第61話 僕宛ての大荷物
結局、僕たちは鐘の場所へ走らなかった。
店主が伝言を受け、夕食のデザートを運んできた。
「運送組合の荷車が一台、道を間違えて遅れるそうです。急ぎの薬や食料ではありません。明日の朝には着くとのことです」
「鐘の鳴らし方だけで、そこまで分かるんですか」
「遅れの鐘を聞いた案内係が、宿へ札を持ってきました」
鐘は異常を知らせる入口で、詳しい内容は人が伝えていた。音だけへ情報を詰め込みすぎない。
札には、荷車一台、家具と書類、明朝、緊急性なし。担当の運送組合長の印もある。
「僕たちが行っても、できることはありませんね」
「道を一緒に迷うくらい」
リゼの答えで、立ち上がる理由がなくなった。
店主は「安心して続きを」とデザートを置いた。仕事の情報を隠さず、こちらが判断できるところまで伝えてくれたので、任せることができた。
「何の荷物ですか」
「家具と、組合の書類だそうです」
椅子かもしれない。けれど、まだ買っていない椅子が届くはずもない。
僕は座り直し、温かい果実菓子を食べた。遅れが分かり、期限も分かり、緊急でないなら、担当者に任せられる。
「気になる?」
「かなり」
「でも座ってる」
「成長しました」
「デザートに負けただけかも」
その可能性はあった。
食事の帰り、店はもう閉まっていたが、家具屋の窓から椅子を眺めた。リゼは僕がどの椅子を長く見るか何も言わず確認し、翌朝の開店時刻だけ扉の札で確かめた。
「明日、仕事は?」
「午後からです。午前は休日の続き」
「休日を半日ずつ使うんですね」
「鐘に行かなかった分、まだ残ってる」
休みを物のように貯められるわけではない。それでも、守った時間が次の楽しみに続く感覚はあった。
小屋まで送ると言うと、リゼは「私も同じ方向」と答えた。会社と小屋は方向が少し違うが、指摘しなかった。
境界石のところで別れ、僕は一人で新しい椅子を置く木陰を見た。明日、自分のための物が増える予定だった。
翌朝、家具屋へ行った。
店には背もたれの角度が違う椅子が十脚ほど並んでいる。僕は値札の一番安い物から座ろうとしたが、リゼに止められた。
「先に体に合う物を選ぶ。値段はその後」
一脚目は背が硬い。二脚目は深すぎて立ち上がりにくい。三脚目は腕置きが高く、肩が疲れる。
五脚目で、体が自然に収まった。
家具職人は、僕の座り方を見て背板の紐を一段緩めた。
「肩が前へ入る癖がある。仕事で下を向くことが多いのか」
「紙を見ています」
「なら、背を起こしすぎない方がいい」
同じ椅子でも、紐の結び位置で角度を変えられる。壊れたら板全部ではなく、紐だけ交換できる。
「保守しやすいですね」
「椅子をそう褒める客は初めてだ」
職人は笑い、替え紐一本を値段へ含めてくれた。贈り物ではなく、製品の付属品だと伝票にも書く。
「何年くらい使えますか」
「雨ざらしにしなければ十年。年に一度、油を塗れ」
僕は買った後の手入れまで聞き、椅子用の小さな札を作った。自分の物だからこそ、長く使いたかった。
背は少し倒れ、腕を置ける。足が床へ届き、長く座っても腰が押されない。月葉の木で作られ、雨に当たっても傷みにくい。
値段は、僕が宿代で出した銀貨三人分の、ほぼ二倍だった。
財布から銀貨を出すとき、手が一度止まった。
このお金があれば、誰かの宿代を六人分払える。薬草を買える。会社の古い棚も直せる。
同時に、この椅子は毎日の休みを支える。腰を守り、本を読む場所を作る。今の僕が使うためのお金でもある。
「損だと思う?」
リゼが聞いた。
「いいえ。高いとは思います」
「高いけど、欲しい」
「はい」
それで十分だった。
「高いですね」
「払えない?」
財布と今月の生活費を計算する。薬房の報酬はまだだが、赤炉工房と宿場町の報酬が入り、買っても食事や家賃には困らない。
「払えます」
「欲しい?」
「欲しいです」
自分のために銀貨を出した。
家具屋は午後に届けられると言ったが、僕たちは小さな荷車を借り、自分たちで小屋へ運んだ。リゼが前、僕が後ろ。途中で三回休み、最後の坂は畑へ来たミナにも手伝ってもらった。
木陰の古い椅子は捨てず、荷ほどき場の御者用にする。ただし契約書へ町の備品として追加し、壊れたら町が直す。新しい椅子は畑側、月札の日だけ外へ出す。
僕は座り、本を一冊開いた。
「どう?」
「腰が痛くありません」
「それだけ?」
「少し、家らしくなりました」
リゼは隣に座る場所を探したが、椅子は一人用だった。
「もう一脚、必要でしたか」
「すぐ二つ買うと、また仕組みを広げすぎる。今日は私が古い方」
古い椅子の短い脚には、家具屋でもらった木片を挟んだ。がたつきが止まり、リゼも背を預けられる。
「まだ使えますね」
僕が言うと、彼女は笑った。
「今回は本当に」
新しい物を買ったからといって、古い物を捨てる必要はない。役割を分ければ、二人で座れる場所になった。
僕は本を開いたが、同じ頁を何度も読んだ。隣にリゼがいることが気になり、内容が頭に入らない。
「読まないの?」
「読んでいます」
「頁が動いてない」
「今日は景色も見ています」
彼女はそれ以上追及せず、月葉の匂いを吸い込んだ。
二人で別の椅子へ座り、しばらく何も話さなかった。
昼前、町の道から大きな荷車が近づいてきた。昨夜遅れた便らしい。
御者は荷ほどき場ではなく、僕の小屋の前で止まった。
荷台には、僕が買った椅子より大きな木箱が一つ。縄には宛先札が付いている。
『遠野修司殿』。
「僕宛てですか」
「そう書いてある。だが、中身の送り主が分からん」
御者は困り果てていた。組合では、荷札に名前があれば本人へ届ける決まりだ。三つの町名は経由地だと思い、最後に書かれた僕の名を宛先と判断したという。
「受領の印をください」
「中身を確認してからにします」
以前なら、自分の名があれば受け取っていただろう。大きな箱を置く場所も、返送費も分からない。
荷札をよく見ると、僕の名前の前には小さく『相談先』と書かれている。宛先欄ではなかった。
「これは、僕に届ける荷物ではありません」
御者の顔が青くなった。
「また誤配か」
「中身は組合の資料かもしれません。まず送り主へ確認しましょう」
受け取りを断るのではなく、荷車を荷ほどき場へ止め、組合へ伝言を送る。大箱はまだ御者の管理下だと札へ書いた。
しばらくすると、遠くから一人の大男が走ってきた。
「その箱を開けないでくれ!」
運送組合長だった。
荷札の裏には、運送組合の印と、三つの違う町の名前が重ねて書かれていた。




