第39話 教えられない先生
「僕には、弟子を取る資格がありません」
反射的に答えた。
セラは驚かず、「どんな資格が必要ですか」と尋ねた。
考えてみる。薬師なら薬の知識が要る。魔道具師なら術式を扱える必要がある。システムエンジニアには、前の世界で資格試験もあったが、持っていなければ仕事ができないわけではなかった。
「少なくとも、人へ教えられるほど優れている必要があります」
「誰と比べて?」
今度はリゼだった。
「この世界の人と比べて、僕は魔法も使えません。薬も作れない。自分の仕事だって、皆さんがいなければ何もできません」
「それを教えればいいじゃない」
「何をですか」
「分からない場所では、できる人に聞く。最初から全部直さず、一つ試す。失敗したら人ではなく流れを見る。あなたが毎日していること」
「でも、それが正しいと証明できません」
「全部の場所で正しい方法なんて、あなたも信じていないでしょう」
赤炉工房の自動板は合わず、薬房では色だけでも足りなかった。現場ごとに試し、合わなければ戻すこと自体が、僕のやり方だった。
「答えではなく、確かめ方を見せればいいのよ」
リゼの言葉で、少し肩の力が抜けた。
資格がないことを理由に全部断れば、ミナが学びたい機会も消える。だからといって、何でも教えられる師匠のふりはできない。その間に、『一緒に確かめる人』という役割があった。
「間違えたときは?」
「私もいる。社長もセラさんもいる。あなた一人を先生にしなければいい」
誰かを育てることまで、一人で抱えなくてよいのだ。
僕は答えに詰まった。
自分では普通の働き方だと思っていた。前の世界で派遣先が変わるたび、知らない業務を聞き、図にし、使う人と直した。それが何かを教える技術だとは考えたことがない。
「ミナさんは、薬師としてセラさんの弟子です」
「ええ。それは変えません」
「灯り木では、何になるんでしょう」
ミナが自分で答えた。
「一緒に調べる人になりたいです」
リゼが笑った。
「ほら。教える必要すらない」
「僕より先に答えを見つけるかもしれません」
「もう何度か見つけてるでしょう」
トマの食事、効能ごとの棚、質問札の枝道。確かに、僕が出した答えではない。
セラは、弟子入りではなく三か月の交換研修として提案した。月の半分は薬房、半分は灯り木。給金は薬房が今までどおり払い、灯り木は宿と食事を出す。仕事で遠出する場合は別途日当を払う。
薬を扱う範囲も明記した。灯り木では、簡単な傷薬の点検と使用期限の管理だけ。患者への診断や調合はしない。遠方の案件で薬が必要になった場合は、セラへ手紙を送り、返事を待つ。
「緊急のときは?」
ミナが聞く。
「応急手当として教わっている範囲だけ。それを越えたら、近くの薬師へつなぐ」
自分が役に立ちたい気持ちで、専門の境界を越えない。僕にも必要な約束だった。
研修中に作った記録や札は、薬房と灯り木の両方が使える。ミナ個人の帳面は、本人の許可なく写さない。契約は仕事だけでなく、学んだものの持ち主も守った。
「ミナさんの休みは?」
僕が尋ねると、セラが予定表を出した。
七日に一度の休みと、薬房と灯り木を移動する日の午後。学びだからと無給で働かせ続けない条件も書く。
「シュウがそこを聞くのは、進歩ね」
「人の休みなら分かります」
「自分の休みにも同じ考えを使って」
契約には、僕が正式な師匠ではなく、現場整理の案内役だと記した。教えられないことはセラ、リゼ、バルド社長へつなぐ。ミナが合わないと思えば、一か月ごとに戻せる。
「僕からも条件があります」
三人が僕を見る。
「分からないのに、分かったふりをしないこと。僕が間違っていると思ったら、言ってください」
「それだけですか」
「僕には、かなり大事です」
「では、シュウさんも同じ約束をしてください」
「僕も?」
「分からないときは言う。私の案がよければ、弟子だからではなく、よいと言う。危ないと思ったら止める」
ミナは僕の条件を、そのままこちらへ返した。
「分かりました」
僕たちは師弟の誓いではなく、短い作業の約束へ二人で印を押した。リゼは立会人の欄へ署名し、セラは保護者ではなく『薬師教育責任者』と書いた。
「保護者ではないんですか」
「ミナは十九歳です。自分で契約できます」
僕は年下だからと、無意識に本人以外へ決定権があるように考えていた。ミナは自分で条件を読み、一か所、帰省日の交通費を追記させた。
やはり僕より交渉ができる。
ミナは真剣な顔で頷いた。
「では私からも。シュウさんが宿代を勝手に払おうとしたら、止めます」
「それは研修内容ですか」
「リゼさんに頼まれました」
いつの間にか僕を見張る役まで増えていた。
夜、屋根裏の寝床へ戻っても、落ち着かなかった。誰かの学ぶ時間を預かると思うと、赤炉工房の道具より重い。
僕は最初の一週間で教えることを書き出そうとした。
現場観察、流れ図、在庫、色札、契約、保守、例外、引き継ぎ。紙がすぐ埋まる。
リゼが隣から紙を取り上げ、裏返した。
「明日一つだけするなら?」
学校の先生のような問いだった。
「薬房で、今日より少し困る場所を探す」
「それで十分」
「見つからなかったら?」
「お茶を飲んで帰ればいい」
「研修なのに?」
「困りごとを作るよりまし」
改善する人は、何か変えなければ価値がないと思いやすい。僕もそうだった。けれど、うまく回っている場所を観察し、変えずに理由を持ち帰る日があってもよい。
紙の一番上に、『変えないという結果もある』と書いた。
翌朝、僕たちが階段を下りると、玄関に大きな鞄が二つ並んでいた。
ミナは外套を着て、薬草鉢まで抱えている。
「準備できました」
「出発は一週間後ですよ」
「分かっています。忘れ物がないか、一週間確認します」
弟子になる人の方が、僕よりずっと準備がよかった。




