第9話 壊れる前の音
外套を羽織って穀倉へ走ると、先に扉を開けている人影があった。
「遅い」
ランタンを掲げたリゼットだった。昼間と同じ外套の下に寝間着らしい白い裾が見えている。
「すみません。起きていたんですか」
「この音で眠れる方がおかしいわ」
穀倉へ入ると、低い唸りが腹へ響いた。冷却具の盤面は青く光り、棚の間には冷たい風が流れている。止まってはいない。むしろ普段より働いているように見えた。
「触らないで」
伸ばしかけた手を止められた。
リゼットは銀の診断棒を取り出し、魔石、風向板、循環筒の順に当てた。先端の光が場所ごとに色を変える。
「魔石の出力が上がったり下がったりしている。でも、石自体は割れていない」
「棚を動かしたせいでしょうか」
「それなら風の抵抗は減る。こんな音にはならない」
僕には音の違いが分からない。昼間の冷却具がどんな音だったか思い出そうとしたが、村人の声や袋の擦れる音に紛れていた。
「いつからですかね」
「少なくとも、私が夕方に見たときは鳴っていなかった」
僕たちは冷却具を止めず、周りだけを調べた。夜に完全停止させると、湿った袋がまた結露するかもしれない。リゼットが風量を一段下げ、僕は棚ごとの温度を手で確かめた。
やがて社長とマルクさんも駆けつけた。
「壊れましたか」
マルクさんの声が震えている。
「まだ壊れていません」
リゼットは言い切った。
「だから、今のうちに原因を探せる」
その言葉に、僕は少し驚いた。昨日までなら、壊れていないなら問題ないと言いそうな人だと思っていた。
社長が裏蓋を開けると、風を送る羽根の軸に細い糸が絡んでいた。棚を動かしたときに切れた札の紐が、床の吸気口から入ったらしい。羽根が回るたび、糸が軸を締めたり緩めたりしていた。
「僕たちの作業が原因ですね」
マルクさんが謝るより先に、僕は言った。
「切った紐を入れる箱を置かなかった。片づけの手順も要ります」
社長は、昼間に自分が紐を切ったと名乗り出た。マルクさんは、穀倉の掃除を倉番へ頼み忘れたと言う。二人とも責任を引き取ろうとしたので、僕は床の吸気口を指した。
「誰が切っても、小さな紐は落ちます。誰が掃除しても、この網目なら吸い込みます。切れ端を入れる箱と、吸気口の網を少し細かくする方がよさそうです」
責任者を一人決めるのは大切だが、犯人を一人決める必要はない。今回の目的は、次に同じ糸を吸わせないことだった。
年上の倉番が古い籠を持ってきて『切れ端』と札を付けた。社長は余った金網を吸気口へ重ねる。夜中の作業なのに、怒鳴り声は一つも上がらなかった。
リゼットが魔力を止め、社長がピンセットのような工具で糸を外す。数分後、冷却具は一定の低い音へ戻った。
「これが、普通の音ですか」
僕は耳を近づけた。
「そう。今の音を覚えて」
「音は紙に描けませんね」
「だから魔法を使うの」
リゼットは革箱から三つの小石を出した。冷却具の振動に合わせて、一つは青、一つは黄、一つは赤く光るよう刻印する。青はいつもの音、黄は点検、赤は停止して呼ぶ。
高価な監視盤ではない。石は余り物で、複雑な数字も出ない。
「これなら、私がいなくても分かるでしょう」
彼女が言った。
「はい。すごく分かりやすいです」
「そんなに素直に褒められると調子が狂う」
僕は三色石の置き場所も彼女へ相談した。冷却具の真上なら見やすいが、異常が起きたとき近づく必要がある。入口近くなら安全だが、振動を拾うための細い魔力線を延ばさなければならない。
リゼットは入口の柱へ石を固定し、床沿いに線を引いた。人が踏まないよう木の覆いを付けるところまで、社長と二人で黙々と仕上げた。
「診断する人は、どうしても道具のそばへ行きたくなるの」
彼女は作業を終えてから言った。
「でも、見るだけの人まで危ない場所へ呼ぶ必要はない。あなたの質問で気づいたわ」
僕だけが学んでいるのではないと分かり、胸の奥が少し温かくなった。
翌朝、倉番と子どもたちにも三色の石を見せた。冷却具を一時的に弱め、黄色になるところまで実演する。誰が見るかも決めた。朝に倉番、昼に食料を取りに来た人、夜に村長宅の当番。一人へ任せず、普段そこへ来る人がついでに見る。
僕は『青ならそのまま、黄なら掃除、赤なら止めてリゼットか灯り木へ知らせる』と短い札を書いた。
「赤になったら怒られる?」
ルカが聞いた。
「怒られない。赤になる前に気づくための石だから」
リゼットが答えた。
確認の練習では、マルクさんがわざと黄色の石を見落としたふりをした。ルカがすぐに気づき、倉番へ知らせる。倉番は札に従って吸気口を掃除し、それでも黄色なら社長かリゼットへ伝える。
一度通してみると、連絡先が書かれていないことが分かった。灯り木魔道具社の場所を知らない子どももいる。僕は店の看板に描かれた灯り木の印を札へ写し、街へ行く荷車へ渡せばよいと加えた。
道具を置くだけでは、知らせるところまでつながらない。問題が起きたときの道も、食料の流れと同じように最後まで歩く必要があった。
昼過ぎ、三色石はずっと青く光っていた。
その安心が広がったところで、マルクさんが僕たちを穀倉の外へ呼んだ。
「修理に使った軸受けと、監視石の代金なのですが」
彼は帽子を両手で握った。
「今の村には、払える現金がありません」




