第31話 一晩だけの銀貨
薬房の仕事を三日間見ることにした。
報酬は薬草茶だけではなく、交通費、食事、屋根裏の寝床、それから改善後に一か月だけ薬の待ち時間を記録し、短くなった分に応じて銀貨を払う契約になった。バルド社長が用意した新しい書式を使い、未定の金額には上限と確認日を書く。
「僕たちが帰った後の数字で決まるんですね」
「仕組みが本当に使えたか分かりますから」
セラは快く印を押した。ただ、帳面を見たミナが僕を廊下へ呼んだ。
「正直に言うと、すぐ払える余裕はほとんどありません」
薬草の仕入れ、手伝いの給金、遠方への配達費。売上はあるが、セラが患者の宿代を肩代わりするたび、手元の銀貨が減っていた。
「契約を変えた方がいいですか」
「先生は払うと言ったら払います。自分の食事を減らしても」
それは困る。無料で働けば、今度はリゼと社長が困る。僕は契約書をもう一度見た。
「支払いを二か月後にできますか。その代わり、金額は変えません」
「待ってもらえるなら」
セラも同意した。払わなくてよいとは言わず、払える時期へ動かす。グレンなら、たぶんこうする気がした。
契約には、調査の対象も書いた。薬の作り方や診断には口を出さない。見るのは、処方を受けてから薬を渡すまで、在庫の置き方、呼び名、記録だけ。医療の判断はセラが責任を持つ。
「シュウさんは薬師ではないんですね」
ミナが意外そうに言った。
「薬草はほとんど知りません」
「それで、薬房を直せるんですか」
「薬は直せません。皆さんが仕事をするとき、探したり待ったりする場所なら、一緒に見つけられます」
リゼも魔法薬の容器と保冷具だけを見る。何でもできる人として振る舞わず、できる範囲を先に決める。その方が僕自身も安心できた。
初日の調査を始めようとしたところへ、遠い集落の家族が三人で来た。祖母の関節薬を受け取るためだが、処方を書いた巡回医の印が薄く、薬房では種類を確定できない。
「今日中に、巡回医へ確認します」
セラは頭を下げた。
「ただ、返事は夕方になるかもしれません」
家族は帰りの馬車の時刻を見て、顔を曇らせた。今日を逃すと、次は二日後だ。三人分の宿代は持っていない。
セラの手が、自分の財布へ伸びる。
僕は先に銀貨を三枚、受付へ置いた。
「一晩だけ、僕が出します」
「シュウ」
リゼの声が飛んだ。
「今夜、三人が困ります。調査を始める原因にもなったので」
「原因はあなたじゃない」
「分かっています」
本当に分かっていた。これは僕の責任ではない。それでも目の前でセラがまた自分の生活費を減らすより、僕の方が払えると思った。
今回は、自分の損だと認識している。宿代は返ってこないだろう。それでも、家族が薬を受け取らず帰るよりよい。
「一晩だけです」
僕は自分にも言い聞かせるように繰り返した。
リゼはすぐ反対せず、契約書の余白へ何かを書いた。
『患者宿泊費、シュウ個人負担、三名一泊。追加しない』
「ここに印を押して」
「記録するんですか」
「貸した数だけ覚えるんでしょう。払った数も覚えておくの」
僕とセラが印を押した。善意まで帳面に載せるのは居心地が悪いが、曖昧にしなければ二泊目を断る理由にもなる。
家族の母親は、僕の手を握って言った。
「必ず返します」
「返さなくて大丈夫です。これは貸したお金ではありません」
口にすると、銀貨が戻らないことがはっきりした。胸の一部が少し痛んだが、不思議と後悔はない。
「では、何かお礼を」
「無事に薬を受け取って、次は宿代も持って来てください」
祖母が笑った。
「それなら、次は待たされない仕組みにしておくれ」
僕の方が仕事を頼まれた形になった。三人は宿の名前を教えてくれたので、記録へ書き足す。今夜だけ、三名一泊。追加しない。
リゼは僕の財布に残った銀貨も数えさせた。暮らしに必要な分を除くと、あと二回同じことをすれば今月の自由に使えるお金はなくなる。
「あと二回も払える、と思った?」
「少し」
「そこは、あと二回しか払えない、と数えるの」
言い方一つで余裕の見え方が変わる。僕は帳面に残額も書いた。
家族は何度も礼を言い、近くの宿へ向かった。
僕は受付から薬棚まで歩いた。処方紙を受け取る。患者名を確認する。棚から薬を集める。調合する。量を測る。使い方を説明して渡す。
一人分が終わるまで、途中で平均七回、誰かが棚へ探しに行った。
最も早い人は十二分、長い人は一時間以上。薬の調合時間ではなく、探す回数とセラへ質問する回数で差がついていた。
僕は紙の端へ、質問の種類を丸で記録した。
別名が分からない。棚が分からない。量の読み方が分からない。患者へ確認することが分からない。
同じ質問が繰り返されるたび、セラの手が止まる。彼女は一度も嫌な顔をしない。それでも、調合中に呼ばれれば最初から量を確認し直すため、丁寧さがさらに待ち時間を増やしていた。
「質問を減らしたら、先生が楽になりますね」
ミナが言う。
「質問しないようにするのではありません。先生でなくても答えられる質問を増やします」
分からないまま進めるのは危険だ。聞くことを悪くせず、答えが一人に集中しない形を探す必要があった。
「よく出る薬から見せてもらえますか」
セラが北棚の二段目を示す。
そこには赤い液体の瓶が三本並んでいた。
一つは『赤い咳止め』。一つは『冬息』。もう一つは『喉火消し』。
「違う薬ですか」
「いいえ。同じです。調合した人が違うだけで」
「なぜ名前をそろえないんですか」
「冬息はこの地方の呼び名。喉火消しは南の患者さんに分かりやすい名前。赤い咳止めは、読み書きが苦手な人にも色で伝わるので」
どの名前にも、相手を思う理由があった。
善意で増えた名前が、同じ薬を三つに分けて隠していた。




