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第88話 二人で見る灯り

最初の灯り舟が、水路へ放された。


青、黄、白。陶札と同じ三色の光が、戻ったばかりの水に細長く映る。次々に舟が加わり、中央広場から下流へ、光の道ができていった。


僕とリゼは、恋人になってからまだ半刻もたっていなかった。


何かが急に変わるのかと思ったが、つないだ手の温度はさっきと同じだった。隣に座る距離も、話す声も変わらない。ただ、その一つ一つを大切にしてよい理由が増えた気がした。


「これから、何をすればいいんでしょう」


「恋人の手順書を作るつもり?」


「あれば初心者には助かります」


リゼは笑った。


「まずは、次の休日も勝手に仕事へ渡さないこと」


「予約済みの月札を守ります」


「あとは、嫌なことは嫌と言う。会いたい時は会いたいと言う。分からない時は、今みたいに聞く」


「それなら、少しできそうです」


「私も初めてだから、一緒に直せばいいわ」


完成した関係へ入るのではなく、二人で使いながら作る。その言い方なら、僕にも分かった。


灯り舟には、町の人が願いを書いた小札が載っていた。『畑にほどよい雨』『家族が元気』『パンが焦げませんように』。大きな願いも小さな願いも、同じ水へ浮かんでいる。


僕なら何を書くか考えた。


自由な時間。健康。生活の安定。仲間。恋人。家族と呼べる人たち。


以前なら、欲張りすぎると思って一つへ減らしたかもしれない。グレンさんの言葉を思い出し、全部欲しいままでよいと思った。その代わり、全部を一度に守れるふりはしない。今日の休日を守り、明日の仕事を決め、一人でできない時は頼る。


「願いは決まりました?」


リゼが聞く。


「まだ多すぎて、札へ入りません」


「なら、二枚使えばいい」


「そういう方法もありますね」


係の人から二枚の小札を買った。一枚には、『皆と穏やかに暮らせますように』。もう一枚には、『その中に僕もいますように』と書いた。


リゼは僕の二枚を読み、自分の札を少し隠した。


「何を書いたんですか」


「願いは見せると逃げるの」


「町の皆さんは見えるように流しています」


「これは別」


後で風にめくれた時、『シュウが自分を守るのを忘れませんように』と見えた。見なかったことにしたが、握った手へ少し力を返した。


もう一枚、二人で一緒に書く札も買った。何を書くか相談すると、リゼは『次の休みも休めますように』と言い、僕は『願わなくても予定表で守りましょう』と返した。


結局、『来年も二人でこの灯りを見られますように』と書いた。


来年までに何が起きるかは分からない。案件も、仲間も増えるかもしれない。それでも、戻ってくる日を一つ決めておくと、未来が少し暮らしの形になった。


バルド社長とミナも、小さな舟を流した。社長の札は重すぎて舟が傾き、ミナが半分に切らせている。『会社が大きくなりますように』『皆が休めますように』を一枚へ詰め込んだらしい。


「二枚使えばよかったのに」


僕が言うと、リゼとミナが同時に笑った。


最後に、空へ上げる紙灯りの時間になった。


薄い紙で作った大きな袋へ、熱の魔石を入れる。温まった空気で袋が膨らみ、星のように浮かぶ。水路には下へ流れる灯り、空には上へ昇る灯り。町の人たちは、年に一度だけ二つの流れを見るという。


「きれいですね」


「ええ」


僕たちは、しばらく話さなかった。


仕事の次を考えず、光が遠くなるのを眺める。何もしない時間を、無駄だとは感じなかった。


やがて一つの紙灯りが、ほかと違う動きをした。上へ昇らず、風に押されて観覧席へ近づいてくる。火は消えており、危険はない。係の人が受け止めようとしたが、木段の手前でふわりと落ちた。


僕たちの足元へ、折り畳まれた紙が滑ってきた。


リゼが拾う。表には、開いた本と小さな鐘を組み合わせた紋章が印刷されていた。


「西の初等学校の印ね」


紙灯りではなく、遠くへ知らせを運ぶための伝書風船だったらしい。結び目が緩み、祭りの上昇気流へ迷い込んだのだ。


中の紙を開くと、子どもの字と大人の字が混ざっていた。


風船の内側には、小さな紙片が何枚も貼られていた。『本を読んでくれる先生』『畑を知っている先生』『怒鳴らない先生』『お昼を一緒に食べる先生』。子どもたちが欲しい先生を一人ずつ書いたらしい。


全部を一人で満たす人を探しているようにも見える。でも、よく読むと、一人の万能な先生ではなく、学校に足りない役割が並んでいた。


「先生を一人増やすだけでは、またその人へ全部集まりそうね」


リゼも同じ所を見ていた。


「授業そのものより、誰が何を教えて、何を教えなくていいかから見る必要がありそうです」


僕はそこまで言って、祭りの夜に仕事を始めていると気づいた。


「続きは明日です」


「よく止まれました」


『先生を募集しています。読み書き、数、生活魔法。全部できなくてもかまいません』


その下には、校長の追記がある。


『子どもは三十八人、先生は二人。来月、一人が産休に入ります』


緊急の救助を求める手紙ではない。それでも、三十八人と二人という数字は、僕の頭の中で自然に並んだ。


リゼが、僕の顔を見る。


「今日は休日よ」


「分かっています。返事は明日です」


僕は紙を畳み、仕事鞄ではなく、祭りでもらった袋へ入れた。


恋人になって最初の夜、僕たちの足元へ落ちてきたのは、先生が足りない学校からの手紙だった。

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