第44話 土の中の宿場
石は、畑の端から少し外れた場所にあった。
勝手に掘り出してよいか分からないため、まずマルク村長へ知らせた。返事は早く、古い宿場道の境界石かもしれないので、位置を変えずに調べてほしいとあった。
「境界なら、畑を広げられませんね」
僕が言うと、リゼは石へ測定具を当てた。
「まだ決めつけない。魔力の線を見れば、何を区切っていたか分かるかもしれない」
村長から届いた古い地図には、この辺りに宿場道があったとだけ記されていた。今の街道ができる前、旅人は月灯苔の森を抜け、石の光を頼りに宿へ向かったらしい。
「小屋は、その宿の管理人が住んでいた場所かもしれません」
手紙にはそうあった。
僕の住む小屋に、以前誰かが帰り道の灯を守っていた。壁に残る古い棚や、入口の二つの鉤にも理由がありそうだった。
「宿場を復活させたいですか」
リゼが聞く。
「今は考えません」
「即答できるようになった」
「畑だけでも、管理する物が増えましたから」
可能性を見つけるたび仕事へ変えなくてもよい。古い役割を知るだけの日があってもいい。
休日の午後、二人で石の周りを掘ることになった。社長は店番、ミナは薬房へ戻る日だ。
リゼが小さな刷毛で土を落とし、僕が掘った深さと向きを紙へ描く。仕事のようだが、依頼ではない。誰にも納期を言われていない。
「今日は、どこまでしますか」
「飽きるまで」
「判断しにくい期限ですね」
「疲れたらでもいい」
僕は二十分ほどで疲れた。石はまだ半分しか見えていない。
「早い」
「体力がないのは、契約前から伝えています」
「これは契約じゃないでしょう」
リゼは笑い、僕へ冷たい果実水を渡した。畑の木陰へ並んで座る。
仕事中なら、次に何をするか話すところだった。今日は急ぐ理由がない。風で月葉の匂いが揺れ、遠くから会社の小さな煙突が見えた。
「こういう休日を、前の世界でも過ごしていた?」
リゼが尋ねた。
「休日は寝ていることが多かったです。あとは、少し本を読んだり、食事を作るのが面倒で同じ店へ行ったり」
「家族は?」
「両親は別の町です。たまに連絡していました。妹もいます」
この世界へ来てから、元の家族のことを考えない日はない。戻る方法も、向こうで僕がどうなったかも分からない。ただ、その答えを探す旅を始めるより、今目の前にある暮らしを続ける方を僕は選んでいた。
「寂しい?」
「はい。でも、ずっと寂しいわけではありません」
灯り木の食卓、麦穂村の小屋、薬房や工房から届く手紙。こちらで増えたものを大切にすることは、元の家族を忘れることではないと思いたかった。
「リゼの家族は?」
彼女は少し土の付いた手を膝へ置いた。
「王都に姉がいる。両親の工房を継いでる。私は大きな工房の決まった術式が退屈で、灯り木へ来た」
「仲が悪いんですか」
「悪くない。姉の作る物も好き。ただ、私は壊れた道具や、何に使うか決まっていない術式の方が面白い」
「ご両親は、灯り木へ来るのを反対しませんでしたか」
「母は反対した。父は、三年で飽きて戻ると言った。もう五年いる」
「戻りたいと思うことは?」
「姉の工房へ行くと、設備も材料も揃っていて羨ましい。でも、決められた物を百個作るうちに、十個目で逃げたくなる」
リゼは地面へ、小さな術式を指で描いた。
「灯り木では、社長が仕事を取りすぎる。道具は古い。予算も少ない。でも、使う人の顔が見える。失敗したら、一緒に笑って直せる」
「よい職場なんですね」
「あなたが来てから、さらに面倒で面白くなった」
褒められたのか分からず、僕は果実水の瓶を眺めた。
「僕は、派遣先が変わるのが嫌いではありませんでした」
「同じところに飽きるから?」
「最初の数週間だけ、皆が丁寧に仕事を教えてくれるからです。慣れると、できる人として扱われる。それはありがたいけれど、分からないと言いにくくなります」
こちらでは、僕は最初から魔法も土地の習慣も分からない。だから聞くしかなく、その分、人の話を素直に聞けていた。
「ずっと分からない人でいればいい」
「それは少し困ります」
「全部分かるふりをしない人、という意味」
その役割なら、続けられるかもしれない。
赤炉工房の失敗した槌を嬉しそうに持ち帰った姿を思い出す。
「僕も、決まっていない仕事ばかりですね」
「だから面白いのかも」
風が吹き、彼女の頬へ土の付いた髪がかかった。僕は手を伸ばしかけ、触れる前に止めた。
リゼが自分で髪を払い、こちらを見る。
「何?」
「土が付いていました」
「あなたの頬にも」
彼女の指が僕の頬を軽く拭った。心臓が一度、作業とは関係のない速さで鳴る。
「取れた」
「ありがとうございます」
それ以上は何も起きなかった。けれど休憩のあと、二人とも石ではなく反対側の土から掘り始め、しばらく目を合わせなかった。
さらりと言われ、果実水を飲む手が止まった。仕事が、なのか、僕が、なのか聞けない。
「何か言った?」
「いいえ。もう少し掘れそうです」
休憩後、石の下まで土を除いた。境界石ではあったが、土地の所有を区切るものではなく、古い宿場道の入口を示す道標だった。魔力の線は東西へ細く延び、夜になると宿の方向へ淡く光る仕組みらしい。
「今は道が森に埋もれて、線も切れかけてる」
リゼは石の側面へ触れた。
「直しますか」
「今日は仕事じゃない」
「直したそうです」
「あなたも」
魔力線の切れた場所へ、目印の白い小石だけ置いた。修理はしないが、次に調べる場所は分かる。
「何もしないのと、途中で止めるのは違いますね」
「止めた場所を忘れなければね」
僕は地図へ白い点を書き、日付を添えた。趣味にも保守記録を付ける自分がおかしくなり、笑う。
「何がおかしいの?」
「休日まで、記録しています」
「楽しんだ日を残す記録なら、仕事じゃないでしょう」
地図の端へ、リゼが月葉の小さな絵を描いた。二人で土まみれになった休日の印だった。
僕たちは顔を見合わせ、次の休日に一時間だけ調べる札を作った。休みを全部仕事にしないよう、終わる時刻も書く。
土を戻す前に、紋章を紙へ写した。屋根の下を一本の道が通り、端に小さな月がある。
小屋へ戻ると、会社の扉に一通の封筒が挟まっていた。
封蝋の紋章は、今写したばかりの宿場の印と同じだった。




