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第76話 壊れていない水路

東の町へ出発する朝、予定板の月札を外すか話し合った。


「町へ着くのは夕方です。明日が僕たちの休日ですね」


「現地を今夜少し見て、明日の朝に続けるなら重なる」


「休日後では、三日以内を越えます」


僕は月札を手に取った。


「今回は、一日だけ短くします。その代わり、翌週に同じ一日を取り直したいです」


「全部仕事にする?」


「朝は休みます。昼から現地を見て、夕方まで。終わらなければ次の日へ」


半日だけでも残す。最初から休日を全部なかったことにしない。


バルド社長は、代わりの日へ月札と炎札を移した。営業帳にも同じ印を付ける。


「現地にも、明日の午前は休むと伝えておきます」


前の僕なら、ここで「急ぎなら今日から全部働きます」と言っていたと思う。町の水が止まったと聞けば、休む理由のほうを小さく感じるからだ。


でも、村でも薬房でも運送組合でも、困っている人は仕事が終わるまで困っている。毎回それに合わせていたら、僕の休みは永遠に来ない。


僕は移した月札を、念のためもう一度見た。


「代わりの日を、仕事が増えたらまた動かすのはなしです」


バルド社長は胸へ手を当てた。


「俺を何だと思ってる」


「困っている人を見ると、予定表を見ない人です」


「シュウにだけは言われたくないな」


リゼとミナが同時にうなずいたので、僕も反論できなかった。


翌朝は、宿場町で本当に何もしなかった。僕は道の縁亭の食堂で遅い朝食を食べ、リゼは窓辺で本を読み、ミナはニアから教わった紐飾りを作った。水のことを考えかけるたび、リゼが本の上から僕を見る。その視線だけで、僕はパンへ意識を戻した。


昼の鐘が鳴ってから、仕事用の鞄を開いた。


休みを削ったのではなく、半日を選んで使った。そう言い直すと、少しだけ自分で決めた感じがした。


僕たちはリゼ、ミナと三人で馬車に乗った。町から交通と食事は出る。宿は未定のままなので、到着後最初に確認することにした。


東の町は、小さな川と丘の間にあった。


石造りの水路が町を三つに分かれ、家々の前を浅く流れている。普段は洗濯、畑、風呂、防火に使う。今は一番広い中央水路の底が乾き、子どもたちが石を拾っていた。


飲み水の井戸には、人が列を作っている。


「井戸は使えていますね」


「はい。生活水路が止まったので、全部の井戸を開放しました」


水番のネルは、細身の若い男性だった。声が小さく、話すたび手元の帳面を二度確認する。


「普段は鍵のある井戸も?」


「防火用と役所用も開けました。飲める水はあります。ただ、皆が運ぶのに時間がかかって」


命の危険はない。それでも洗濯や畑へ井戸水を使えば、列が長くなる。今のうちに直したいという判断だった。


列の先頭にいた女性へも話を聞いた。朝の料理と飲み水は足りているが、桶を運ぶため畑へ出るのが一刻遅れたという。別の老人は、風呂を一日我慢すればよいと笑った。子どもたちは乾いた水路を珍しがっている。


「困り方は、家ごとに違いますね」


ミナが小さな紙へ、飲む、洗う、畑、防火、と用途を書き分けた。


「まず飲み水を守る。その次に、水路を戻す。全部を同じ急ぎにしないほうがよさそうです」


僕が言うと、ネルは意外そうに顔を上げた。


「今日中に絶対直せ、と言わないんですか」


「言って直るなら言いますけど、焦ると同じ所を何度も見るだけになりそうです。井戸が足りなくなりそうな時刻はありますか」


「今の人数ならありません。防火用も半分以上残っています」


それを聞いて、僕たちは『今夜までに原因の範囲を狭める』『飲み水が減ったら調査より井戸の補給を優先する』と決めた。期限と中断条件があるだけで、ネルの呼吸が少しゆっくりになった。


「いつから止まっていますか」


「中央は二日前。南は今朝から細くなりました。北は流れています」


「原因は?」


「分かりません。水源の魔道具は動く。分岐門も動く。水量石も全部光る」


リゼが診断道具を出す。


水路は、山の貯水池から町へ水を送る。各分岐に流れを調整する門と、水量を測る魔道具がある。ネルは、壊れていそうな物を一つずつ見せた。


水源石、正常。


第一門、開閉できる。


水量石、反応あり。


中央分岐の伝達線、切れていない。


「どれも壊れていないわ」


リゼは同じ場所を別の測定具でも確認した。


「でも、水は来ません」


ネルの声がさらに小さくなる。


「僕が見落としたんだと思います。昨日から三回ずつ見ました。もう一度、最初から」


彼は水源石へ戻ろうとした。


「待ってください。三回確認した場所を、四回目に見る前に、どこを見たか並べませんか」


「記録しています」


帳面には、同じ水源石、第一門、中央水量石が何頁にも書かれている。異常なしの印が重なり、紙が黒くなっていた。


僕も昔、動かない仕組みを前に、同じ設定画面を何度も開いたことがある。一度目で見落としたのかもしれない。二度目も見落としたのなら、三度目こそ。そう考えているうち、確認回数だけが増え、確認範囲は狭くなる。


ネルの帳面は、怠けた人の帳面ではなかった。真面目すぎて、同じ場所から離れられなくなった人の帳面だった。


壊れていない魔道具のどこかを、ネルはまだ見落としていると思っていた。

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