第20話 賢すぎる板
四日目の朝、三日間の調査はいったん終わった。
契約どおりなら、ここで続けるか決めることになる。ガント親方は開店前から事務机の前に座り、僕とリゼへ深く頭を下げた。
「もう三日、頼みたい」
「報酬は、納品代が入ってから相談、のままですか」
僕が確認すると、親方は苦い顔で頷いた。昨日完成した六品を納めれば、早くても入金は五日後らしい。
「僕は大丈夫です」
「私は大丈夫じゃない」
リゼが横から契約書を取り上げた。
「灯り木の炉診断は昨日で終わり。今日は私が勝手に残るだけだから、食費だけ工房持ち。それと、シュウの報酬額は納品代の一割。上限はここ」
彼女は数字を書き入れ、僕に確認する。思ったより少ない額だったが、空欄よりずっとよい。
「一割というのは、何の一割ですか」
「今回、この板を使って納品できた分の売上。材料代を引く前よ。利益の一割だと、工房の計算次第でゼロにもできるから」
「そこまで疑わなくても、ガント親方はごまかさないと思います」
「親方を疑う話じゃない。誰が読んでも同じ額になるようにする話」
僕は前の世界で、作業範囲という言葉を何度も聞いたことを思い出した。知っているつもりだったが、自分の報酬となると急に曖昧でもよい気がしていた。僕の時間だけ、数え方が粗い。
「三日で終わらなかったら?」
「そこでまた決める。勝手に四日目を始めない」
リゼは僕に復唱させた。職人たちが朝礼を始める横で、「勝手に四日目を始めません」と口にするのは、少し恥ずかしかった。
「これなら払える」
親方も印を押した。
僕が断れないのを見越して、リゼが断る必要のない条件まで先に作ってくれた。ありがたい反面、少し情けない。
「その顔をするくらいなら、次は自分で書きなさい」
「善処します」
「契約書で一番信用できない言葉を使わないで」
新しい契約ができると、リゼは昨夜描いた術式を板へ取り付けた。
仕組みは単純に見えた。注文札の赤い縁を小さな読取石が見つけ、炉の工程が終わると、札の下にある光が『次』から『完了』へ移る。札そのものを動かす力は大きくなるため、場所を光で示すだけにしたらしい。
「これなら動かし忘れても分かるわ」
「よく一晩で作れましたね」
「術式は前からあるものの組み合わせ。難しいのは、何を読ませるかよ」
職人たちは自動で光る板を面白がった。炉へ最初の鍋を入れると、赤い光が点る。焼き上がり、炉番が完了の魔力を流すと、板の光が下へ滑った。
歓声が上がった。
二つ目までは、うまくいった。
三つ目に同じ赤い縁の札を置いたとき、完了欄の光が二つ同時に点いた。板は、どちらも同じ「炉を使う品」としか見分けられない。
「印を変えればいいわ」
リゼは鍋の札へ丸、農具へ三角を足した。ところが、工房には鍋だけで十種類ある。形、大きさ、炉の温度、刻印の種類まで識別しようとすると、札は記号で埋まった。
「どの印が焼き固めだった?」
炉番が尋ねる。
「二重丸の中に短い線」
「これは長い線に見えるぞ」
「長い線は魔力抜きよ」
別の職人が、光っていない品を板から外した。すると読取石が順番を詰め、まだ終わっていない隣の札を完了扱いにした。
「触らないで!」
リゼが珍しく大きな声を出し、職人の手が止まった。
怪我も損害もない。ただ、朝には三つだった記号が、昼前には十二種類へ増え、誰も覚えられなくなった。
僕は一度、板を止めるよう提案した。
「あと少しで整理できる」
リゼは術式へ細い線を足しながら答えた。
「今困っているのは職人さんです」
「分かってる。だから直しているの」
「直している間だけ、昨日の板へ戻しませんか」
彼女の手が止まった。
作る側にとって、途中で止めるのは失敗を認めるように感じる。僕にも覚えがあった。画面の不具合をあと一つ直せば使えると思い、利用者を待たせた。結局、古い方法へ一度戻した方が早かった。
僕は板の端へ、昨日の白札を三枚置いた。
「捨てるわけではありません。比べるために、半日だけ戻します」
リゼはしばらく唇を結んでいたが、読取石への魔力を切った。
「半日よ。夕方には、どちらを使うか決める」
光が消えると、職人たちはほっとしたように木札を見た。その顔を見て、リゼも何も言わなかった。
職人たちは板ではなく、リゼの顔を見て次の作業を尋ねるようになった。彼女がいなければ動かないなら、前より不便だ。
「札に一つずつ固有の刻印を入れるしかないわね」
「注文を受けるたび、誰が刻みますか」
「受付よ」
「受付の人は、刻印術を使えないそうです」
「簡易刻印器を作ればいい」
「それが壊れたら?」
「修理する」
「誰が?」
リゼが口を閉じた。
そこへ、白髪の職人が何枚もの木片を抱えてやって来た。三十年前まで赤炉工房で働いていたという老人で、名前をオズといった。
「面白い板を作ったと聞いてな」
彼が机へ置いた木片には、鍋、刃、ランタンの絵が焼き付けてある。昔、読み書きのできない見習いへ仕事を教えるために使ったものらしい。
「これは、何の札ですか」
僕が鍋の絵を持ち上げると、オズはその端を指した。小さな穴が三つ開いている。
「穴へ色糸を通す。赤なら炉、青なら部品待ち、白なら今日だ。足りなきゃ結び替える」
リゼの術式より遅く、手で動かさなければならず、間違えることもある。
けれど工房の全員が、一目で意味を分かった。
オズ老人は、リゼの術式を馬鹿にしなかった。
「若いころ、俺も勝手に鳴る槌を作った。打つ回数を揃えれば、誰でも同じ厚さになると思ってな」
「使えなかったの?」
「槌の速さに腕を合わせて、皆が肩を痛めた。だが、数を数える癖だけは残った。失敗した道具も、次の道具の材料にはなる」
リゼは初めて老人を正面から見た。
「その槌、まだある?」
「物置だ。見たけりゃ夕飯の後に掘り出せ」
技術の話になると、二人の距離は急に近くなった。使えなかった仕組みを隠さず話せる人がいることは、成功例を教わるより心強いのかもしれない。
自動で光る板の前に、古い木札がきれいに並んだ。




