第十九話 忍び一刻会わざれば刮目して見よ
やはり雨が堪えたうえに遅れが出た。盛光たちは突貫で植田の城下町までは戻らず、城下町手前の寺町、蓼食山を下りたところにある寺町、風間で一泊することになった。明日の昼に植田の城下町につくことだろう。
「やーれやれ、大変でございましたな」
宿の部屋に入り、大きく息を吐きながら安宗が言う。それに対して盛光は申し訳なさそうに言う。
「ワシは駕籠にいたからのう……お前たちには迷惑をかけた」
「いえいえ、いる苦労はしておいたほうが良いですが、いらぬ徒な苦労はするだけ無駄でございまする」
そう言いながら安宗は着替えを用意し始めている。宿の者が手続きするとき、雨に濡れたから大変だろうということですぐに湯の準備をすると言っていた。旅の疲れ、それも雨に打たれたあとの疲れを癒すのは湯浴みが一番だ。
温泉があるならいいが、そうでないなら風呂はまだまだ貴重な時代である。大量の水を用意および保管する必要があり、それを熱する燃料も必要である。もちろん使用後の掃除も非常に大変である。
盛光たちが宿泊している旅籠には風呂がある。つまり相応の高級な旅籠だ。国ほどではないが一区画を束ねる領主が毎回のように泊まる宿ゆえ、それなりに潤っているのだ。
「さて、凪と雫はどうなったかのう?」
外は相変わらず、静かではあるが雨が降っている。山道に慣れている盛光ら一行でも少し遅れたくらいだ。子どもを連れている凪たちは越えられただろうか。それに、雨だけならまだしも、盛光らは小鬼に襲われた。その小鬼が凪たちを襲っていないとも限らない。
しかし盛光は、凪と雫たちは追いついてくると確信していた。
そして、凪と雫がするべきはそれだけではない。今までと同様に、この宿に泊まる盛光たちに、何かしらの方法で接近して、自分たちがついて来ていることを知らしめなければいけない。
今までの宿も決して小さくはなかったのだが、この宿も小さくない。従業員も多い。その目をくぐり抜けて盛光たちに接近してくるのだ。
「ンフフフフフ……楽しみだ」
その時であった。盛光が含み笑いをしていると、失礼しますと部屋の外より少しくぐもった女の声がした。ふすまを開けると、肩幅も胸回りも腹廻りもしっかりしたふくよかな女が膝と手をついてお辞儀をしていた。
「お飲み物をお持ちいたしました」
そう言って盛光らの前に茶碗を置き、急須の中の液体を注いでいく。茶色のそれは、麦湯(麦茶)だ。温かそうな湯気を立てている。
「湯浴みの準備はもう少しでできます。ごゆっくりおくつろぎください」
そう言って女は下がっていった。
「いやー、冷えた身体にはありがたいですな」
安宗はそういって早速茶碗に手をつけてすする。彼の言う通り、雨で冷えた身体に麦湯はありがたい。慎一郎も、盛光も茶碗に手を伸ばす。
その時であった。失礼しますと部屋の外より先ほどとは異なる女の声がした。湯の準備ができたかと思い、ふすまを開けると、小柄な女が膝と手をついてお辞儀をしていた。その横には盆と茶碗と急須が……
「お飲み物をお持ちし……あれ?」
すでに盛光たちが麦湯を飲んでいることに、女は驚く。盛光らも驚き、固まっている。
女が恐る恐るといった感じで話しかけてくる。どなたかすでにお飲み物を持ってきましたか、と。安宗が答える。
「ああ、こう……体格がしっかりとした女子がだな……」
「大柄な女となると、おみつ、でしょうか……しかし彼女は力持ちだけど口下手なこともあってかまど担当なので、お飲み物を持ってくることはないと思うのですが……」
首を捻る女中。安宗も慎一郎もどういうことだと顔を見合わせる。
その中、盛光だけが笑っていた。
「ンフ、ンフフフ……そういうことか。分かった分かった。すまぬが、急須だけくれぬか?」
「は、はい……」
女中は不思議そうな顔のまま、急須を渡して下がっていく。盛光は茶碗に急須の中の液体を注ぐ。一つ目の急須と変わらない麦湯だ。
「殿……さきほどの者は……」
「ンフフ……さきほどの娘は本物の女中、そしてその前に来たのは……雫の変装よ」
「なっ!?」
安宗が仰天する。普段は簡単に顔色を変えない慎一郎も、驚きに隻眼を見開いた。
その二人がさらに驚くような事実が突きつけられる。どれどれ、と言って一つ目の急須を観察していた盛光がにやりと笑って底を見せてくる。そこには「賀」と書かれた紙が貼り付けられていた。
「賀神忍流の賀だろうな」
「し、しかし殿……雫はあのような太ったおなごではありませんでしたぞ。もっとほっそりとしつつ胸があり」
「ンフフ……見るところがいやらしいぞ安宗。しかしだ……それこそ忍びの恐ろしいところ。おそらく綿などを使って体型も変装したのだ」
笑いながら二杯目の麦湯を呑む盛光。つまり、一杯目はすでに飲み干していた。そこから、慎一郎はあることに気づく。
何か言いたげな慎一郎を察する盛光だが、笑いを崩さない。
「ん? 毒の心配か? ンフフフフ……今後気をつけねばならんかもしれんのう」
そう言って盛光は二杯目の麦湯を煽った。恐れている様子は微塵もない。
慎一郎は主君のその豪胆さをまじまじと見る。御沙河池の宿の准胝堂で言っていた「飼いならし使いこなしてこそ主君」という言葉を思い出していた。
安宗は、今後毒見の小姓を雇わなければならないかと、考えていた。
そして三人の胸には共通の思いが浮かんでいた。
忍びは、凪と雫は、すごいと。
忍者モノの小説を書くにあたり、いくつか資料を見たり思い出したりしているのですが、そのうちの一つが、小山ゆう先生の『あずみ』だったりします。作中にも変装のシーンがあったりしますが、綿を使って太っているように見せる手段はここから来ています。まあ、漫画だったらいかようにもできそうですが(ひどい)。忍たま乱太郎にいたってはもうやりたいほうだいですしね。
さて、そのようなわけで植田が見えてきました! 凪と雫は最後、追い抜いて植田で盛光たちを迎えることができるのか!? お楽しみください。




