としてこの度、貴殿らの仕官の儀に同席することになった。よろしいか」
彼女の名乗りを聞いて凪たちは納得した。その目がどこか似ていると思ったのは、父親の慎一郎に似ているからだ。ただ何も読めない慎一郎と違って、薫の目は、凪や雫と同じように、若さゆえの輝きがあった。
さて、凪らとしては別に良いのだが、自分たちの存在はできるだけ秘匿したいのではなかったのか。凪と雫は慎一郎を見た。
喉が潰れている慎一郎は何も言わない。ただ頷いただけだ。おそらく了承しているということだろう。それならば、凪たちにも否はない。
それではこちらへ、と凪たち四人は案内される。
寺の本堂に凪たちは案内された。ここで薫に待つように言われる。慎一郎が席を外す。まもなく、植田領主である七保志盛光と筆頭家老の浅川安宗が本堂にやってきた。
「ご足労ありがとう、凪に雫よ。それから……」
細い目をさらに細めて盛光は梢と拓を見つめる。思い起こせば、子ども二人の存在は伝えていたが、名前は伝えていなかった。ほら、ご挨拶、と雫が二人をつつく。
「こずえともうします」
「たくともうします」
下座してたどたどしくも、梢と拓は名乗った。よしよし良い子だ、と盛光は笑ってから、凪と雫に向き直った。
「まずは賀神忍流の凪、同じく雫。良くぞワシの試練を乗り越えた。昼に渡した書状の通り、お前たちを七保志家に召し抱えよう。ワシの影となって働いてもらうぞ」
凪と雫は頭を下げてその命を受諾する意思を示す。しかし、と盛光は続ける。
「砕牙から聞いたのだが、お前たち賀神忍流の者は一人前として認められると、忍び名を与えられると聞く」
つまり、凪や雫の名前は幼名のようなもの。仕官するにあたり、その名前を使い続けるのは格好がつかない。
「そこでだ。本来は忍びの里の師匠から授けられるとは思うのだが……この度、ワシらの方からお前たちに忍び名を授けようと思うのだが、どうだろうか?」
凪と雫がハッと顔を上げる。あの里の襲撃がなければ自分たちは、師匠の虎牙から忍び名を与えられ、忍びとして働いていたことだろう。しかし、里は焼かれその機会も、家族も失った。
盛光の提案は願ってもない話であった。
「ありがたき幸せ……!」
頭を再び下げた凪と雫に、盛光は嬉しそうにンフフと笑った。
それであればと盛光は安宗に合図を送る。頷いた安宗は頭を下げて中座し、まもなく一人の僧侶を連れて戻ってきた。
異様な雰囲気の僧侶であった。鈍色の法衣を乱れなく着ており、さらにへの字に硬く結ばれている口が頑固そうな印象を強めている。目元には大きな刀傷が入っており、そして両目は白く濁っていた。
濁った目が、凪と雫をまっすぐに捉えていた。おそらくその目は見えていないはず……だが凪と雫は、その目に全てを見透かされているような気分であった。
僧侶は不機嫌そうにふんと鼻を鳴らす。そして盛光に向かって低く重く濁った声で話す。
「盛光……話していた、此度の名授けをする者はこの二人か」
歳はかなり上のようだが、一介の僧侶が領主に向かって敬称もなく横柄に話している。
一体何者だと驚いている凪と雫に、盛光が紹介する。
「この七光寺の住職を務めておる、七保志寂淵。ワシの大叔父上でもある」
「数十年前の戦で目に傷を受けてから見えなくなってな。そしてこの寺にお払い箱よ」
紹介された寂淵は不機嫌そうに低く唸るような声で言う。安宗が困った顔をする。
「これ寂淵殿。なんということを言うのじゃ……」
苦言を呈するが、否定をしていない。そのことから凪は察する。寂淵の言ったことが嘘ではないと。この寺は七保志家の血を継ぎつつも火種の元となりかねない人物を幽閉する場。意外と闇が深いようだ。
しかし盛光は特に気にした様子もなく、ンフフと笑って軽く寂淵の肩を叩いた。
「されど大叔父上はこの寺の者を見事にまとめられております。それもあって七保志家の者や家臣たちは、子が生まれた時や元服の時の名付けの際は此度のように大叔父上を頼り、また迷われた者を大叔父上は静かに諭し、静かに話しをしたくばこの場を貸す……植田には欠かせぬ者にございます」
「……世辞を言うても何も出ぬぞ、盛光」
低い声で唸るように寂淵は言った。しかし、盛光の言葉にうんうんと若い薫が目を輝かせて頷いている。盛光の言う、名付けの件や相談事、場所貸しに関しては事実なのだろう。そして少なくとも薫は、寂淵のことを植田に欠かせない人物と思っているようだ。
加えて、この寺は管理が行き届いている。本堂に置かれている像は丁寧に掃除されている。床も掃除されている。境内には落ち葉が落ちていなかった。それが、この七光寺がただの厄介払いの箱の掃き溜めではないことを物語っていた。
「さて、大叔父上はな……魂の色が分かるのだそうだ。その者の魂の色を見て名を与える」
「魂などと仰々しい。同じ者を見ても後から見たらその色が変わることなどよくあること。だが……」
相変わらず寂淵の目は白く濁っているが、まっすぐ凪と雫を捉えている。
「見えるが故に視えぬものがある。見えぬが故に視えるものがある。うぬら……幼き身なれどすでにずいぶんの業を背負っているようだな……」
思わずうめき声を上げて、凪と雫は同時に自分の胸を押さえた。濁った寂淵の目から光が放たれて自分を貫いたかのように感じた。
もちろんそのようなことはない。今の痛みは寂淵からのものか、それとも己が内に無意識に抱えた痛みか。
名前に与えるのは漢字一字で良かったな、と寂淵が確認する。盛光に促され、凪と雫は肯定する。
賀神忍流の者は、忍びとして一人前と認められたとき、忍び名を与えられる。男は漢字一字に牙と続けた名前を、女は漢字一字に花と続けた名前が与えられる。師匠の虎牙のように、大月の城下町で世話になった砕牙のように。
寂淵は慎一郎に香炉のような物を持って来させる。香炉からは線香の煙と香りが上がっていたが……
「さあ、見せてみよ。うぬらの血塗られた気の奥にある、今のうぬらを……!」
言葉とともに、いかなる妖術か、香炉から人の丈ほどもありそうな火柱が上がる。その柱からバチバチと、金や銀、紫や緑など極彩色の火花が散っている。窓を開けているわけでもないのに、風が柱を中心にうずまき吹き荒れる。
まずは凪からとなった。炎の柱の前に凪は進み出て座る。
「うぬの今の名は?」
「……凪」
「ふむ、凪と? くくく……それは皮肉か? 水面を揺らさなかったうぬは今、強きうねりを作らんとしておる」
火花が凪の周囲で散る。痛みはない。だが自分の中に深く突き刺さってくるかのような衝撃がある。
ぱんっ、とひときわ強い火花が散り、鳴った。一瞬、その火花が漢字を示したようにも見えた。その字は……
「そよいで人を癒すこともあれば吹き荒れ全てをなぎ倒すこともある……『風』。うぬにこの字を授けよう」
こうして凪はその名を一度預け、賀神忍流の、風牙と名乗ることになる。炎の柱の前で凪だった風牙は寂淵に頭を下げた。
次は雫だ。炎の柱の前に行き、風牙と同じように座った。風牙と同様、火花に打たれ、衝撃を感じる。
「ふむ……すでに業が深き者よ。さらにその道を突き進むか……その道は修羅の道……いや、荊の道ぞ。されど……」
白く濁った目は雫を見続けている。その目を雫はまっすぐ受け止めた。この僧侶は自分の忍びとしてはふさわしくない復讐心のことも見抜いている。だがそれを恥じない。それも自分だと受け止める。
「そのうぬ自身が荊。何者も寄せ付けず、守る、孤高の存在。その『荊』の字、うぬに授けよう」
火花が散り、荊の字を示して消える。
こうして雫はその名を一度預け、賀神忍流の、荊花と名乗ることになる。炎の柱の前で雫だった荊花は寂淵に頭を下げた。
役目を終えた炎の柱は香炉の中に飲み込まれるようにして消えていく。七光寺の本堂には静寂が戻ってきた。
二人の名付けの儀式が終わり、寂淵が立ち上がる。
「今のうぬらに我は風と荊を見た。名は体を表すとは言うが、全ての物事は移ろうもの。実際に名の通りになるかなど分からぬ。うぬらが何者になるかは知らぬが、せいぜいこの儀に恥じぬ者になり、道を行くがよい」
そう言って寂淵は本堂の中央を発ち、盛光の横に座った。
入れ替わりにスッと盛光が立ち上がり、風牙と荊花の前に座った。盛光の前に安宗が分厚い本を置く。見るがいいと言って盛光はその本をめくっていく。
「ここにはワシの代になってからワシに仕えた者の名が記されている」
頁をめくる盛光。最後の方には、真木薫の名前もあった。
「お前たちの名前も書きたいところだが……お前たちは影。影とは生きていぬ者、されど死していぬ者……存在せぬ人間だ」
だからここには書けない。その存在は秘匿する。今、風牙と荊花の存在を知るものは七保志盛光、浅川安宗、真木慎一郎、真木薫、七保志寂淵、梢と拓、そして風牙自身と荊花自身だけだ。
「死んでも誰も弔わぬし、功を立てても誰も称えぬ。ワシの命一つで危険な地に行く。それでも、七保志盛光の影となり、風となって駆けて薙ぎ払い、荊となって敵を阻むか?」
風牙と荊花は磨かれた硬く冷たい木の床に額をこすりつけた。静かな、しかし確固たる忠誠を捧げる姿勢と言葉で答える。
「御意」
重なった二人の声が、本堂に溶け込む。盛光は満足げに笑った。
「では見るが良い。ここに名前を書き記すことはできぬが……ワシは覚えておこう。このようにな」
盛光は白紙に指で、風牙、荊花、とそれぞれ書いた。墨は無くとも、盛光の心の中に、二人の存在は書き留められた。
「では賀神忍流の凪あらため風牙、雫あらため荊花……励め」
その命令に応えるかのように、風牙と荊花は力強く返事をした。
こうして七光寺にて、これから幾年にも渡り盛光の傍らに立ち続け、数々の暗躍を行う二つの影、風牙と荊花が誕生したのであった。
ようやくタイトル回収できました!
主人公が今後どうするかが分かりにくい、ブラウザバックされやすい小説と自覚しておりますが、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます。
いろいろ心が折れ気味ではありますが、意地でこの小説は完結を目指しますので、今後ともよろしくお願いします。




