第7話 色札と湿った麦
新しい換算表を使う前に、僕は子どもたちへ試してもらうことにした。
「大人が使うものですよ?」
マルクさんは戸惑ったが、難しい説明を知らない人が使えれば、たぶん誰でも使える。ルカと友達二人に、麦、豆、乾燥芋の袋を一つずつ渡した。
壁にはリゼットが描いた三つの絵がある。麦は黄色、豆は緑、芋は茶色の札と結びつけた。
「これは?」
「箒!」
「リゼットさんが怒るから、麦と言ってあげて」
穀倉の入口で、本人が咳払いをした。
子どもたちは笑いながら札を選んだ。麦袋に黄色、豆袋に緑、芋籠に茶色。次に共通升で数え、札の裏へ印を付ける。字が書けなくても、五杯ごとに一本線を引けばよい。
三人とも迷わなかった。
ただ、ルカの友達の一人が黄色と緑の札を何度も見比べていた。色の名は正しく言えるが、薄暗い棚では区別しにくいらしい。
「外なら分かるんだけど」
「では、色だけにしない方がいいね」
黄色の札の角を一つ切り、緑には丸い穴を開け、茶色は四角いままにした。触っても違いが分かる。リゼットは穴へ紐を通しやすくする小さな金具を取り付けた。
「色札と言いながら、形まで付けるの?」
「暗い日もありますから」
「だったら、最初からそう言いなさい」
彼女は文句を言いながら、三種類の札を誰より丁寧に揃えた。
その横顔は、少しだけ楽しそうだった。
僕も笑った。
「だったら、全部の袋を今日中に替えましょう」
若い倉番が張り切ったが、僕は首を横に振った。
「まず一列だけにしませんか。明日の朝、使いにくかったところを聞いてから増やしましょう」
「簡単なのに?」
「簡単に見えているときほど、見えていない困り方があります」
僕自身、昨日それをやったばかりだ。
入口に近い棚一列を選び、古い袋から順に札を付けた。倉番が袋を下ろし、村長の奥さんと子どもたちが量り、僕が表へ書く。社長は紐を切り、リゼットは冷却具の風が通るよう棚の間隔を調整した。
役割を決めると、作業は思ったより早く進んだ。
作業表には、担当者の名前ではなく、することだけを四つ並べた。袋を下ろす、量る、札を書く、棚へ戻す。人は途中で交替してもよい。疲れたら次の人へ札を渡す。
昼前、腰をさすった年上の倉番へ、ルカが「僕が札を持つ」と声を掛けた。倉番は断ろうとしたが、札なら子どもでも運べる。重い袋を持てない人にも役割があると分かると、見ていた老人たちまで紐切りを始めた。
僕が作ったというより、仕事を小さく分けたら村の人が入ってきたのだった。
「シュウ、黄色い札が足りない」
ルカが言った。
「作ってきます」
僕が立つと、マルクさんの奥さんが止めた。
「あなたは書く人でしょう。札なら私が切れます」
気づけば何でも自分でやろうとしていた。僕は礼を言い、座り直した。
昼過ぎ、棚の一番下から古い麦袋が出てきた。表面は乾いているが、持ち上げた倉番の手に濃い染みが付いた。
紐を解くと、酸っぱい匂いがした。
底の麦が湿り、黒ずんでいる。すぐ隣の袋も同じだった。
「冷却具が弱いからよ」
リゼットがしゃがみ、銀の棒を差し入れた。先端の光が弱く揺れる。
「床際に冷気が届いていない。出力を上げるべきだと言ったでしょう」
「そうですね」
僕は素直に頷いた。彼女の診断は正しかった。
ただ、棚を見ると、湿った袋はすべて壁へ直接触れていた。外側の土壁には朝露が残る。冷却具の風だけでなく、壁の湿気も吸っているように見えた。
「この袋を少し前へ出してもいいですか」
木片を噛ませ、壁との間に手のひら一枚分の隙間を作る。隣の乾いた袋は、床から一段高い棚に置かれていた。
リゼットも壁へ手を当てた。
「出力を上げても、壁に触れたままなら結露するわね」
彼女は悔しそうではなく、むしろ少し楽しそうだった。
湿った麦を全部捨てる必要はなかった。傷んだ底だけを分け、残りはその日のうちに火を通して家畜用へ回す。人が食べる分は減るが、完全な損失にはならない。
マルクさんは傷んだ分を台帳へどう書くか迷った。五袋を減らせば減らしすぎ、七杯だけを減らせば袋の記録と合わない。
僕たちは、元の五袋を消さず、その横へ『人用から七杯を外した』と追記した。残りが家畜用へ移ったことも矢印で示す。数字をきれいに合わせるより、何が起きたかを後からたどれることを優先した。
「盤には入れられないわね」
「今は紙に残します。盤を変えるなら、こういう移し替えを扱える形が必要だと分かったので」
リゼットは冷却具の設計帳へ、用途変更を示す刻印案を書き込んだ。僕の紙と彼女の魔法が、少しずつ同じ方向を向き始めていた。
僕たちは棚一列の袋を、古い順に入口側へ並べ直した。黄色い札には、数だけでなく入庫日の印も付けた。
作業を終えたころ、穀倉には夕日の細い筋が差していた。色札が風に揺れ、どの袋から使えばいいか一目で分かる。
ルカが、一番古い袋の底を覗き込んだ。
「シュウ、こっちも少し濡れてる」
数え直した古い袋の底には、まだ湿った麦が隠れていた。




