第十六話 第三夜、春ならずとも茜桜、星五谷
夜になった。とは言うものの、日は沈みきっておらず、もう少ししたら暮れ六つ(午後6時)の鐘がなるころというところだ。山が紫色に染まっている。
昼に山賊に絡まれた事態こそあったものの、その後は何もなく凪たちは関所も人がいない渓谷を走り抜けることでくぐり抜け、星五谷にたどり着いていた。
星五谷は土地が農作物に適していないため、とくに特産物があるわけではない。代わりに、あらゆる物が行商人などによって持ち込まれるため、それで賑わっている。
宿は木賃(素泊まり)宿が多い。だいたいは行商人から買ったり、あるいは宿泊している行商人自身が宿のかまどを借りて調理してお金をとったりしている。宿泊客は食事代を旅籠(食事込みの宿)よりは浮かせられる、宿のほうも不安定な食料の仕入れをしなくて良い、双方の益をとった体制だ。
雫と凪、梢と拓はそんな町をぶらついていた。泊まった宿は小さな木賃宿で、食料品を扱った行商人がいなかったため、外で食料を調達する必要があった。
「ってか凪、アンタも一緒に来る必要まではなかったんじゃない?」
おかげで梢と拓も一緒に来なきゃいけないじゃない、と雫はぼやく。梢と拓を宿で休ませ、凪がそのお守りをするというのが効率的なはずだった。
しかし凪は梢も拓も連れて、雫といっしょに行動したのであった。
「女の一人歩きは危険だ。真夜中ならともかく、まだ人は多いから何があるやら分からない」
「……? 人が多いなら、紛れ込めるからむしろ安全じゃ……」
雫は首を傾げるが、凪の態度ははっきりしない。変なの、と雫は笑いながら、通りの屋台を物色する。
食べ物、野菜果物、布製品、装飾品……とにかく、あらゆるものが置いてある。大月城下町と同じくらいの品がこの星五谷にはあった。
ただ、食べ物は新鮮なものはない。魚はまるで木で彫られているのではないかと思うくらいに硬く塩漬けにされている。果物も全て干したものだ。この土地で作られたものではなく、遠くの地で保存が効くようにしてから持ち込まれているからだ。
『大月の城下町も賑やかだったけど、ここはまた全然違う賑やかさだなぁ……』
街を見渡しながら雫は考えた。その雫の目がおやと見開かれる。見覚えのある人物を捉えていた。
七保志家の筆頭家老、浅川安宗。護衛もつけずに一人、街を歩いている。
『なにしてるんだろ……食料調達なら家臣がやるはずだし……』
散歩にしては、言語化できないが、どこか人目につかないようにおどおどしているように見える。そもそも散歩なら、護衛をまったくつけないのも不自然というもの。
「ごめん凪! ちょっと梢と拓を見ておいて!」
「お、おい雫!」
興味を引かれた雫は、梢たちを凪に任せ、人混みに紛れ込みながら、安宗の追跡を始める。
人目を気にするように少し背を丸めながら進んでいた安宗は、とある店の前を興味ないように通り過ぎた……と見せかけて振り返り、その店に入っていった。通りを挟んで建物の影に身を潜めた雫は看板を見てみる。
―― 兎小屋
と書かれている。
『どう見ても兎を飼っているようには見えないけど……』
首を捻る雫。愛玩の兎をここで愛でるのもおかしな話。兎肉を食べるということも考えられなくはないが、その割には捌いた血肉の匂いがしない。
好奇心は猫をも殺すとはよく言うが、その好奇心に雫は抗いきれなかった。忍法 卯目を発動し、店の中を覗き込む。
『奇しくも、同じ"うさぎ"ね。どれどれ……』
通行人の頭がときどきじゃまになるが、店の中を見るには十分であった。距離も五間(約9m)程度だったので、負担は少ない。
術によって目が赤く光るが、雫の顔がそれと同じくらい赤くなっていく。
『お……おーおー、これはこれはご家老さま、面白いものを』
じっくり見なくても良いと判断した雫は術を解いた。その顔は未だに赤い。
そんな雫に、不意に背後から声がかけられる。
「あら娘っ子……こんなところで何をしているの?」
雫は飛び上がって距離をとって振り向く。術に夢中になって背後を取られたことに自分でも愕然としていた。これが敵だったらやられていたかもしれない。
声をかけた者も、雫がまるで猫のような身のこなしで飛び上がり振り向いてたことに、仰天している。垂髪(長く垂らした髪)に着崩した小袖……崩れすぎて胸元が緩い。艶めかしい双丘の麓の輪郭が見えている。足を半歩踏み出しているが、それだけで膝上まで生足が見えている。
わざわざこのような扇情的な姿をしている女の正体は明白だ。遊女である。
なにか気の利いたことを言っても良かったかもしれないが、言う必要はない。それであれば、と雫は、脱兎の如く逃げ出した。これで、恥ずかしがって逃げたように見えただろう。
「あらあら……」
少女の様子に驚いた表情のまま声を漏らす、遊女。その視界の端では、兎小屋から懐に、紙に包まれた薄い本を入れた安宗が、ニコニコしながら出てきたのであった。
―――
宿での夕食を終え、安宗は宿泊している自室に戻った。ここからは自分の楽しみの時間だ。酒を半合と、硬く干した鮭を用意。だがこれはあくまで盛りたて役。
本命は兎小屋で買った本である。これを楽しみにして、安宗は老体に鞭打って蓼食山を登り下りするのだ。別に植田でも買えるのだが、楽しみにすることで活力が出るというもの。
ちびりと酒を舐めてから安宗は包を開こうとして……愕然とした。その包みの重さは宵の口に買った本の重さではなかった。空になったかのような……
慌ててひっくり返すと、すでに封が破られて閉じ直された痕があった。それを再び開けると、中に入っていたのは……
「のわぁあああ!」
情けない悲鳴が響く。何事かと盛光と慎一郎が駆け込んでくる。
「どうした安宗、いかがした!?」
「な、と、殿っ!? い、いえ、なんにもありませぬ……」
何もないと言っている安宗の手には紙切れが一枚。それには可愛らしい兎が三羽描かれている。
「ンフフフ……安宗、どうしたその兎の絵は。孫にむけたお土産か?」
「いえ、違いまする! これは、その……」
「まあ、見せてみよ」
手を差し出す盛光に安宗は観念したように絵差し出した。兎が三羽描かれている。一羽は子どもが描いたのだろうか、墨の線が太くベタついている。一羽は絵師のものではないだろうが、それでも良く描けていた。もう一羽はおちゃらけた調子で描かれている。
そのおちゃらけた兎の口の辺りには筆で『今宵、お貸しいただきたく候』と書いてある。部屋の安宗を見た時から薄々感づいていたが、この紙を見て盛光の中での疑念はあっという間に確信に変わった。
「……安宗、もしかしてだが"兎小屋"で本を買ったのではないか? それもお前の"趣味"の本を……」
「……はい、そうです……しかし、気づけばこのような憎らしい紙が……一体、何者が……?」
「ンフフフ……現実逃避がすぎるぞ安宗。今、このようなことをする者は二人しかおるまい?」
言われて安宗も理解した。凪か雫が、自分が買った春画を奪ったのだと。自分たちがちゃんと盛光に並走していることの証を見せるために。
「お~の~れ~!」
畳に突っ伏して拳で叩いて悔しがる安宗。その様子を盛光はおかしそうに見て笑い、慎一郎はなんと声をかけたらよいか困った顔を向けていた。
「ンフ、ンフフ……三日目も合格ぞ凪に雫……はてさて」
盛光は閉じた扇子を口元に当て、遠くを見る目をする。春画を奪った凪たちはそれを今頃見ているであろう。それを見て楽しめるだろうか……想像してみたらおかしくなり、盛光は笑いが止まらないのであった。
そのようなわけで夜パートは例のごとく、凪や雫のちょっかいかけパートです。安宗の愉快な老人設定で、若い娘、それも元気な娘が好きという設定を思いついてからさらに思いついたネタでした。
でもこんな悪戯をするのは当然……? そもそもそんな物を売っているこの町は一体? 次回をお楽しみください。




