第45話 五枚目の皿
封筒は宿場町の宿組合からだった。
すぐ開けようとした僕を、リゼが止める。
「今は休日」
「でも、古い石と同じ紋章です」
「封筒は逃げない。夕飯の後」
僕は封筒を食器棚の上へ置き、見えないよう布をかけた。見えると気になるからだ。
「そこまでしますか」
ミナが笑う。
「今夜は依頼を読まない担当です」
「夕飯の後には読むんでしょう」
「それまでは担当です」
グレンに教わった休み方を、細かく区切って練習している。完全に忘れることはできなくても、鍋が煮えるまでの時間を手紙に渡さないことならできた。
僕たちは約束どおり、畑から最初に採れた野菜を食べることにした。
収穫できたのは、丸根菜が三つ、赤実が五つ、香り付けの月葉が少し。食事一回分としても少ない。社長が買ってきた鶏肉と豆へ加え、同じ鍋で煮込んだ。
「自給自足には遠いですね」
僕が言うと、ミナが丸根菜を半分に切った。
「最初から全部作る畑ではありません。育て方を覚えて、夕飯に一つ増えれば成功です」
仕事の改善と同じだ。
僕たちは、収穫した重さを測らなかった。最初の食事くらいは数字にせず、皿へ何切れ増えたかだけを見ることにした。
丸根菜は十二切れ。赤実は煮崩れて数えられない。月葉は香りになり、目にはほとんど残らない。
「数えられない成果もありますね」
社長が鍋の匂いを嗅ぐ。
「あります。数字にできないから、ないことにはしません」
自分の報酬だけは数字にしなければ困るが、暮らしの全てへ値段を付ける必要はない。畑を作った時間、皆で土を掘った午後、芽を見つけた朝。それらは収穫量の外にあった。
水やり札を数えると、三週間で忘れたのは二回。どちらも夕方に気づいた。水をやりすぎた日は一回あり、白綿草の葉が少し黄色くなったが、翌日休ませると戻った。
「失敗表へ書きますか」
「畑にも作るの?」
社長が笑う。
ミナは小さな紙へ『雨の翌朝に水をやった。土を触ってから決める』と書き、鉢の横へ掛けた。責める人がいない失敗は、素直に記録しやすい。
夕食には、ルカも来た。薬房から灯り木へ定期便を運ぶ日で、セラから報酬の支払い予定が変わらないという連絡を持ってきている。
報酬確認書には、薬房の待ち時間がその後も短いままだと書かれていた。三角札は二度使われ、どちらも受け渡し前に確認できた。二人一組の当番は、セラが休む日の午後にも動いた。
「僕がいなくても、続いていますね」
「シュウさんが作った仕組みではなく、皆で作ったからです」
ミナが言う。
少し寂しいような、ずっと嬉しいような感覚だった。僕が必要とされ続けることより、僕がいなくても困らないことを目指してきた。それが実現すると、自分の役割がなくなるようにも感じる。
リゼは僕の皿へ丸根菜を一切れ追加した。
「次の困りごとは、向こうから来る。心配しなくても、あなたの仕事はなくならない」
布の下の封筒を思い、全員で笑った。
「泊まりますか」
「今日は帰りの馬車があります。お金も持ってます」
彼は胸を張ったが、最終便まで食卓へ座ることになった。
五枚目の皿を食器棚から出す。
裏の印は空白だったので、ルカが小さな車輪を描いた。借り物ではなく、来た人が使う皿。帰ったら洗って、また空白へ戻す。
鍋を取り分けると、丸根菜は少し硬く、赤実は煮崩れていた。
社長は煮崩れた赤実をつぶし、パンへ塗った。ミナは硬い根菜を薄く切り直し、鍋へ戻す。失敗した料理を捨てず、食べやすい形へ変える。
「次回の手順書を作りますか」
ルカが聞く。
「料理は毎回同じでなくてもいいです」
「薬は同じ方がいいのに?」
「安全に関わるところは同じにします。味は、失敗しても今日みたいに直せるので」
どこまでそろえ、どこへ自由を残すか。夕食にも同じ考えがあった。
「収穫が早かったかも」
ミナが悔しそうに言う。
「食べられます」
「シュウさんの『まだ使えます』は信用できません」
リゼが一口食べる。
「硬いけど甘い。次は三日待つ」
皆で失敗した野菜を食べた。塩を少し足すと、十分おいしかった。
食後、社長が薬草茶を入れ、ようやく封筒を机へ置いた。
「読む前に、条件を確認しますか」
僕が尋ねると、三人が驚いた顔をした。
「まだ依頼内容も分かりません」
社長が笑う。
「では、読むだけです。今夜は受けると答えません」
それを先に決めてから、封を切った。
封筒には、宿組合の帳面の写しも入っていた。一晩で断った客が十二人、空いた部屋が九室、二重に予約された部屋が三室。数字だけなら、部屋数は足りている。
地図には五軒の宿、二つの食堂、市場の案内所が描かれ、それぞれ違う色の印が付いていた。
「赤い丸、赤い線、緑の三角、札なし」
ミナが数える。
「同じ宿の中でも、朝と夜で札を裏返すそうです」
社長が添え書きを読む。
「人が足りないのではなく、意味がつながっていないのかもしれません」
「でも、現地を見るまでは決めない」
リゼが先に言い、僕は頷いた。
依頼には、まず四日間の調査、交通と宿と食事は組合負担、報酬は一日ごとの定額と書かれていた。薬草茶だけだった前回より、かなり条件が整っている。
「誰がこの条件を書いたんでしょう」
「ガント親方から、あなたの契約書の話が広がったようです」
社長が笑う。僕の損から作った書式が、会ったことのない相手の依頼まで変えていた。
手紙の差出人は、宿場町で『道の縁亭』を営むドムとレナという夫婦だった。
宿場には空き部屋がある。旅人も来ている。けれど毎晩、いくつもの宿が客を断り、別の宿では空室を残したまま灯を消している。
夫婦は自分たちで札を増やし、色もそろえようとしたが、周りの宿と意味が合わず、かえって予約を二重にしてしまったという。
最後には、太い字で一文あった。
『部屋は空いているのに、毎晩客を断っています』
社長が僕を見る。
「今夜は、読むだけでしたね」
「はい。返事は明日の朝にします」
僕は手紙を畳み、夕食の皿を洗った。
皿を洗う担当は僕、拭くのはリゼ、棚へ戻すのはミナ。社長は残った鍋を明日の朝用へ移す。誰も決めていないのに、自然に分かれた。
「宿場へは誰が行きますか」
ミナが尋ねる。
「僕とリゼ。ミナさんは研修の予定なら、明日は薬房です」
「行きたいです」
「でも契約では」
「薬房へ相談して、日程を替えられるか聞きます。勝手には変えません」
弟子は、興味だけで予定を投げ出さず、変更を交渉するところまで覚えていた。
セラから返事が来れば三人、来なければ二人。どちらでも出発できるよう、社長が馬車の席だけ仮に押さえた。
翌朝、会社の前には宿場町から来た馬車が、すでに待っていた。




