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第72話 名前だけ先に届く

「今は、払える銀貨がない」


ボルクは、今月の帳面を見せた。


誤配した荷物の返送、遅れた分の値引き、壊れた車輪の修理。収入はあるが、御者の給金と馬の餌を先に払えば、手元にほとんど残らない。


「御者の給金を遅らせれば、今日払える」


「それはやめてください」


僕とリゼが同時に言った。


契約では一か月後。今払えないことは違反ではない。ボルクは、僕がまた無料でよいと言い出す前に、自分から事情を見せたかったらしい。


「一か月後にも払えない場合は、どうしますか」


「その時点で再配達が減っていなければ、成果報酬はゼロだ。減っていて現金がなければ、支払日を相談する。勝手に消さない」


契約の言葉を、ボルクも覚えていた。


ボルクは頭を下げたまま言った。


「報酬は一か月後の契約です」


「分かっている。だが、道具代もまだ払えていない」


形札の材料、出発紐、三組の対鐘、雨よけの薄板。どれも導入前に見積もりを出したが、最初の形札だけ、僕が試作として自分の銀貨で買っていた。


対鐘は灯り木から一週間の試用品として借りている。紐と薄板は組合の備品。支払いが必要なのは、僕が買った木札と穴型だけだった。


「銀貨二枚分です」


木札の材料は銀貨一枚。穴型の職人代が一枚。僕の自由費から出しており、椅子用に取り置いた銀貨とは別だった。


「椅子を買った後に、まだ払えるから買った?」


リゼが確認する。


「はい。生活費も残っています」


「なら、今回は止めない。ただし記録する」


僕は個人支出の札へ、運送組合試作費、銀貨二枚と書いた。何となく消えたお金にしない。


「この前も損をしましたが、今回は自分で選んだ試作です」


「損は損よ」


「はい。だから数えています」


以前より、損を認めても後悔しない言い方ができた。


「報酬が出たら、一緒に返す」


「この道具代は、僕が負担します」


リゼがこちらを見る。


「理由は?」


「最初に、組合の合意を取る前に買いました。契約では、事前の印がない購入は僕の判断です」


誰かが困っているからではなく、自分で決めた契約の結果だった。


「次の札は、組合で作ってください。穴型はここへ置いていきます」


「ただでもらえない」


「では、型を貸します。三か月後に返してください。札の材料は、今回の僕の試作費です」


「三か月で何枚作ってもいいか」


「組合で使う分なら。ほかの組合へ売る場合は、型の持ち主として相談してください」


僕は無償貸与の範囲まで書いた。善意で渡した型が商売へ使われても怒らずに済むよう、先に境界を置く。


ボルクは、他所から頼まれたら材料代と職人代だけで作り、利益の一部を穴型の修理費へ残すと提案した。僕への使用料は不要だが、型が壊れたとき組合で直す。


「それなら続けられます」


貸すことが、使い切られることにならない形へなった。


貸出票を作り、返却日を決めた。損を曖昧に贈り物へ変えない。


ボルクはようやく顔を上げた。


「一か月後、再配達が減った分は契約どおり払う。道具代とは分ける」


「お願いします」


今すぐ手元に増えるお金はない。銀貨二枚は減った。けれど、何を自分で負担し、何を後でもらうかは分かっていた。


五日間の結果を確認した。


出発時刻と帰着時刻だけでなく、御者の休憩時間も比較した。平均は以前と変わらない。早く届けるために休みを削ったわけではなく、迷いと戻りが減った分だけ早くなっている。


受付の記録時間は、一件あたり半分。伝令役の子どもは、午後に一時間以上遊べた日が三日あった。モコは二度、係留輪が移っていることを確認され、台帳を食べていない。


「山羊も成果に入るか」


ボルクが聞く。


「報酬計算には入れません。報告には入れます」


笑いながら、失敗表の最初にモコの絵を貼った。


宛先不明の三個には、確認中の期限を付けた。一か月経っても送り主が見つからなければ、勝手に捨てず、組合掲示へ出して処理を相談する。


残った問題も、誰かの記憶へ放置しなかった。


誤配はゼロ。宛先不明の戻りは十二個から三個。三個も、受取人不在で場所は分かっている。問い合わせの伝令は一日平均六回から二回。御者の帰着遅れはなく、休憩を削った人もいない。


ミナは配車役を二人の受付へ教えた。地図の通称更新は新人のエドが担当する。モコの輪は、朝の受付が毎日移している。


僕たちがいなくても、翌朝の仕事は始められる。


荷ほどき場を出ると、御者たちが集まっていた。


一人が宿場町へ行く便。もう一人は赤炉工房。麦穂村、薬師村、遠い北の集落。これから各地へ散っていく。


「シュウさん、次に困ってる場所があったら、名前を話していいか」


「相談を受けられるかは、そのときの予定次第です」


「それも一緒に伝える。先に報酬と宿を決めろって」


僕の契約の癖まで、運ばれるらしい。


「人がよくて、紙を並べる、細い兄ちゃん」


「最後の部分は不要です」


「体力がないから、無理な急ぎを頼むな、も伝える」


「それは必要です」


御者たちは、僕が何でも無料ですぐ受ける人だとは話さないと言った。まず困りごと、期限、宿、報酬を用意する。現場を見ないうちに大きな魔道具を買わない。失敗しても人を責めない。


評判が広がるなら、僕の善良さだけでなく、仕事を受ける条件も一緒に広がる。リゼが「それなら少し安心」と言った。


御者の一人は、赤炉工房へ僕の名前を話したら、ガント親方に「もう知ってる」と追い返されたらしい。別の御者は薬師村で、ミナの方が詳しいと教えられた。


僕一人の名前ではなく、つながった人たちの網が各地へ広がっていた。


御者たちが笑う。


名前が広がれば、依頼も増える。自由時間が減る危険もある。それでも、僕一人で全て受けなければよい。ミナや現場の仲間へつなぐこともできる。


ルカが、組合の入口で出発札を整理していた。


「薬房へ帰る時間ですよ」


「あと一枚だけ」


彼は丸札を紐へ通し、御者へ宛先と目印を復唱させた。手つきはもう、ただの配達の子どもではない。


「シュウさん」


「はい」


「僕も、仕事を並べる人になりたい」


「運送組合で?」


「薬も運びたいし、村の食べ物も、工房の道具も。どれを先にするか、皆と決められる人」


それは、僕の仕事より広いかもしれない。


「まず、今日の帰り便を並べてみますか」


「子どもに任せていいのか」


ボルクが聞く。


「最終確認は大人がします。ルカさんは札を並べ、理由を話すところまでです」


安全の境界を決め、学ぶ機会を作る。


帰り便は三台。薬房へ空瓶、麦穂村へ塩、宿場町へ食器。ルカは期限と行き先を見て、薬房と麦穂村を同じ北便、宿場を南便へ分けた。


「空瓶は急ぎじゃない。塩は雨に弱い。屋根のある荷車へ一緒にする」


ミナが確認し、ボルクが印を押した。


ルカの最初の配車は、無事に出発した。


ルカは大きく頷いた。


御者たちは各地へ出発し、僕の名前と、僕より育ち始めた二人の名前を一緒に運んでいった。

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