第十二話 第一日、春空の下に歩き出す
四日後の辰の正刻(午前8時)、七保志盛光は大月の城下町を発った。少し飾った駕籠に揺られ、盛光は大月の城下町の北門をくぐろうとする。
北門では左右に分かれて路を開けた町人たちが歓声を上げたり手を振ったり、あるいは下座をして見送っている。他にも虚無僧が手を掲げて旅の無事を祈っているのが見える。盛光は彼らに駕籠の中から手を振って応えるのであった。
北門をくぐり街の外に出たら盛光は駕籠から顔と手を引っ込めた。適当なところで下りて運動がてら歩こうと思いながら駕籠の中で伸びをする。
伸びながら考えるのは先日、自分が召し抱えると言った、二人のまだ一人前と認められていない忍び、凪と雫のこと……
先日は三日ほど仕事をしてからと言い、あえて一日遅らせて本日出発としたのだが、気づいているだろうか。
『諸侯の前でああしてワシは名乗り出たのだから、期待には答えてほしいのだがな……』
凪たちは食らいついてくるのか、一日目の宿から楽しませてくれるのか……底意地悪く、だが期待も持って、盛光はニヤリと笑うのであった。
―――
盛光の行列を見送った大月の町人たちは、ぞろぞろと散っていく。仕事に戻る者、あるいは夜の仕事が終わったがゆえに帰って寝る者、童やそれを追う母親……そんな中、一人の虚無僧が深編笠を被り直しながら、裏路地へと消えた。
誰にも見られていないようだと確認した虚無僧はまるで雨の前の燕のように路地裏を走り、とある扉の前についた。虚無僧はその扉を叩く。
「盛光様の出立を確認した。俺達も行くぞ」
声を上げながら彼は深編笠を持ち上げ、顔を出した。凪である。
たちまちのうちに扉が開き、三人の旅装束の者が転がり出てくる。
苺色の小袖に深藍色の括り袴(裾を絞った袴)に身を包み、風呂敷包みを背負って三度笠を被っている。梢も同じ格好だ。顔を見られなければ親子に見えるかもしれない。拓は小袖の色は暗紅色で袴は青漆色だ。全員、暗めな色で統一している。
一行の姿を確認した凪は、虚無僧の法衣を脱いで、雫に渡す。代わりに雫が差し出した暗紅色の小袖を着た。これで拓に似た格好となる。着ていた法衣とそして虚無僧笠は雫が丁寧に扉の奥の上がりに置いた。
四人は家に……賀神忍流の忍びである砕牙の家を見上げる。忍びの里を焼かれてここに転がり込んで四日間……砕牙はここに住まわせてくれた。それだけでなく、店を手伝ってくれた礼としてこのように服も新調してくれ、さらに旅費として銀貨をいくばくかくれた。
この御恩は忘れません、と四人は深々と頭を下げた。本当は本人に直接会って言いたかったが、砕牙がそれを拒んでいた。そんなことをしている暇があったら、殿様を追いかけろと。
路地裏を走り去っていく四人の子どもたち……計ったかのように家の奥から砕牙がやってきて、貸した虚無僧の法衣と深編笠を回収する。勝手口の扉を閉め、鍵を閉めながら彼は、届かないと分かりながらも呟いた。
「頑張れよ、賀神忍流の若人たちよ……」
言葉は熱を帯び始めた春風に乗って、大月の城下町の空気に溶け消えた。
―――
初日の行進は平地が多いので大したことはない。西廻りの経路を取るか東廻りの経路を取るかを確認することと、行列とつかずはなれずの距離をとってついていくだけだ。
もっとも、隠れる場所がないぶん、そのつかずはなれずの距離を保つというのがちょっと厄介なのであるが。
まずその兵士たちにバレない距離を保った状態で、西廻りの経路を取るか東廻りの経路を取るかを確認しなければならない。そしてもう一つ。盛光たちが茶屋で休憩して止まっているところに突っ込んでいかないようにしなければならない。
太陽の位置からして、巳の刻(午前10時)。そろそろ小休止を挟む頃合いだ。遠くに茶屋の煙も見える。もし盛光らが休憩していたとしたら、このまま歩き続けると盛光の兵士らの団体に正面から入り込むことになる。
こちらは変装しているから一回見られただけで何か言われることはないだろうが……行く先々で姿を見られたら、怪しまれることだろう。姿を見せる回数は少ないに越したことはない。
だから、変装して先回りして確認するという手はあるのだが、回数にも限りがある。ではどうするか?
……凪と雫は忍者である。忍者は主から命を受け、諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを行う。その任務を遂行するために用いた技術や兵法の総称を、忍術と言う。その忍術のなかに……妖術や魔術をも凌ぐ超人的な技、忍法がある。
周囲に自分たち以外がいないことを確認して、雫は左手で筒を作って左目にあて、右手で印字を切って唱える。
「忍法……卯目……!」
途端に雫の左目が血のような赤色に輝いた。彼女の目には五町(約550m)先の光景が見えてくる。
「……見つけた……やっぱり茶屋で休もうとしている……」
雫が小さく呟く。そのまま盛光たちの動きを注視しようとするが、雫は歯を食いしばって苦しげな呼吸を漏らす。
「分かった。もう十分だ、無理をするな」
忍法”卯目”は遠見の術だ。実際の遠眼鏡(望遠鏡)のように遠くを見ることができる。しかし、使用時間と見ようとする距離に比例して強い負荷が掛かり、長時間使っていると最悪、目が使い物にならなくなる。
五町の距離を十数秒見る行為は、今の雫には限界ぎりぎりの負担であった。
「ン……ごめん」
術を解いた雫は左目から手を話し、目を擦った。ほんの数十秒ではあるがやはり負担がかかったのか、その目は軽く充血している。凪は軽く嘆息した。
「頼むぞ。ここでお前に倒れられたりすると困る」
「あら、心配してくれてるの?」
「ああ。お前がここで目を潰せばこの試練の成功率は下がるし、お前自身、この先二度と前線に立てなくなる」
試練だけでそんなことさせるものか、と言う凪に、雫は盛大なため息をついた。
「アンタさぁ……そこは女の子が喜ぶようにもうちょっと気の利いたこと言えないの? 任務とか忍者とかじゃなくてさぁ……」
任務で女の子をたぶらかすときに苦労するよ? と雫は肩をすくめた。梢が横でこくこくと頷く。
「梢、お前まで……」
まさか自分の半分ほどの歳の梢にまで同調されるとは思っていなかったのか、凪は愕然とする。
「いや……だが、潜入や調略において異性の心を掴む技術が必要なのは確かだが……それはそれとしてだな……」
大真面目に「たぶらかす技術」について考察や言い訳をし始め、墓穴を掘っていく凪を見て、雫はついに吹き出した。
「はいはい、今はそれはいいから。とりあえず休憩しよ。四半刻(30分)ほどしたらまた様子見るから」
道からそれて草の上に四人は腰を下ろす。梢と拓を挟むように、凪と雫が外側で。竹筒の中の水を飲み、流れる雲を見上げる。それは端から見たら、家族四人の穏やかな旅に見えるだろうか。
首を曲げて凪と雫は、梢と拓の頭越しに互いの顔を見る。
「ん、どうしたのよ凪?」
「そっちこそ」
そう言いながらも二人は互いと梢と拓を見ていた。いや、実際には見ていなかったかもしれない。二人は見るともなしに見ながら、考えにふけっていた。
実際に家族を持ったらこのような感じなのか……自分たちは物心がついたときから里の者に育てられ、本当の親兄弟を知らないから、家族というものが実際どのようなものか分からない。里の者は家族と同等と言えたが、家族とはやはりまた異なる。実際の家族はこのような温かで穏やかなものなのか。
『もし、俺が忍びでなかったなら、こんな家族の父親として過ごしていたのだろうか』
そんな自分を思い描こうとするが……変装のために商人や芸人の真似事を学んだ時も、自分の心はピクリとも動かなかった。今、この平穏な絵面を見ても……あまり感じるものがない。
凪は軽く首を振った。
『影とはそういうものだ……俺はもう、血と闇に染まりきっている』
一方、雫も考える。
『もし、アタシが忍びじゃなかったら、こんな家族の母親として過ごしていたのかな……?』
恋をするなりお見合いをするなりして男と結ばれ、子を成して穏やかな日々を過ごしていたか……
そんな想像はすれども、それらの絵図はあっという間に憎悪の炎が呑み尽くす。そんな穏やかな家庭を持ったとしても、家族を殺されたらきっと自分は復讐に燃えていただろう。そして今まさに、里の者という家族同然の人たちを奪われた自分は復讐の鬼だ。
雫は拳を握った。
『だから、忍びじゃなかったらとかじゃない。アタシは立派な忍びになって、仇をとるんだ』
さて、そうは言っても、忍びの道は無限ではない。どこかで後方に回る。家族を持つものもいるとは聞く。自分たちがそうなるか。
だが、凪も雫も心の内で首を振った。自分たちは、まだ一人前の忍びですらないのだ。そのような状況で引退したときのことを考えるなど……
『鬼が笑うわ』
互いから目をそらし、空の流れる雲を見ながら二人は、鬼の代わりに自嘲的な笑みを浮かべるのであった。
そのようなわけで、3つの場面に分かれましたが、出発して一日目の日中のお話でした。
さて、作中に忍法 卯目が出てきましたが、これはどうしてこんな名前になったかと言いますと……戦国時代、望遠鏡にはウサギの絵が描かれていることが多かったようです。なぜかと言いますと望遠鏡は当時、遠眼鏡と言われておりましたが……とおめがね→十めが子……数え始めて十番目が子になるの干支が卯だから……ということで、遠眼鏡にはウサギが描かれていることが多く、今回の忍法も卯目という名前にしました。
……問題は実際に兎眼と言う医学用語があったこと(兎眼は、まぶたが完全に閉じることができない状態を指す病気)
そんなわけで、ここからチラチラと忍術を見せたり凪や雫の忍術を見せたり、あるいは盛光や安宗や慎一郎の人となりなどを見せていくつもりなので、お付き合いのほどよろしくお願いします。




