第53話 家の境界
ドムとレナには、その夜の草刈りを止めてもらった。
二人は不満より、申し訳なさそうな顔をした。
「急ぎすぎた。町へ戻って皆を止める」
「明日、あらためて話しましょう」
僕が言うと、リゼが「シュウが条件を書いて持っていく」と付け足した。
夫婦が帰ったあと、小屋の前に二人で残った。
「怒っていますか」
「怒ってる」
「夫婦に?」
「半分。残りは君に」
僕は空き地の椅子へ座った。リゼは立ったまま、古い境界石と畑の柵を指す。
「町が使うなら、もう空き地ではなく荷ほどき場になる。一度便利になったら、やめてと言いにくくなる。荷車が増え、看板が立ち、道が固められる。君が昼寝したくても、御者がいる」
「そこまでは考えていませんでした」
「分かってる。目の前の詰まりだけ見て、使える場所を差し出した」
その通りだった。
前の世界でも、自分の机、時間、休日を「今だけ」と貸し、いつの間にか常設の問い合わせ窓口になったことがある。最初に助けた人は悪くない。便利だと知った次の人が来て、その次も来る。
ある職場では、僕の携帯番号が夜間の連絡先として引き継がれていた。最初は一度だけ、困った担当者へ教えたものだった。半年後には、会ったことのない人から休日に電話が来た。
誰も僕を利用してやろうと企んだわけではない。「この人なら答えてくれる」という善意に近い信頼が、境界のない仕事になった。
最終的に番号を変えたが、相手へ説明できず、逃げたような罪悪感が残った。
「最初に条件を言っていれば、番号を変えずに済んだかもしれません」
僕が話すと、リゼは頷いた。
「貸さないための境界じゃない。貸し続けられる範囲を作るのよ」
今回、土地を貸したい気持ちは本物だった。だからこそ、嫌になって突然閉じなくてよい形にする。
「貸さない方がいいですか」
「それを私に決めさせないで」
リゼは僕の隣へ座った。
「貸したいなら貸せばいい。でも、失って困るものを先に数えて」
僕は空き地を、今あるものと変わるものに分けて書いた。
今あるのは、草、椅子、静けさ、畑へ入る道、雨水が流れる浅い溝。変わるのは、地面が固くなる、車輪の音がする、人が出入りする、荷物が一時的に置かれる。
「増えるものも書いて」
リゼに言われ、町の入口の混雑が減る、御者が休める、市場の荷物が早く届く、古い道が使える、と足した。
損だけを見れば貸さない方がよく、得だけを見ればすぐ貸せばよい。両方を同じ紙へ置くと、何を守れば貸せるかが見えた。
椅子は畑側へ移すのではなく、今の木陰へ残す。その周囲三歩へ荷物を置かない。雨水の溝は塞がない。知らない人が小屋側へ入らないよう、低い柵を置く。
「椅子一つまで条件に書くのは、細かすぎませんか」
「その椅子を守りたいなら書く。恥ずかしがって、あとで毎日不満になる方が面倒」
僕は『木陰の椅子周辺は立入禁止』と書いた。自分の望みを契約へ入れるのは、報酬額を書くより照れた。
静かな時間。畑。小屋へ出入りする道。土地が荒れたときの修理費。知らない人が夜にいる不安。
僕が守りたいと答えた、自由時間、健康、生活の安定。その具体的な形が、今ここにあった。
「利用時間と、返す条件が必要ですね」
「利用時間の前に、試す期間も」
半年では長いため、最初は二週間。その後、問題がなければ三か月へ延長する。二週間の間に、荷車の台数、音、地面の傷みを確認する。
「二週間で返してもらう可能性もあります」
僕は紙に書いた。
「それを町へ言える?」
「紙を読めば、たぶん」
「顔を見て言うの」
リゼがドムの役をして、練習した。
「町中が困ってるんだ。あと一日だけ使わせてくれ」
「条件を相談します」
「今夜決める時間がない」
「では、明日は使えません」
言えた。ただし、相手が本物の困った顔ではないからだ。
「もう一度。ニアが荷物を抱えて泣いてる」
「それはずるくないですか」
「現実はもっとずるい顔をしてくる」
三回目には、『緊急の食料だけ一台、夕方まで。その後は止める』と例外を具体的に言えた。全部を許すか、全部を断るかの二択でなくてよい。
「それから、事故や破損。誰が管理するか」
「使用料は?」
「君が決める」
公共利用だから無料でもよい。ただし、無料と無条件は違う。
僕は紙を出し、最初に思いつく条件を書いた。
昼の鐘から夕方の鐘まで。荷車は同時に四台。畑と小屋の前へ入らない。壊れたら宿組合が直す。使わなくなったら道と土地を元に戻す。休日は使わない。
「休日は、いつ?」
「僕の休みの日です」
「町の人は知らない」
会社の予定表にある休みを、空き地の入口にも札で出す。前日までに知らせる。急な救援荷物だけは相談。
「相談する相手は?」
「僕です」
「君が遠出中なら?」
「灯り木の社長……では、会社に負担が」
ミナが薬房から戻る日なら彼女へ頼む案も浮かんだが、僕の土地の管理を弟子へ押しつけるのは違う。
「緊急時だけ、リゼに連絡してもいいですか」
「いい。ただし私が許可するのは、荷物ではなく君への連絡だけ。使ってよいかは、前もって例外を決める」
彼女は交渉担当のように、曖昧な言葉を一つずつ止めた。
二時間かけ、紙は三枚になった。僕は長すぎる気がして、要点を一枚へまとめる。
詳しい三枚は契約の控えとして残し、入口へ貼るのは三条件だけにする。使う御者が毎回長文を読む必要はない。ただ、問題が起きたとき、誰がどう決めたかを戻って確認できる。
「入口の札は、文字が読めない人にも伝わるようにしましょう」
昼は真上の太陽、修理は槌、休日は月と椅子。絵だけで全部を説明せず、最初に宿組合が御者へ声で伝える。
また同じ考えへ戻った。道具は会話の代わりではなく、会話を忘れないために使う。
一、昼だけ使う。
二、壊れたら町が直し、終わるとき元へ戻す。
三、僕の休日は静かにする。
台数、範囲、連絡方法は裏面へ書く。
「これを言ったら、困った顔をされるでしょうか」
「されるかも」
「断りにくいですね」
「だから、紙を持っていく。顔を見て条件を減らさないように」
翌朝、僕は自分で書いた条件書を鞄へ入れた。
誰かに守ってもらうのではなく、依頼人へ自分の条件を持っていくのは初めてだった。




