第33話 棚を病気に合わせない
ミナの帳面を、僕一人で写すことはしなかった。
まずセラへ見せ、採取人と乾燥職人、薬房の手伝いを集める。間違いを探すためではなく、皆が使える案内へ直したいと説明した。
「こんなものを作っていたのね」
セラが一頁ずつめくる。
ミナは叱られると思ったのか、背を固くしていた。
「すみません。仕事中に書いた日もあります」
「謝るのは私です。あなたが何度も呼び名を聞いていたのに、覚えなさいとしか言わなかった」
セラは帳面を閉じ、ミナへ返した。
「これを、皆に教えてくれる?」
ミナは目を丸くしたあと、大きく頷いた。
帳面をそのまま薬房の規則にはしない。個人の記憶を全部書き写すと、細かすぎて誰も開かなくなる。よく使う二十種類だけを選び、別名と材料の印を一枚の表にした。
選ぶ作業では、意見が分かれた。
セラは重い病気に使う薬を入れたがり、受付は問い合わせの多い薬を選び、調合師は作る回数の多い薬を挙げる。どれも正しい。
「一枚に全部入れたら?」
「またミナさんの帳面と同じ厚さになります」
僕たちは用途別に三枚へ分けた。毎日見る『よく出る薬』、迷ったときの『呼び名が多い薬』、セラだけが管理する『注意が必要な薬』。壁へ貼るのは最初の一枚だけで、残りは受付の引き出しへ入れる。
「隠すんですか」
「必要なときに見つかる場所へ置きます。毎日見えるものが多すぎると、本当に見るべきものが隠れます」
赤炉工房の板と同じだった。全てを見せることと、分かりやすくすることは違う。
ミナは自分の帳面の最初に、三枚の表がどこにあるかを書いた。元の詳しい記録も捨てず、深く調べたいときの資料にする。
次は、棚の分け方を考えた。
手伝いの一人は、病気ごとを提案した。咳、腹痛、熱、傷。患者の訴えから探しやすい。
けれど、一つの薬が咳にも熱にも使われることがある。棚を二つに分ければ、また同じ薬が別々に隠れる。
「効き方で分けましょう」
ミナが言った。
熱を下げる。痛みを和らげる。炎症を抑える。眠りを助ける。薬そのものの働きなら、一つの瓶を一か所へ置ける。
患者がどの効き方を必要とするかは、処方紙に小さな色札を付けて示すことにした。
赤は熱、青は痛み、緑は傷、白は休息。ただし色だけでは見分けにくい人がいるため、炎、雫、葉、月の絵を併記する。
リゼは四枚の札を患者の長椅子へ持っていき、意味を知らない人に見せた。
炎を見た老人は「火傷」、雫を見た女性は「涙」、葉を見た子どもは「お茶」と答えた。僕たちの想定とは一つしか合わなかった。
「絵なら誰にでも伝わると思っていました」
ミナが肩を落とす。
「言葉より伝わりやすいことはあります。でも、意味を一度も教えなくてよいわけではないんです」
受付で処方紙へ札を付けるとき、患者にも「赤い炎は熱を下げる薬です」と声に出して確認することにした。棚では、色、絵、文字の三つを同じ順に並べる。
分からない人を想像して記号を増やすだけでは、別の誤解が生まれる。最初の一言を省かない方が安全だった。
ルカは四つの意味をすぐ覚え、待っている子どもたちへ教え始めた。ただし、月の札だけは「眠る薬」と言わず、「休むのを助ける薬」とセラに直された。眠らせる強さとは限らないからだ。
「色が増えすぎませんか」
僕が尋ねると、ミナは首を振った。
「まず四つで試します。ほかは文字で探します」
赤炉工房で覚えた考え方が、もう彼女の言葉になっていた。僕は嬉しくなったが、教えたのは一日前なので、たぶんルカから聞いていたのだろう。
棚を動かす前に、よく来る三人の患者の処方で試した。
一人目は熱冷まし。炎の札から赤棚へ行き、材料印を照合してすぐ見つかる。
二人目は傷薬。葉の札から緑棚へ行く。同じ棚に軟膏と粉があるため、処方紙の瓶の絵で選ぶ。
三人目は咳と眠れない症状の両方。炎と月の札が付く。薬は二種類必要だと一目で分かった。
「前より歩かない」
手伝いが言った。
受付から棚を三往復していたのが、一度で済む。急いで全部を並べ替えるのではなく、午後の空いた時間に一棚ずつ移した。移動中の薬には黄色い仮札を付け、どちらの棚にもない時間を作らない。
移動した瓶は、元の棚へ形だけ描いた札を残した。そこへ来た人は『赤棚へ移動』という矢印をたどれる。一週間後、誰も古い棚を探さなくなったら札を外す。
「いつまでも残した方が親切では?」
手伝いが聞いた。
「古い案内を残し続けると、次に棚が変わったとき矢印だらけになります。役目の終わる日も決めましょう」
仮のものを仮のまま終わらせる。前の職場で、十年前の『一時対応』が本番の仕組みとして残っていたことを思い出した。
黄色い札の端へ、外す日を書いた。ミナが一週間後の予定表にも同じ印を付ける。片づけまでを作業に含めた。
薬房を閉めるころ、四つの棚ができた。
セラは待っていた患者へ、今日最後の薬を手渡す。朝なら何度も探した処方だったが、ミナが炎と月の札を見て、一度で二本を揃えた。
患者が帰ると、皆が静かに拍手した。
「全部、見えるようになりましたね」
ルカが棚の間を歩く。
「まだ、全部ではありません」
一番奥の棚に、どの色にも移されなかった瓶が一本ある。
光を吸うような黒いガラスで、中身も札も見えない。首には患者の名前らしい紙が巻かれているが、色の印は付いていなかった。
「これは、何に効く薬ですか」
僕が尋ねると、セラの表情が少し変わった。
「それだけは、普通の棚へ入れないでください」
セラは黒い瓶を両手で持った。
「同じ名前でも、飲む人の体格、年齢、普段の食事で量を変える薬です。少なければ効きませんし、多いと気分が悪くなることがある。私かミナが、患者さんを見て最後に調整します」
「なら、注意が必要な薬の表へ?」
「表には名前だけ。量は書けません」
通常の規則に当てはめられないものだった。例外をなくすのではなく、例外だと分かるようにしなければならない。
黒い瓶だけが、古い棚に残った。




