第十四話 第二夜、瞑想と問答
二日目の夜。盛光らは蓼食山の山道を進み、御沙河池の宿であり寺である、胝准堂についた。この胝准堂は澄んだ水が美しく名所と言われている御沙河池のほとりに建っている。
さしもの盛光ら一行も疲れ気味であった。いくら、盛光が前日に詠んだ歌が素晴らしく、それで士気を高めたとしても、疲れは出るのだ。
明日も山道が続く。それに備えて、兵士たちの中では、宵の口から明日に備えて床につくものが多かった。筆頭家老の安宗も早々に床に入った。
そのような中で、一人この宿を悠々と歩くものがいた。真木慎一郎である。彼は主の盛光に断ってそばを離れ、御沙河池を一望できる舞台で坐禅を組んだ。
この明鏡止水とも言えるような御沙河池の前で瞑想して自分も明鏡止水の心持ちにするというのが、七保志家の剣術指南役で盛光の護衛である真木慎一郎の楽しみの一つであった。
慎一郎はゆっくりと息を吸う。御沙河池の清水が作る景色が見事であるとともに、この空気も素晴らしい。慎一郎はこの空気を楽しんだ。
彼はゆっくりと目を閉じる。精神の世界に己を投影すれば……御沙河池の風景すら消えていき、一切の邪念が消え去った純白の虚空が広がる。
ちりーん……
涼やかな鈴の音が虚空に響き渡る。同時に音もなく慎一郎の身体が跳ねて立ち上がり、腰の剣に手をかけていた。
御沙河池や瞑想の雰囲気としてはとても風流な音であったが、実際にその音が聞こえるのはおかしい。風も吹いていない。
研ぎ澄まされた慎一郎の神経が風を感じ取っていない。現実の御沙河池の水も揺れていない。
ちりーん……
再び響く鈴の音。幽美ではあるが、聞こえるはずのない音。現実ではない音。
幻、か……潰れた喉で出ない声が、口だけで紡がれる。
こちらに近づいてくる気配がして、そちらに目を向ける。忍び寄る気配もなくのんびりと現れたのは慎一郎の主、七保志盛光であった。
「おや、どうした慎一郎。瞑想しているのではなかったか?」
いつもの調子で話しかけくる盛光に向かって、それ以上近づかないようにと慎一郎は手を突き出す。
盛光の歩みが止まった。そのもともと細い目が鋭く細められる。
「ほう、これは異なことをする……どうしたのだ慎一郎」
慎一郎は警戒を緩めない。今も耳に聞こえる音が幻なら、この盛光も幻かもしれない。されど本物かもしれない。妖気の類は感じないが、判断しかねる慎一郎は、毛を逆立てた猫のように動くことあたわず相手を睨んでいた。
盛光……現実で本物の盛光も近寄らない。今、慎一郎は気が立っている。これでうっかり彼の間合いに立ってしまったら斬られるかもしれない。この彼を一体どうなだめたものか。
そもそも何が彼をこのような状態にしたのだ……盛光は閉じた扇子で自分の顎を叩いて考える。そしてとある考えにたどり着いた。細い目がすっと開かれる。
「慎一郎、何か幻を見たり聞いたりしているか?」
「……」
しばらく慎一郎は黙り込んでいたが、やがてコクリと静かに頷いた。それで盛光は合点が行った。
では、誰がこのようなことをしたか? 敵の間者だとしたらものすごく恐ろしいが、今なら思い当たる節がある。盛光はその場で手を叩いて声を上げた。
「これ! ちぃとやりすぎだぞ! お前たちの力は分かったから、慎一郎を元に戻してやってくれ!」
突然自分の主は何を言い出すのだと慎一郎は隻眼を細めたが……次の瞬間、耳に響いていた鈴の音が止んだ。
どうだ、と訊ねる盛光に慎一郎は頷いた。もう、幻はないと。
警戒を解いた慎一郎に盛光は近づき、何があったのか訊ねる。
「……こ……が……」
喉が潰れている慎一郎の声はなかなか聞き取りづらい。慣れない者が聞いたらか行とが行の音しか拾えないだろう。困ったときは筆談や指文字を使うこともあるが……付き合いが長い盛光は全て聞き取り、頷いた。
「なるほど。ここで坐禅を組んでいたら急に鈴の音が聞こえたと……」
頷いて慎一郎は訊ねる。あれは何の仕業だったのであろうか、と。盛光は笑った。
「ンフフ……凪か雫だよ、慎一郎。彼らがワシらに、ちゃんとついてきていると合図を送ったのだ」
とは言うものの、これはちょっと過ぎた悪戯だなあ全く、と盛光は苦笑いする。盛光が不用意に慎一郎に近づかなかったから良かったものの、ここで考えなしにつっこんでいたら一刀両断されていたかもしれない。まあ、声をかけたらすぐに術を解いたところを見ると、その時のことも考えて近くに潜んでいたのだろうが。
一方、慎一郎の方は、表情を変えていなかったが、背筋に冷たい汗が伝っていた。正面あって切り結べば、あの二人に遅れを取ることはないだろう。だが、そうでない戦いとなったら、負ける。
現に今回の幻聴だってそうだ。あれを一生聞かされては気が狂いかねない。いや、もっと恐ろしい幻聴だって聞かせることもできるはずだ。あるいは、幻聴ではなく幻視だったら……例えば声をかけて来た盛光が物怪の姿に見えたらおそらく自分は切りかかっていたはずだ。
「ンフフ……油断しているとワシらは寝首を掻かれかねんな?」
慎一郎を見て盛光は不敵に笑った。これはウカウカしておられん、ワシらも気を引き締めねばならんなと。
そんな寝首を掻くこともできそうな危険な要素を本当に雇うのか、と慎一郎は盛光を見つめる。
盛光はその視線をまっすぐ受け止めて言う。それを飼いならし使いこなしてこそ主君だと。
「そもそもだ。お前はその気になればワシを斬ることくらい造作もないはずだ。剣の腕はお前のほうが上なのだからな」
あるいは七保志家に仕えずに大月の国の他の小大名やそれを束ねている御坂家に仕官する、あるいはそもそも他の国に仕官することだってできるはずだ。
盛光だって、喉が潰れている真木慎一郎の役目を御免にし、新たな剣客を剣術指南役として招くことだってできるはずだ。
だが、真木慎一郎は七保志盛光に仕え、守っている。七保志盛光は真木慎一郎を剣術指南役と自身の警護を命じている。
忠義、人柄、俸給、土地、家族、政治的都合、未来……人が人に仕え、人が人を使役するのにはいろんな理由がある。
慎一郎が盛光に仕える理由には忠義や、戦場で大怪我をしても追い出さなかった恩義など、彼なりの理由がある。
盛光が慎一郎をそばに置く理由には先代のときからの活躍、口の堅さ、なびかぬ心と忠誠心などの理由がある。
「だから安心しろ。彼らを使いこなすのはワシの役目。彼らの命を預かり、犬死させぬのもワシの役目。彼らに斬られないように立ち回るのも、そのために信頼関係を築くのもワシの仕事だ」
まあ、しくじったときは悪いが助けてくれ、と盛光は慎一郎の肩を叩いた。そうして一通り語ってから、彼は自分が就寝する部屋に向かおうとする。
廊下を歩く盛光は、一人でニンマリと笑いながら、つぶやくのであった。
「良いだろう、二日目も合格だ」
今回もお読みいただきありがとうございます。
本来であれば二日目の昼があるはずでした。しかし内容が「忍法 木菟耳で盛光たちの歌を探って距離を確認・追跡をした」「梢と拓を背負って獣道を走った」だけに終わってしまい見せ場がなく、これはないほうが良さそうだと思い切って削除した次第です。
代わりにそして第二夜ですが、凪たちの幻術という能力を見せはしたものの、盛光が目立ちました。まあ、それも「凪たちが仕える人はこんな人だよ」と見せるためではあるのですが。それでも主人公である凪や雫より目立っているので。
次回は! 凪と雫にバトルで目立ってもらったり、さらにその先で日常的なパートも見せていきます。引き続き頑張りますのでよろしくお願いします。




