第26話 まあいいかの帰り道
職人たちは、工房前の広場へ長机を出していた。
完成した大鍋で豆と肉を煮込み、焼いた根菜と黒パンを並べる。早く帰れるようになった最初の日なのに、皆が残っていた理由は、僕たちと夕食を食べるためだった。
「残業では?」
僕が尋ねると、フィンが首を振った。
「これは夕飯です。嫌なら帰れます」
「帰ったのはオズ爺さんだけだ」
「あの人は毎日、日が暮れる前に寝るから」
笑い声の中へ座った。
大鍋は宿屋からの注文品だったが、納品前の火入れ試験を兼ねているらしい。ガント親方がよそった煮込みは、塩気が強く、働いた後にちょうどよかった。
「味の検査は誰がするんですか」
「全員だ」
親方が真顔で答えた。
煮込みをよそった数も、鍋の底に焦げ付きがないかも、職人たちは仕事の延長のように確かめている。ただ、二杯目からは誰も検査と言わなかった。
オズ老人が帰ったはずなのに、いつの間にか端の席に座っていた。
「寝るんじゃなかったんですか」
「鍋の試験が不十分だと聞いて戻った」
「誰から?」
「匂いからだ」
皆が笑った。
リゼは老人から、自動で鳴る槌の設計紙を受け取っていた。肩を痛めた失敗作だが、打つ回数を測る仕組みは炉の点検に使えるかもしれないという。彼女は煮込みを食べながら、紙の端へ改良案を書いている。
「休日にも仕事をするんですね」
「これは趣味よ」
「僕が同じことを言ったら怒りませんか」
「あなたは頼まれたことを趣味にするから駄目」
違いが分かるような、分からないような話だった。
「先生、次は何を直すんだ」
年上の職人が聞いた。
「僕は先生ではありません。それに、もう大きく直すものはないと思います」
「板はまだ空くぞ」
「空くのが普通です。埋めるための板ではないので」
「仕事が足りないという意味じゃないのか」
「今やる仕事が終わった、という意味です」
職人は不思議そうに頷いた。この工房では、手が空くことを悪いことだと思ってきたのだろう。けれど余裕がなければ、掃除も点検も、新しい技術を教えることもできない。
フィンが小声で言った。
「僕、妹に留め具の数え方を教えてみます。家の店でも、瓶を何度も数えているので」
「最初は十個だけ試してください。合わなければ戻せます」
僕が答えると、ガント親方がフィンの肩を叩いた。
「工房でも、自分で考えろ。困ったら札を出せ」
見習いだった青年が、仕組みを使う側から直す側へ移り始めていた。
食事が終わると、ガント親方は僕たちを荷車まで送った。
「報酬は五日後だ。必ず払う」
「はい」
「それと、次に来るときは客として来い」
「何を買えばいいでしょう」
「何も買わんでいい。茶を飲め」
親方なりの礼だった。
工房の職人たちからは、それぞれ小さな物を渡された。フィンは余った木札を五枚。炉番は耐熱糸を一巻き。取っ手職人は、麦穂村の小屋で使える壁掛け金具を二つ。
「代金は?」
僕が尋ねるたび、全員が「端材だ」「試作品だ」「検査で余った」と答えた。本当かもしれないし、僕が受け取りやすい言い方を選んだのかもしれない。
お金ではない。けれど、次に何かを整理するとき使える札と、暮らしを少し便利にする道具が増えた。
「友達代だと思えばいい」
フィンが言った。
「友達に代金は要りませんよ」
「だから、ただです」
うまく言い返せず、木札を鞄へしまった。
帰りの荷車で、僕は今回の収支を頭の中で数えた。交通費と宿代は工房持ち。食事も出た。報酬はまだ。手元に増えたお金はない。会社の道具には補強の輪が増え、仕事の日数は六日増えた。
「結局、今回も得はしていませんね」
「五日後に報酬が入る」
「まだ入っていません」
「損だと思ってる?」
リゼに聞かれ、僕は少し考えた。
休みは減った。契約のことで社長とリゼに心配をかけた。道具が割れたときは、弁償額を考えて胃が重くなった。
明確に、自分の損だった。
その損を、職人たちとの夕食で帳消しにしたことにはしたくなかった。楽しかったから働いた時間が戻るわけではないし、友達ができたから契約が曖昧でよかったことにもならない。
損は損として数える。そのうえで、別の場所に増えたものも数える。
今の僕には、それくらいの分け方が合っている気がした。
「次に同じ条件なら、受けますか」
リゼが重ねて聞く。
「最初に報酬と道具の扱いを決めて、それから受けます」
「少し進歩した」
「受けるところは変わらないんですね」
「そこまで一度に変わるとは思ってないわ」
彼女が先に笑い、僕も笑った。
それでも、夕方に誰も残らない工房と、妹の手を引くフィンを思い出すと、後悔はなかった。
「まあ、いいかと思っています」
「またそれ」
「でも、次は最初に道具の扱いを決めます」
「報酬も」
「はい。たぶん」
「たぶんを付けない」
荷車が灯り木魔道具社の前へ着くころには、夜になっていた。
扉の横に、小さな子どもが座っている。十歳くらいの少年で、膝に薬包を抱え、眠らないよう何度も首を振っていた。
僕たちを見ると、少年は立ち上がった。
「灯り木のシュウさんですか」
「そうです。どうしました」
「僕、ルカです。薬を届けに来ました。でも、帰りの馬車代を薬師さんから預かるのを忘れて」
彼は空の財布を見せた。最終の乗合馬車はもう出ている。町の宿へ泊まるにも、お金が足りない。
「一晩だけ、宿代を貸してもらえませんか」
リゼが、ものすごくゆっくり僕を見た。
この前も損をしたけれど、と僕は思った。




