↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
59/150

第59話 資料を持ってきた人

夕食招待の日、僕は一時間前から準備をした。


宿場町の最終報告書。空室数の推移。市場の受取時刻表。荷ほどき場の二週間見直し結果。ガント親方の新しい目盛りの説明書。


「何をしてるの?」


リゼが会社の入口で尋ねた。


彼女は仕事用の灰色の外套ではなく、深い青の上着を着ていた。髪もいつもより丁寧にまとめ、月形の小さな留め具を付けている。


「宿場の皆に聞かれた場合、説明できるように」


「招待状をもう一度読んで」


『仕事の相談はありません』。


「相談はなくても、報告は必要かもしれません」


「必要ない」


リゼは僕の鞄を開き、紙束を一つずつ机へ戻した。


「筆記具も置いて」


「料理の感想を書くかもしれません」


「口で言えばいい」


「予定を聞かれたら?」


「覚えている範囲で答える。覚えていなければ明日確認する」


最後に鞄そのものを取り上げられた。


「財布は持っていっていいですか」


「招待だから食事代はいらない。でも、帰りに椅子を見るなら必要」


「ミナさんと社長は?」


「招待状に二人と書いてある」


「皆で行った方が楽しいかもしれません」


「今日は二人で行く」


リゼは言い切った。


そこまで明確に言われると、夕食の意味を考えてしまう。けれど、仕事の打ち合わせではない二人の食事を、何と呼べばよいか分からない。


「服は、これで大丈夫ですか」


いつもの仕事着を見下ろす。袖に墨の跡があり、膝には畑の土が薄く残っていた。


「着替えて」


僕は小屋へ戻り、こちらへ来た日に雇用所でもらった一番きれいなシャツへ替えた。色は地味だが、仕事の汚れはない。


会社へ戻ると、ミナが髪の乱れを直し、社長が何も言わず僕の襟を整えた。


「皆、何をしているんですか」


「外へ出る準備です」


「ただの夕食ですよね」


三人とも答えなかった。


宿場町で守った木陰の椅子は、古くて片脚が少し短かった。リゼは前から、新しい物を一つ買うよう勧めていた。


「今日は買うんですか」


「店が開いていたら見る。買うかどうかは、座ってから」


仕事以外の予定は、決め方まで柔らかい。


星匙亭は、町の川沿いにある小さな食堂だった。扉を開けると、店主が奥の窓際へ案内してくれる。二人用の丸机には、月灯苔を入れた瓶と小さな花が置かれていた。


「本日は貸し切りではありません。いつもどおりの夕食を、ゆっくりどうぞ」


店主は本当に仕事の話をせず、料理だけ説明した。


焼いた川魚。畑の根菜。香辛料を少し入れたスープ。宿場町から届いた固いパンは、薄く切って油で焼いてある。


僕は最初の五分、何を話せばよいか分からなかった。


仕事なら、最初に目的を確認し、聞きたいことを並べる。今日の目的は食事を楽しむこと。確認事項はない。


「天気がいいですね」


窓の外は、すでに夜だった。


「昼はよかった」


「料理がおいしいですね」


「まだスープしか飲んでない」


「店の雰囲気が」


「緊張してる?」


「かなり」


正直に答えると、リゼの表情が柔らかくなった。


「私も少し」


「そう見えません」


「工具箱を持ってこない夕食は久しぶりだから」


彼女も、仕事と切り離された時間には慣れていないらしい。二人とも同じなら、少し安心した。


リゼは魚を切り、僕はスープを飲む。周りの客の声と食器の音が聞こえる。


「静かですね」


「店だから、音はしてる」


「僕たちがです」


「資料がないからね」


彼女は楽しそうだった。


「仕事の話以外なら、何から話すんですか」


「今日、面白かったこと」


僕は朝から思い返した。


会社の軒下で、小さな鳥がリゼの工具袋へ巣材を運ぼうとしていた。ミナが薬草鉢へ水をやりすぎ、鉢の下だけ床が光っていた。社長が昼食のパンを棚へ置き、その棚を三十分探した。


話すと、リゼは声を上げて笑った。


「全部見てたのに、何も言わなかったの?」


「困っていなさそうだったので」


「仕事じゃない観察もしてるのね」


「癖です」


僕自身は面白い人ではなくても、周りの小さな出来事なら話せる。そこから会話は少しずつ続いた。


リゼは、僕が笑う前に一度だけ周囲の顔を見る癖があると言った。皆が笑ってよい場面か確かめているように見えるらしい。


「自覚はありませんでした」


「今も確認した」


指摘されると、何をしても意識してしまう。


僕はせめて宿場町の料理について話そうとした。


「このパンは、受取時刻を三つに分けた店の」


「仕事の話」


「パンの出所です」


「仕組みの説明になりかけた」


次に、月灯苔の瓶を話題にする。


「この光は、魔力の量によって」


「それも仕事」


「リゼの趣味かと思って」


「術式の話は好き。でも今日は、別の話を聞きたい」


「リゼの話ではなく?」


「私のことは、仕事中にもよく話してる。作りたい物とか、嫌いな術式とか」


「好きな食べ物は知りません」


「香辛料の強い魚。甘い物は少し。苦い茶は嫌い」


「今飲んでいますよね」


「君が頼んだから」


僕は自分の分と彼女の杯を交換した。僕が頼んだ果実茶は甘い。リゼは一口飲み、頷いた。


「こういうことは、すぐするのね」


「飲めないなら」


「全部譲る話じゃない。次は、注文するとき私に聞いて」


助ける前に聞く。小さな食事の中にも、同じ境界があった。


「何をですか」


リゼは僕が持ってきてしまった一枚の紙を、胸元から取り出した。鞄から全部戻したはずだが、上着の内側に小さなメモが残っていたらしい。


『宿場町・追加確認』と書いてある。


彼女は紙を二つに折り、さらに二つに折った。


「今日は、シュウの話をして」


「僕の仕事の話なら」


「仕事じゃない方」


彼女は折った資料を、月灯苔の瓶の下へ敷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。