第42話 食卓の四人目
灯り木魔道具社へ戻ると、バルド社長は店先に新しい棚を作っていた。
赤炉工房から届いた測定具の箱を置く場所だ。中には温度石も収まり、約束より一週間早く戻っていた。
「ガント親方から、伝言です。次は自分で届ける、と」
「僕が取りに行かなくても、返ってきましたね」
「世の中の物は、遠野さんが迎えに行かなくても動くことがあります」
箱にはもう一枚、フィンからの紙も入っていた。
『点検当番を三人へ教えました。次は僕が休みます』
最初の工房で一人残っていた青年が、自分の休みを予定として書いている。僕が直接見に行かなくても、仕組みと人は先へ進んでいた。
「返事を書きますか」
ミナが聞く。
「明日でいいです」
口にして、自分でも少し驚いた。受け取った安心を、急いで返さなくてもよいと思えた。
温泉の桶と同じだった。
僕は貸し物の黄色い札を外し、箱を棚へ置いた。ひびを補強した金属輪、温度石、専用の布。壊れる前より少し使いやすくなって戻っている。
「これはミナさんの荷物ですか」
社長が玄関の鞄二つと薬草鉢を見る。
「三か月分です」
「店を開くつもりですか」
「必要な物だけです」
鞄を開くと、衣服より薬草の本、空瓶、札の材料が多い。リゼが「シュウの弟子らしい」と笑った。
ミナの寝室は、会社二階の客室になった。ルカが泊まった部屋だ。社長が新しい机を入れ、窓辺に薬草鉢を置く。
部屋の使い方は、ミナ自身に決めてもらった。客室の毛布や机をそのまま使うか、薬房から持ってきた物へ替えるか。棚の一段は会社の備品、二段は私物。札の色も彼女が選ぶ。
「全部、自由にしていいんですか」
「仕事の部屋ではなく、ミナさんの生活する部屋です」
「でも会社の建物です」
「だから、壁へ穴を開ける前だけ社長へ聞いてください」
境界を決めれば、その内側は自由にできる。ミナは青い布を窓へ掛け、薬草鉢の下へ水受けを置いた。
「三か月後、帰るときは?」
「元へ戻すか、次の人が使える形で相談します」
期限のある仮住まいでも、自分の場所にしてよい。彼女の緊張が少し解けた。
「家賃は契約どおり、灯り木が負担します」
「食事代は?」
「月の半分は会社持ち。休日に自分で食べたい物を買う分は、自分で」
ミナは一つずつ帳面へ書いた。僕よりずっと条件を理解している。
その夜、セラからもらった食器を使った。
木の皿は一つずつ木目が違い、裏に小さな印が刻まれていた。炎は僕、月はリゼ、木は社長、葉はミナ。五枚目だけ、空白だった。
「どうして僕が炎なんでしょう」
「すぐ仕事へ火が付くからでは」
リゼが言う。
「月は?」
「私が決めたわけじゃない」
ミナによれば、夜まで作業しそうな僕を照らして止めるから、セラが月を選んだらしい。リゼは否定せず、その皿を自分の前へ置いた。
社長の木は灯り木。ミナの葉は薬草。空白の一枚は、名前が増えたとき本人に印を選んでもらうためだという。
社長が野菜と鶏肉を煮込み、リゼがパンを切る。僕は木の実の瓶を開けようとして蓋を落とし、ミナが拾った。
「シュウさんは、料理が得意ですか」
「食べる方なら」
「僕は皿を並べる担当です」
「それは得意そうです」
四人分の皿を、机の四辺へ置いた。五組目は食器棚へしまう。空の皿ではなく、これから来る誰かの場所として残した。
食事中、ミナは今日見つけた困りごとを三つ話した。
会社の傷薬に使用期限が書かれていない。修理依頼と販売依頼の札が同じ箱に入っている。社長が昼食を忘れた。
「最後は仕事ではありません」
社長が抗議する。
「健康を守るのも仕事だと、シュウさんに教わりました」
「僕はまだ、自分に適用できていません」
「だから二人で練習します」
弟子というより、早くも管理される側になっている。
リゼは木の実を一つ食べ、僕へ尋ねた。
「帰る場所が増えた気分は?」
「僕の小屋は一人のままです」
「場所ではなく、人の話」
薬房にはセラとルカがいる。赤炉工房にはフィンたちがいる。麦穂村へ戻れば、マルク村長が小屋の鍵を預かってくれている。そして今、灯り木の食卓にミナが座っている。
僕は元の世界で、一つの会社に長く所属したことがなかった。派遣先が変われば席も人も変わり、前の仕事は履歴書の数行になる。
ここでは、仕事が終わっても人とのつながりが消えない。
「少し、家族が増えたみたいです」
僕が答えると、ミナは食器を見つめ、照れながら笑った。
「家族なら、仕事をしない日もここで食べていいですか」
「もちろんです」
社長が先に答えた。
「失敗した日も?」
「食事抜きになる失敗は、うちにはありません」
「薬房へ戻る日も?」
「帰ってきたら、また座ればいい」
ミナは何度も頷いた。所属が二つになることを、不誠実だと思っていたのかもしれない。けれど帰る場所は、一つに決めなくてもよい。
僕にとっても、その考えは温かかった。
食後、ルカが薬房からの受領書を持って戻ってきた。東の谷への配達から、もう帰ってきたらしい。
「宿へ泊まらなかったので、銀貨も返します」
彼は薬房の袋をミナへ渡し、空いていた五組目の皿で木の実を食べた。
「そうだ、街の宿で変なことがあったよ」
「何がですか」
「薬を届けた宿は、赤い札が空室で、緑の札が満室なんだって。こっちと逆だった」
僕たちの会社では、赤は止まる、緑は進める意味で使っている。薬房でも似た感覚だった。
「間違えませんでしたか」
「間違えた。空いてないと思って帰ろうとしたら、宿のおばさんに捕まった」
「予約は取れたんですか」
「うん。でも、僕の後ろの旅人は逆に、緑だから空いてると思ったら満室だった。隣の宿では、赤が満室。向かいは札を裏返すと空室。皆、自分の宿では分かるって言ってた」
一つの薬に土地ごとの呼び名があったように、一つの色にも土地と店ごとの意味があった。
「全部、同じ色にしますか」
ミナが、覚えたばかりの問いを試すように聞く。
「まず、宿場を見ます」
僕が答えると、彼女は満足そうに頷いた。
ルカが笑う。
翌朝、その宿場町から一通の相談状が届いた。




