第36話 三角の札
僕はミナの隣へ座った。
薬草棚の隙間から、夕方の光が細く差している。体力のない僕には、しゃがんだ姿勢が少しつらかったが、彼女が立つまで待つことにした。
「名前を付ける前の瓶を置いたのは、手順として直した方がいいと思います」
慰めだけを言わないようにした。
「やっぱり、私のせいです」
「その瓶を、普通の瓶と同じ机へ置けるようになっていたのは、誰のせいでしょう」
ミナは答えない。
「札がないのを見た人が、親切で丸札を付けられたのは?」
「私が説明しなかったから」
「一日だけ来た手伝いの人全員へ、ミナさんがずっと説明し続けますか」
「それは、できません」
人がもっと注意すれば防げる、と考えると、次もその人がいることを前提にしてしまう。ミナが疲れていたり、新しい人が来たりしても間違いにくい形へ直す方がよい。
「今回、丸い札を付けられたことが一番の問題だと思います」
「色ではなく、形?」
「はい。黒い瓶に色がなくても、同じ丸札なら普通の薬に見えます」
薬房へ戻り、皆で札を机へ並べた。通常薬は全部、角のない丸い札。例外薬も、札がないだけで瓶の形は同じだった。
最初は、黒い四角札にする案が出た。
「黒い瓶だから、同じ色が分かりやすい」
「暗い調合室だと、紐だけに見えませんか」
次は、大きな赤札。
「目立つけれど、熱の薬と混ざるわ」
文字で『危険』と書く案には、セラが首を横へ振った。
「正しく使えば必要な薬です。患者さんが見て、自分の薬は危険なのかと不安になります」
例外は悪い物ではない。ただ、同じ流れへ載せられない。そこで色ではなく形だけを変えた。
三角札を目を閉じて触ってもらうと、全員が丸札との違いを当てた。紐の結び目も三つにし、瓶の下へ垂れた部分を触れば分かる。
一日だけの手伝いの女性にも、説明なしで二つを渡した。
「丸は棚へ戻す。三角は、誰かに聞く札でしょうか」
彼女は角へ指を置いて答えた。昨日の経験があったからかもしれない。それでも、迷ったときに推測ではなく質問を選べる形になっていた。
僕たちは厚い木札を三角に切った。色は塗らず、中央に大きな穴を開ける。触るだけでも丸札と違う。
三角の意味は一つだけ。
『そのまま渡さず、セラかミナへ確認する』
効能も量も書かない。例外の内容を札だけで処理しようとせず、立ち止まるために使う。
黒い瓶、調整途中の瓶、患者名のない瓶には、必ず三角札を付ける。三角札のない途中瓶を見つけたら、薬を推測せず、赤い布の上へ置く。
「三角が足りなくなったら?」
手伝いの女性が尋ねた。
「新しい調合を止めて、札が戻るのを待ちます」
札の数を十枚に絞れば、同時に途中になる例外薬も十本までになる。忙しいからと増やしすぎるのを、道具の数で止められる。
「今日みたいに患者さんが多いと、待たせます」
セラが言う。
「待つ理由を説明して、安全に一人ずつ渡しましょう。待たせないために混ざれば、もっと長く待たせます」
さらに、例外薬を待つ患者には、三角の紙札を一枚渡すことにした。受付が忘れても、患者自身が「まだ調整前です」と分かる。もちろん、責任を患者へ移すためではない。受け取ったと思って机の瓶を持ち帰ることを防ぐ、もう一つの合図だ。
「なくしたら薬をもらえませんか」
シオが試しに尋ねる。
「もらえます。名前を言って、もう一度確認します」
「じゃあ札はいらない?」
「あると早い。でも、なくした人を困らせる札にはしません」
道具は人を助けるためにあり、持っていない人を締め出すためではない。シオは納得し、自分の三角札へ小さな星を描いた。
セラは頷き、三角札の一枚へ自分で紐を通した。
次に、今日の出来事を紙へ書いた。
起きたこと。害が出る前に止まった理由。次に変えること。
起きたことは、通常札が例外薬へ付いた。止まった理由は、シオが味の違いを言った。変えることは、三角札と赤い布。
人の名前を書く欄は作らなかった。
表の端には、『見直す日』も置いた。三角札を始めて一週間後、使いにくかった点を集める。失敗を記録しても、二度と開かなければ紙が増えるだけだ。
「成功したら消しますか」
「消しません。変えた結果も下へ書きます」
失敗だけが残ると、読むたび嫌な記憶になる。三角札を使って混ざらなかった、患者が違いを言えた、手伝いが止めて聞けた。うまくいったことも同じ紙に足す。
セラは表の名前を『失敗表』から『次に助かる表』へ変えた。
「少し長いです」
僕が言うと、皆に睨まれたので、そのまま採用された。
「失敗した人を残さなくていいんですか」
ミナが聞く。
「わざと規則を破った場合は別です。でも今回は、規則が見えませんでした。名前より、次に同じ状況が起きたとき止まれる仕組みを残します」
リゼが紙を受け取り、下へ一行書き足した。
『赤炉工房で自動板を作り、記号を増やして誰も使えなくした。木札へ戻し、温度警告だけ残した。提案・リゼ』
「それも書くんですか」
僕が驚くと、彼女は肩をすくめた。
「失敗表でしょう。あなたたちだけ載せたら、責める紙に見える」
リゼが自分の失敗を書いたことで、手伝いたちも口を開いた。
瓶を別の棚へ戻した。乾燥日を一日読み違えた。患者の名前を似た音で聞き返した。どれも害が出る前に直り、今は笑って話せる小さな出来事だった。
紙には、失敗した人より、止めた人や気づいた合図が増えていった。
セラも『呼び名を増やし、在庫を五本隠した』と書いた。僕は『患者の宿代を先に払った。次の追加はしない』と書くべきか迷い、結局付け足した。
笑ってよい失敗、冷や汗をかいた失敗、小さな損。全部が同じ紙に並ぶ。
ミナは涙を拭き、自分の行へ『途中瓶を普通の机へ置いた。三角札が付く机へ変える』と書いた。
その夜、最初の三角札を使う患者が来た。
ミナは札を握り、セラと一緒に黒い瓶の蓋を開けた。




