第8話 先に来た袋から
見つかった湿った麦は、全部で五袋分あった。
マルクさんは青ざめたが、そのうち人が食べられないほど傷んでいたのは、共通升で七杯ほどだった。台帳上では五袋がだめになったように見えるが、中身を分ければ違う。
「また袋と中身ですね」
社長が苦笑した。
「はい。袋が一つ傷んだのではなく、袋の底の一部です」
僕たちは倉の外へ長机を出し、麦を広げた。村の年長者が匂いと色を確かめ、人用、家畜用、堆肥用へ分ける。僕には判断できない仕事だ。
「シュウは何でも知っているわけではないのね」
リゼットが隣で言った。
「知らないことの方が多いです」
「なのに、よく口を出せるわね」
「口を出す前に、知っている人を探しています」
「それは口を出していると言わないんじゃない?」
考えたことがなかった。
選別が終わると、食べられる麦はその日のうちに粉ひき場へ運ばれた。古い分からパンにするためだ。
ところが、穀倉の棚は新しい袋ほど入口近くに積まれていた。運び込む人が、空いた手前へ置いてきた結果だ。古い袋を使うには、毎回奥から引っ張り出さなければならない。
「日付札を付けても、取り出しにくければ新しい方を使いますね」
若い倉番が言った。
「僕でもそうします」
村人を責める必要はない。手前に新しいパンと昨日のパンがあれば、僕だって新しい方へ手を伸ばす。毎回正しい選択を頑張らせる仕組みは、忙しい日に崩れる。
僕は白い紐を持って棚の前を歩き、実際に袋を一つ出してみた。紐が低すぎると頭へ当たり、高すぎると子どもには見えない。三度結び直し、胸の高さへ落ち着いた。
年上の倉番は、紐の先へ木の輪を付けた。これなら暗くても手で探せる。若い倉番は、古い袋を出したら輪を次の棚へ移すルールを提案した。
僕一人の案だった白い紐が、使う人の手で少しずつ良くなっていく。
注意書きを増やすより、自然に古い袋へ手が伸びる置き方にした方がいい。
僕は床へ入口と出口の矢印を描いた。新しい袋は右側から入れ、棚の奥へ送る。使う袋は左側の手前から出す。一方通行にすれば、先に入った袋が先に出てくる。
「荷車は右の扉へ回れません」
倉番が言った。
外へ出て確かめると、右側には薪棚があった。動かせなくはないが、村人の冬支度を増やす。
「では、袋を置く人が奥まで運ぶ?」
マルクさんが提案する。
年上の倉番の腰を見て、僕は首を横に振った。
皆で穀倉を一周し、結局、入口は今の一つを使い続けることにした。その代わり、新しい袋を右の仮置き場へ置き、夕方の当番が空いた棚へ移す。使う棚には白い紐を垂らし、紐より手前の古い袋から出す。
完璧な一方通行ではない。でも、薪棚を壊さず、腰の悪い人だけに負担を掛けず、明日からできる。
「もっと美しい置き方があるでしょう」
リゼットが棚を眺めて言った。
「あると思います。でも、この村で続くのはたぶんこれです」
「美しくないのに?」
「使う人が迷わないなら、僕にはきれいに見えます」
彼女は白い紐を指先で弾いた。少し考え、冷却具の風向板を調整する。新しい袋の仮置き場へ強い風を当てず、奥の古い袋へ冷気が流れる角度だった。
棚の配置と冷却具が、初めて同じ仕事をする形になった。
リゼットは冷却具の前へしゃがみ、唸りへ耳を澄ませた。
「出力を上げるのは一割で足りそう。棚の隙間ができたから、風が奥まで回っている」
「魔石の交換は?」
「今までと同じ三か月ごとでいける。あなたの白い紐のおかげではなく、棚を動かしたおかげよ」
「紐のおかげだとは言っていません」
社長が横で吹き出した。リゼットは睨んだが、口元は少しだけ緩んでいた。
夕食のパンが届くまで、僕たちは新しい棚の使い方を一度だけ通して試した。マルクさんがわざと新しい袋を手前へ置くと、ルカが白い輪を指して止める。倉番が古い袋を取り出し、村長の奥さんが色札の日付を読む。
誰か一人が覚えていなくても、別の人が気づける。静かな確認の声が穀倉を一周した。
「これなら、先代がいなくても続けられるな」
年上の倉番が呟いた。若い倉番は白い輪を握り、今度は自分が次の人へ教えるのだと頷いた。人が替わっても残るものが、ようやく一つできた気がした。
夕方、古い麦で焼いた平たいパンが穀倉へ届いた。少し酸味はあるが、香ばしく、豆の煮込みによく合う。皆で立ったまま食べた。
マルクさんは、残った食料を新しい升で数え直した紙を見せた。
「保存順を変えれば、捨てる分はかなり減りそうです。冬越しの不足も、近くの村から少し買えば済むかもしれません」
食料不足の正体は、絶対量だけではなかった。数え方が違い、古い物が奥へ隠れ、傷んでから見つかっていた。
その夜、僕は村長宅の客間で眠りかけた。
低い唸りが、床を通して聞こえた。
最初は風だと思った。けれど音は一定の間隔で強くなり、弱くなる。
穀倉の方角からだった。
冷却用の魔道具が、夜の静けさの中で低く唸り始めていた。
僕は眠気を忘れて起き上がった。
今度は僕たちが、倉へ走る番だった。




