第75話 読むだけなら一緒に
手紙は、折ったままでも水が染み出していた。
今すぐ開けば、濡れた紙を破るかもしれない。乾かしてからなら読めるが、文字の墨がさらに流れる可能性もある。
リゼは薄い吸水布で紙を挟み、低い熱の石をそばへ置いた。
「強く乾かせば早いのでは?」
「墨が動く。熱で紙が縮むと、読める場所まで割れる」
急ぐほど情報を失う。濡れた手紙にも、止める時間が必要だった。
ミナは紙筒、紐、鳥の足輪を別々に調べた。紙筒の蓋に小さな割れがあり、雨水が入ったらしい。伝書鳥のせいではない。
「次に返信するとき、新しい筒を一つ返しますか」
「依頼を受けるかとは分けて、壊れた容器だけ知らせましょう」
灯り木の備品から防水布を一枚巻き、再利用できる修理方法も添える。高価な筒を贈るのではなく、今ある物を保守する。
「一刻あれば、開けるくらいには乾く」
「急ぎの札はありません」
「札が取れた可能性は?」
紙筒の紐は残っている。札を付けた跡はない。
「休日明けまで待たせますか」
社長が聞いた。
選択肢を紙へ並べた。
一、今すぐ開いて読む。
二、乾かして今夜読む。
三、内容を見ずに休日明けまで待つ。
四、差出人へ期限だけ聞き返す。
手紙が濡れていなければ、四が一番よい。今回は差出人の手元に控えがあるかも分からない。新しい鳥で問い合わせる間にも、紙は乾く。
「期限を先に聞きますか」
「聞き返す文に、手紙が濡れて読めないことも書きましょう」
僕たちは『急ぎですか』とは書かなかった。それでは、困っている人は全員急ぎと答えるかもしれない。
今、水は使えるか。何日以内に来てほしいか。代わりの方法はあるか。具体的な三問にした。
返事を待つ間に、手紙をゆっくり乾かす。
まだ休日は三日後だ。手紙の内容を今確認し、仕事が必要なら休日の前に動くこともできる。逆に、読むことで気になり、三日間ずっと予定を考えるかもしれない。
「今日は、依頼を受けないと決めていません」
「そうやって、休日の前へ全部詰めるつもり?」
リゼの問いに、僕は止まった。
三日以内に終わらせれば、休日は守ったと言える。けれどそのために今日と明日を夜まで使えば、体力と日常が削れる。
「内容と規模を見てからです」
「一日で終わらなければ?」
「休日を一日短くするかもしれません」
「もう決めてるように聞こえる」
「相談します」
「誰と?」
「リゼと、社長と、現地です」
自分だけで損を選ばない約束を、口にしてから読むことにした。
僕が言うと、リゼが隣へ椅子を置いた。
「読むだけなら一緒に」
「読んだ後、困っていたら?」
「まず、いつまでか確認する。今日行くか、休日後に行くか、別の人へ頼むかを一緒に決める」
僕一人で手紙を読み、一人で責任を感じる形にしない。
一刻後、紙をゆっくり開いた。
上半分は読める。
『東水路管理所より。町の生活水路について、点検の相談をお願いしたく――』
その下は、墨が青く広がっていた。
『井戸』『開放』『門』『担当』という単語が断片的に残る。
読める単語をつなげれば、『井戸を開放した』『門の担当がいない』とも、『井戸を開放できない』『門の担当がいる』とも読める。前後が消えた文章は、想像で補うほど危険だった。
「ネルさんの字を知っています」
ミナが薬房の受領札を持ってきた。丁寧な字で、一行ごとに確認印を付ける人だ。
濡れた手紙にも、左端へ小さな点が並んでいた。点の数から、元は六項目あったと分かる。読めるのは二項目半だけ。
「控えがあるかもしれません」
「慎重な人なら、書き写している可能性はありますね」
希望的に決めず、返信で控えの有無も聞く。あれば新しい筒で送り直してもらう。
リゼは乾いた部分だけ別紙へ写し、推測した言葉には何も書かなかった。空白を空白のまま残す勇気が、ここでも必要だった。
「水が止まったとは書いていませんね」
社長が言う。
「点検の相談なら、休日後でもよいかもしれません」
紙の一番下だけ、別の濃い墨だった。ネルが最後に急いで書き足したのか、雨でも文字が残っている。
『このままでは、水が止まる』
最後の一文には、期限を示す言葉がなかった。
「水路が止まれば、生活にどのくらい影響しますか」
ミナによると、飲み水は井戸、洗濯や風呂、畑、防火用の水は水路を使う。すぐ命に関わるわけではないが、何日も止まれば町の暮らしが不便になる。
「代替手段があります」
「だから待てる、とは限らない。でも、今夜走る必要があるかは分けられる」
リゼは地図で東の町までの距離を測った。馬車で一日。今出ても夜道になり、安全ではない。最短でも明朝出発だった。
「今夜できることは、質問を送る、道具を準備する、宿と報酬を確認する」
僕は三つの質問に、交通費、宿、現地責任者を加えた。困りごとだけでなく、受ける条件も同時に聞く。
今止まっているのか、これから止まるのか。いつまでなのか。町全体か、一部だけか。
肝心な情報は、濡れた部分に消えていた。
「返事を送って聞きましょう」
僕は三つ書いた。
今、水は出ているか。いつ止まる見込みか。飲み水はあるか。
伝書鳥は疲れているため、別の鳥を使う。社長が町の通信所へ頼んだ。
通信費は灯り木が立て替え、依頼を受ければ町へ請求、受けなければ営業費。僕個人の財布は出さない。
「鳥へ薬を塗ってもいいですか」
ミナは濡れた羽の冷えを心配したが、専門外なので近くの鳥係へ確認した。薬は不要で、乾いた籠と水だけでよいという。
善意で何かを足す前に、必要か聞く。鳥も一刻休むと元気に餌を食べた。
「返事が来るまで、休日は消さない」
リゼが月札を押さえた。
「はい。まだ、何も決まっていません」
月札と炎札は予定板に残った。依頼の手紙はその横ではなく、『確認待ち』の棚へ置く。
休日と問題を同じ場所へ置かないだけで、月札が少し守られたように見えた。
返事が来るまで、僕たちは通常の仕事へ戻った。気にはなったが、十分ごとに鳥の窓を見に行く代わり、ミナが通信所から来たら鐘を一度鳴らすと決めた。
一時間、僕は目の前の修理札を二枚終えられた。
一時間後、東の町から短い返事が届いた。
飲み水は井戸で確保。生活水路は一部停止。三日以内に見てほしい。
交通、宿、食事は町が負担する予定。ただし宿の名前は未定。報酬は水路が戻った後、町の予備費から。現地責任者はネル。
急に行く必要はないが、三日後までには着く必要がある。明朝出れば、休日の前日から調査できる。二日で終わらなければ休日と重なる。
「どうする?」
リゼが、答えを僕へ戻した。
「明朝出ます。最初の二日で状況を見て、休日に続ける必要があるか二人で決めたいです」
「休日を最初から差し出さない?」
「はい。一日だけ短くする場合も、残りは取り直します」
自分の休みと町の暮らしを、どちらか一方だけにせず条件へ入れた。
僕たちの休日は、ちょうど三日後だった。




