第58話 二人用ではなく二部屋
「ニアちゃん、予約札を見せてください」
僕が言うと、彼女は僕とリゼの札を並べた。
名前が二つ。今夜。人数はそれぞれ一人。部屋数は、それぞれ一。
「一と一だから、二人のお部屋が一つ!」
足し算は合っているが、予約のまとめ方が違う。
「部屋数も、一と一で二つです」
「一緒じゃないの?」
「一緒ではありません」
「仲が悪い?」
「そういう理由でもありません」
「じゃあ、好きじゃない?」
六歳の質問は、受付札より逃げ道が少なかった。
「仕事の仲間として、とても信頼しています」
僕が答えると、リゼが横目で見た。
「宿の質問にしては長いわね」
「正確に答えようと」
「一部屋か二部屋かだけでいい」
ニアは納得しない顔だったが、二本の鍵を取った。
「今夜は二部屋。次は聞く」
何を聞くつもりなのか怖かった。
廊下で別れたあと、僕は自室へ入り、扉を閉めた。広い寝台が一つ、机、窓。隣室との壁は薄く、リゼが工具箱を置く音が聞こえる。
別々の部屋を選んで安心したはずなのに、少しだけ距離が遠くなったようにも感じた。自分の感情に付ける札は、宿の色より難しい。
説明するほど、何が理由なのか分からなくなった。
リゼは笑いをこらえながら、二枚の受付札の間へ線を引いた。
「別々に予約した人は別の部屋。同じ札に二人書いてあったら、一部屋か二部屋か聞く。分かった?」
「分かった。まだ夫婦じゃないから別々」
「その説明もいらない」
顔が熱くなる。リゼは平然としているように見えたが、耳が少し赤かった。
夫婦用の部屋は、ちょうど到着した旅人の夫妻へ案内した。僕とリゼは廊下を挟んだ別々の部屋。ミナはその隣だ。
「今日は、二人で一部屋の方が安かったですよ」
ミナが帳面を見て言う。
「会社の宿泊費なので、そこは節約しなくていいです」
「シュウさんが個人で払うなら、同じことを言いますか」
「……二部屋分を払います」
「なぜ?」
ミナは薬房の質問札を使うように重ねた。
「まだ、そういう関係ではないので」
「そういう関係って?」
「弟子が聞く内容ではありません」
「一緒に調べる人として聞いています」
リゼがとうとう声を出して笑った。
「ミナ、その例外はセラ先生へ確認して」
「三角札を付けておきます」
ミナは僕たちの受付札へ、本当に小さな三角を描いた。確認先のない例外が一つ増えた。
リゼが僕の背中を軽く叩いた。
「そこは成長した」
翌朝、宿場町での最後の確認をした。
予約受付は二重なし。案内所で断った客はゼロ。市場の受け取り忘れは一件だけで、宿への伝言で夕方に渡った。荷ほどき場は条件どおり運用され、月札の日も守られている。
宿主たちは、色札を捨てなかった。各宿の中では今までどおり使い、案内所へは空室数を声と札で伝える。全てを統一しなくても、町全体の流れはつながった。
最終報告は、一枚の地図と三枚の表にまとめた。
地図には、案内所、五軒の宿、市場、荷ほどき場。表は、空室の受け渡し、予約の入口、荷物が大きい場合。それ以上の細かな店内ルールは、各宿の帳面に残す。
「報告書が薄いな」
ドムが言う。
「毎日使う人が、必要な頁を見つけられる厚さにしました」
詳しい調査記録は別冊として宿組合へ渡す。失敗した丸札や六角形案、使わなかった魔道具案もそこへ挟んだ。将来、旅人が倍になれば役に立つかもしれない。
見直し担当は、ドムとレナだけにしなかった。案内係、市場代表、配達役の子ども一人が月に一度集まる。使う立場の違う人が、困りごとを一つずつ持ち寄る。
ニアも参加したいと言い、文字の代わりに鍵の絵を描く係になった。
「次に直すものは?」
ドムが尋ねる。
「二週間後の見直しで出たことを、皆さんで一つ選んでください」
「シュウさんは来ないのか」
「必要なら、契約を分けて呼んでください。最初の相談だけなら手紙でも答えます」
「相談料は?」
レナが聞いた。
以前なら、手紙くらい無料でと答えただろう。
「最初の一通は今回の保守に含めます。二通目から、調査が必要なら見積もります」
「よし。紙に書いて」
レナは笑って、報告書の末尾へ追加した。相手の方から報酬条件を確認してくれる関係になっていた。
「毎週の食事は続けるわ。相談料とは別」
「それも分かっています」
僕はもう、贈り物を理由に仕事を無料へ戻さなかった。
無料で何度でも来るとは言わなかった。
レナは帰りの馬車へ、大きな保温箱を積んだ。
「今週の夕飯よ。煮込み、焼いた鶏、固いパン。土地代じゃないからね」
「一週間分ありませんか」
「皆で食べれば三日よ」
ガント親方からは、追加目盛りの付いた測定具と新しい貸出票を受け取った。所有者は灯り木、借用先は宿場町、返却日は今日。僕は会社へ持ち帰る担当として署名する。
「今度は、ひびを増やさないでね」
リゼが言う。
「増えたら、また目盛りが増えるかもしれません」
「それを期待して壊さない」
貸出票には、新しい用途も書いた。炉の温度、魔力の揺れ、荷重。ただし荷重を測るときは温度石を外し、上限の線を越えない。ガント親方が使い方を三行にまとめている。
道具が賢くなっても、扱う人が迷わない説明は短いままだった。
ミナが箱を持ち、僕は貸出票を持つ。リゼは「今度は私が運ぶ」と言い、途中で交替する時刻まで決めた。誰か一人が最後まで抱えない。
宿場を出るとき、ニアが二枚の札を振った。
「シュウお兄ちゃん一部屋、リゼお姉ちゃん一部屋!」
「もう泊まりませんよ」
「次に来るとき!」
夫婦用の部屋を勧めることは諦めていないらしい。
灯り木へ戻ると、保温箱より先に一通の封筒が届いていた。
宛名は、『シュウ様、リゼ様』。
差出人は、町の小さな食堂『星匙亭』だった。宿場町の仕事中、僕たちが一度だけ二人で昼食を取った店だ。店主から、予約の仕組みを直したお礼に夕食を二名分用意したいと書かれている。
日付は次の休日。『仕事の相談はありません』と太い字で添えてあった。
「二人だけですか」
ミナが封筒を覗く。
「二名とあります」
「シュウさんとリゼさんの名前があります」
「見れば分かります」
リゼは招待状を取り、何でもないように予定板へ掛けた。
「資料は持ってこないで」
「なぜですか」
「その質問をした時点で、必要だから」
僕は夕食招待の札へ、仕事ではないことを示す月の印を付けた。
二人宛ての夕食招待状だった。




