第37話 渡す前の三つの質問
三角札で、例外薬が普通の棚へ混ざることはなくなった。
けれど翌日、別の問題が見えた。
セラとミナが一人ずつ患者へ質問し、量を決めるため、二人の前に調整待ちの瓶が並ぶ。質問の内容は患者によって違い、処方紙の余白には細かな事情が増えていった。
食事の時刻、眠れた時間、普段の薬、家族の見守り、仕事の開始時刻、過去に気分が悪くなった量。
「全部、台帳へ移しましょうか」
ミナが厚い紙束を持ってきた。
一人の情報を一頁にまとめれば、次回は質問を減らせる。ただし、患者は百人以上いる。暮らしは季節や体調で変わり、古い情報を信じる方が危ないこともある。
「残す情報と、毎回聞く情報を分けませんか」
名前、年齢、大きく変わりにくい体質、過去に合わなかった薬は台帳へ残す。食事、睡眠、今日ほかの薬を飲んだかは、その場で聞く。
僕たちは、渡す直前に使う短い質問札を作った。
一、今日は食べましたか。
二、いつもの薬を飲みましたか。
三、前回と違うことはありますか。
言葉の下には、パン、薬瓶、二つの道の絵を描いた。三つ目の「違うこと」は絵にしにくく、最初は大きな疑問符にした。
「この形は何ですか」
村の老人に聞かれ、通じないと分かった。この世界では疑問符を使わない人も多い。
ミナが、まっすぐな道から一本だけ枝分かれする絵を描いた。
「いつもと違う道、という意味です」
今度は老人も頷いた。僕には当たり前の記号でも、こちらの人には新しい。異世界の言葉を理解できても、記号の経験までは共有されていなかった。
質問札の裏には、答えられない場合の手順も書いた。
推測して丸を付けない。家族か日常を知る人へ聞く。誰もいなければ、セラかミナが判断する。答えられないこと自体を、患者の失敗にしない。
三つだけなら、受付の手伝いも患者と一緒に確認できる。答えに迷ったら三角札を付けたまま、セラかミナへ渡す。
「食べた物の種類まで要りませんか」
セラが聞く。
「必要な患者さんには、セラさんが追加で聞いてください。この札は診断ではなく、確認を始める入口です」
全部の判断を三問へ押し込めない。共通にできるところだけ共通にし、専門家が考える余地を残す。
午前中、五人へ試した。
一人目は三つとも答え、以前と同じ量。二人目は朝食を抜いていたため、食後に飲むよう説明した。三人目は別の村でもらった薬を飲んでおり、セラが組み合わせを確認した。
質問を増やしたのに、受け渡しは遅くならなかった。処方紙の長い文章を毎回読み返すより、患者と声に出して確かめる方が早い。
僕は五人の時間を測った。平均では一人あたり少し短くなったが、何より差が小さくなった。質問に迷った人だけ長くなり、ほかの人は同じ流れで進む。
「平均が短くなれば成功ですか」
ルカが紙を覗く。
「平均だけだと、一人がとても長く待ったことを隠す場合があります」
一人、二人、三人と、実際の待ち時間も点で残した。一番長い人がなぜ待ったかを見る。今日の五人では、別の薬を飲んでいた人が長かった。それは必要な確認なので、無理に短くしない。
速くするべき待ち時間と、安全のために残す待ち時間を分ける。薬房では、工房以上に大事な境界だった。
「質問されると、忘れていたことを思い出すね」
患者の女性が言った。
「昨日だけ別の薬を飲んだのを、言わなくていいと思ってたよ」
質問札は薬師のためだけではなく、患者が話すきっかけにもなった。
午後、一人暮らしの老人が来た。名前はトマ。腰の痛みを和らげる薬を受け取りに、杖を突いて歩いてきた。
トマは毎月同じ日には来なかった。畑の具合と腰の痛みに合わせ、薬がなくなりそうになると歩いてくる。そのため、薬房の予定表にも次回来訪日はない。
「残りが少なくなったら、隣の人に頼んで知らせてもらえますか」
「隣は耳が遠い。私より忘れるぞ」
「では、ルカさんが村を通る日に見るのは?」
「私が畑にいたら会えん」
一人暮らしだからといって、暮らしを誰かの管理下へ置けばよいわけではない。トマにはトマの自由な一日がある。
大きな仕組みを足す前に、今日は薬を安全に渡せる情報を探すことにした。
受付の手伝いが質問札を読む。
「今日は食べましたか」
「たぶんな」
「いつもの薬を飲みましたか」
「いつものは、どれだ」
「前回と違うことはありますか」
「前回を覚えとらん」
三つとも答えられなかった。
台帳を見ると、トマは月に一度来る。家族欄は空白。処方を書いた巡回医も、今日は別の村にいる。
「薬を渡さない方が安全でしょうか」
ミナが小声で言った。
待ってもらっても、明日になれば思い出すとは限らない。家へ帰して誰かへ聞いてもらうこともできない。
「質問札が使えない人を、例外にしますか」
リゼが僕へ聞いた。
「人を例外にするのではなく、答えを見つける方法を増やしたいです」
本人が言葉で答える。家族に聞く。日常の行動から確かめる。どれも、食べたかどうかを知るための別の入口だ。
ただ、僕たちにはトマの日常が分からない。
トマは長椅子へ座り、申し訳なさそうに帽子を握った。
「年を取ると、薬をもらうにも試験があるのかね」
責める人はいない。それでも、答えられないことで薬から遠ざかる仕組みになりかけていた。
そのとき、乾燥棚から戻ったミナが、老人の履いている靴を見た。
「トマさん、今日は朝の畑へ行きました?」
「行ったよ。霜が降りる前に根菜を抜かんとな」
「畑へ行く前に、隣のパン屋さんへ寄りましたか」
「ああ。固い端を牛乳へ浸して食べた」
ミナは質問札を見直した。
彼女だけが、トマの日常の順番を知っていた。




