第34話 同じ瓶、違う一匙
黒い瓶の薬は、『夜森の滴』と呼ばれていた。
眠れないときや、痛みで体に力が入っているときに使う。ただし、同じ一匙でも人によって効き方が大きく違うため、セラは患者ごとに薄めて渡していた。
瓶の横には、細い秤と大きさの違う匙が五本並んでいた。匙には数字ではなく、一から五までの点が刻まれている。
「量をそろえる道具はあるんですね」
「ええ。でも、どの匙を使うかは処方だけでは決まりません」
セラは、一の匙を使う患者でも、その日の食事によって水薬の量を変えることがあると説明した。つまり、正しい匙を選んでも、まだ完成ではない。
前の世界のシステムなら、条件を全部入力して自動計算したくなるところだ。年齢、体重、食事、睡眠、ほかの薬。けれど、数値にできない顔色や話し方をセラは見ている。
「計算表にはしない方がいいですね」
「珍しく、魔道具にしないと言うのね」
リゼが聞いた。
「判断する人を置き換えるより、その人へ確実に届く道を作ります」
リゼは黒い瓶を光へ透かし、頷いた。
「瓶を分けることはできませんか」
僕が尋ねると、セラは首を横に振った。
「調合した後は三日しか持ちません。毎日来るとは限らない患者さんごとに作ると、ほとんど捨てることになります」
「では、黒い瓶から量を測るのは、誰ですか」
「私かミナです」
「二人ともいないときは?」
「渡しません。待ってもらいます」
例外にも、すでに安全な規則はあった。問題は、その規則が黒い瓶を知っている人にしか見えないことだ。
僕たちは、実際の受け渡しを見せてもらった。
最初の患者は、体格のよい木こりだった。セラは処方紙を読み、食事を取った時刻と、昨夜どのくらい眠れたかを尋ねる。黒い瓶から小匙一杯を別の瓶へ移し、水薬で四倍に薄めた。
次は八歳の少年シオだった。同じ夜森の滴だが、量は木こりの四分の一。甘い草の液を多く混ぜる。
「名前も瓶も同じなのに、渡す中身は違うんですね」
「ええ。だから棚へ色を付けられないんです」
セラは完成した小瓶へ、患者名と一回量を書いた細い紙を巻いた。木こりには太い線一本、シオには短い線を二本。文字が読めなくても、本人と一緒に確認する。
「この線は、毎回同じ意味ですか」
「いいえ。木こりの線一本と、別の患者の線一本は量が違うこともあります」
札だけを見て、他の人へ流用してはいけない。通常薬のように、色や形から同じ手順を選ぶ仕組みとは反対だった。
僕は黒い瓶の棚へ『止まる』という大きな札を置こうとしたが、リゼに止められた。
「文字を読めない手伝いもいる」
「赤く光らせますか」
「赤は熱の棚で使っている。増やすとまた混ざる」
皆で考え、黒い瓶だけを蓋付きの浅い箱へ入れた。蓋を開けなければ手に取れない。上にはセラとミナの顔を簡単に描き、『どちらかと開ける』と書く。
箱を置く場所も試した。
一番奥では、調整待ちそのものを忘れる。受付の正面では、患者が触れる。調合台の端では、普通の瓶に紛れる。
最終的に、セラの診察室と調合台の間に小さな棚を付けた。受付からは見え、待合室からは手が届かない。箱が一つ入る幅しかないため、二件目が来れば先の患者を終えるまで置けない。
「棚を大きくすれば、まとめて運べますよ」
手伝いが提案した。
「まとめないために小さくしています」
例外薬は流れを速くするより、一件ずつ混ざらず終える方を優先する。通常薬の改善とは目的が違った。
ミナが試しに空瓶を入れ、受付から声をかけ、箱を開き、患者名を付けて渡すまで歩いた。途中で別の人に呼ばれても、空瓶は箱の中に残る。戻った場所が分かる。
「これなら、机へ置いたまま忘れません」
彼女自身がそう確認したので、箱を採用した。
「鍵は要りませんか」
手伝いが聞く。
「鍵を持つ人が見つからず、必要な患者さんを待たせるかもしれません。間違えて開けたとき、すぐ分かる形で試しましょう」
蓋には小さな鈴を付けた。開ければ鳴る。禁止するより、いつもと違う行動を周囲も知れるようにする。
午前中はうまくいった。
黒い瓶を使う患者が来ると、受付が箱ごと『調整待ち』の台へ置く。セラかミナが来て、短い質問をし、量を決める。普通の棚へ混ざらない。
午後、市場から急に十人以上の患者が来た。雨が降りそうなので、皆が早く帰りたいという。受付には処方紙が積み上がり、セラは診察室、ミナは調合室から動けなくなった。
一日だけ手伝いに来た女性が、箱の前で立ち止まる。
彼女は隣村の粉屋で働いており、市場の日だけ薬房を手伝っていた。通常薬の棚は何度も使っているが、新しい箱の説明を受けたのは朝の一度だけだった。
忙しくなれば、普段どおりに動こうとするのは自然だった。
「この瓶だけ、札がありません」
「調整待ちです」
僕が答えた直後、別の患者に呼ばれた。
女性は箱を閉じ、横にあった緑の丸札を一枚取った。黒い瓶の薬は痛みを和らげる。緑は傷と痛みの棚で使われている。
「札が落ちたのね」
彼女は親切のつもりで、黒い瓶へ通常薬の丸札を結んだ。
僕が振り返ったとき、丸札の付いた黒い瓶は、普通の薬と一緒に調合台へ運ばれていた。




