第55話 旅人が食べ終わる町
空室の伝達と市場の受取時刻、荷ほどき場の三つが動き始めて一週間がたった。
宿場町の夕方は、以前より少し静かになった。
旅人は案内所で一軒だけ宿を教わり、予約札を受け取る。荷車は古い道の荷ほどき場へ止め、市場の荷物を手押し車へ移す。受取時刻が分かるので、店の前で待ち続ける必要もない。
余った時間に、食堂へ座る人が増えた。
道の縁亭の食堂では、夕方の鐘の前から湯気が上がっていた。以前は宿探しを終えた客が閉店間際に駆け込み、レナが冷めた料理を温め直していたという。
今日は客が同じ時間に集中せず、一人は煮込み、一人は焼き魚、子どもは甘い粥をゆっくり食べている。
ニアは客の皿を急いで下げず、食べ終わった人へだけ声をかけるようになった。
「前は、次のお客さんが来るから早くしてって、お母さんに言われてた」
「今日は席が空いていますね」
「お部屋も空いてる。でも大丈夫」
六歳の娘の方が、空きを失敗と考えなくなっていた。
アーシュは食後に宿場の地図を広げ、翌日の取引先を二つ増やした。急いで通り過ぎていた旅人が町へ滞在すれば、宿泊代以外の商いも生まれる。
「客を詰め込むより、時間を残す方が売上になることもあるんだな」
ドムが驚いていた。
「今までは、宿を三軒回るうちに夕食の鐘が終わってた」
ベンが妻と煮込みを食べながら言った。
隣国の商人アーシュは、香辛料屋との取引を終え、初めて昼から温泉へ行けたらしい。配達役の子どもたちは、走る回数が減った時間で広場の球遊びをしている。
店主も、客が来ない商品を抱えて待たずに済む。夕方の注文品だけ棚へ残し、昼の品を片づけてから食事を取れるようになった。
「売上は増えましたか」
僕が市場代表へ聞くと、彼は帳面を見せた。
「少しな。でも、捨てるパンが半分になった方が大きい」
パン屋では、受取時刻ごとに焼く数を分けるようになった。朝の注文が十なら、予備を二つ。以前は客がいつ来るか分からず、念のため二十焼いていた。
「予備が少なくて売り切れたら?」
「次の時刻を伝える。旅人が待てないなら、隣の店を案内する」
店主は、自分だけで全ての客を取ろうとしなくなった。市場全体で受けられれば、客は町を嫌いにならない。
野菜屋では、夕方まで取り置く品を別の籠へ入れ、売ってよい品と混ざらなくなった。香辛料屋はアーシュの青札を受付札へ写し、隣国の方法も残している。
市場の店が、宿の仕組みをコピーせず、自分たちの形で同じ問題を解いていた。
売れた額だけでなく、作って待ったまま古くなる品が減っていた。
宿の空室は、毎晩一、二室残った。以前のように看板だけ満室にはならず、かといって夫婦が無理に全室を埋めることもない。
ドムは最初、空室が残るたび気にしていたが、レナが七時間寝るようになり、ニアと朝食を食べる時間が増えたことで、考えを変えた。
「満室より、明日も開けられる方がいい」
その言葉を、案内所の板の裏へ書いた。
荷ほどき場の二週間見直しも行った。
利用は一日平均七台。最大でも同時に四台。夜の利用はゼロ。畑の柵は無事で、雨水の溝にも問題はない。地面は少し固くなったが、想定内だった。
休日の月札を出した二日は、誰も入らなかった。
一度だけ、知らずに来た御者が入口で止まった。条件を聞いていなかったらしい。彼は怒らず、北の草地で荷物を小分けにし、翌日から宿組合が新しい御者へ必ず三条件を説明するようになった。
「続けますか」
宿組合に聞かれ、僕は三か月の延長へ署名した。
延長前に、北の草地の見積もりも確認した。水はけを直すには銀貨が多く要るが、来年の春までに町の予算へ入れるという。僕の土地は便利でも、唯一の場所にしない約束が続いていた。
「北の場所ができたら、こちらは返しますか」
「昼の荷物は北、宿へ急ぐ小荷物はこちら、という使い分けもできる」
「そのときは、また条件を決めましょう」
将来の便利さを理由に、今の契約を自動で広げない。三か月後の見直し札を入口の柱へ掛けた。
掃除当番の記録を見ると、宿組合が一度忘れていた。市場当番が気づき、代わりに掃除したが、翌日二つの組が同時に来た。
「当番を増やすのではなく、掃除が終わったら箒を入口から奥へ移しましょう」
箒が入口なら未完了、奥なら完了。紙の印を増やさず、使う道具そのものを合図にした。
「椅子は使えていますか」
リゼが皆の前で確認する。
「はい。荷車を見る仕事に使う日が増えましたが、休む日にも座れています」
「それは仕事用になってない?」
「半分だけです」
完全には守れていないが、自分で選んだ半分だった。
最後に、町の入口の看板を直すことになった。
新しい看板は、旅人に全ての空室数を見せるものではない。案内所が開いている時間は『ここで聞く』という耳の絵、閉まった後は宿紋章と残り数を掛ける。
文字が読めないベンと隣国のアーシュにも見てもらい、耳の絵は二人とも『話を聞く場所』だと分かった。ただし、耳だけでは診療所と勘違いする人もいるため、屋根と寝台の絵を隣へ足した。
「また絵が増えています」
ミナが心配する。
「二つで止めます。分からなければ、案内係が声をかけます」
看板は説明の全てではなく、話しかける入口だ。
古い『満室』の文字を外し、五軒の宿紋章と夜の空室数を掛ける横棒へ替える。色は塗らず、朝、昼、夜の札だけ置く。
僕とミナが下で位置を見て、リゼが金具の魔力を測る。ドムが梯子へ上り、看板を持ち上げた。
「右へ指一本です」
「こっちか」
「反対です」
「シュウさんから見て右か?」
声の確認をしている最中、古い留め具が乾いた音を立てた。
看板の片側が外れる。
「下がって!」
リゼの声で、僕とミナが離れた。看板は斜めに落ちたが、地面へ届く前に、太い腕が下から受け止めた。
「相変わらず、最後の金具が弱い」
灰色の髭を煤で黒くした男が、看板を肩に載せていた。
赤炉工房のガント親方だった。




