↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
147/150

第147話 分かっていて押す印

「分かっています」


僕は答えた。


以前なら、損ではない理由を急いで並べたと思う。誰かの役に立つから、巡り巡って返ってくるから、僕には大したことではないから。


今回は、損だと分かっていた。


独占案と公開案の差額も、そのお金でできた暮らしも、紙に書いた。働いた分の調査費と設計費は受け取る。会社の利益も守る。その上で、基本手順の使用料だけを手放す。


返ってこなくても、家族や会社を壊さない範囲だった。


「はい。本当に損をします。それでも、この形を選びます」


クレイスは一度うなずき、もう止めなかった。


バルド社長が会社印を押した。僕とリゼが確認署名をし、王国側の印が並んだ。


大きな音はしなかった。


紙が二枚、正式な契約になっただけだった。


その日の午後、王都中央穀倉の壁へ『四色札式・基本の一枚』が掲げられた。写しは王立学校、運送組合、各領地の穀倉、街道の宿場へ送られた。


独占の封印は付いていない。誰でも写せるよう、原板の置き場所まで書いた。


国じゅうの食卓をつなぐ仕組みは、号砲ではなく、四つの小さな欄から動き始めた。


南領の倉庫が、麦二百荷を十日以内に東の乾燥地域へ送れると書いた。


東領は、受け取り場所と担当者を返した。ボルクの運送組合が途中の宿場を二つ選び、マルテの商会が帰り荷に東の豆製品を載せた。


北領からは、長雨で遅れていた収穫が始まったと報告が来た。予測盤の値ではなく、今日刈れた量が書かれている。


山間部は『二万杯』を捨てず、受け渡し場所で共通重りへ換算した。一杯の意味を王都が決め直さなくても、荷物は渡せた。


森林地域の四十七村も、無料の基本札で今の量を送った。


文字の少ない札、木の皮へ刻んだ札、色の代わりに四つの形を使う札。見た目は違う。それでも量、期限、行き先、連絡先をたどれば、王都の担当者は何を確認すべきか分かった。


最初の一週間で、小さな行き違いもあった。


ある村の『三日』は、三日以内に出せる意味ではなく、三日間だけ街道が通れる意味だった。


荷物はまだ倉庫にあり、誰も困っていない。担当者は村へ聞き直し、期限欄を『出せる日』と『道が開く日』の二段にした。基本の四つは増やさず、その地域の別紙へ一行足した。


別の倉庫では、緑札に前任者の名前が残っていた。連絡が途切れた森林地域と同じだったので、責任者を叱る前に連絡先一覧を更新した。


失敗は、仕組みを使えない証拠ではなく、次に確認する場所を教えてくれた。


集計盤も改修した。


全部の地域単位を盤の中で何度も換算するのをやめ、各地の原数値と、受け渡し場所で確定した共通重量を別々に表示した。予測値には『予測』、現物には『確認済み』の札を付けた。


リゼとフィンが余計な歯車を外すと、地下室の低い異音は消えた。


クレイスの予定板からも、夜の会議が消えた。地方担当者へ判断を戻し、七日未満の在庫か設備停止だけを彼へ上げる。彼は三日続けて寝台で眠ったことを、なぜか正式な週報へ書いた。


「国王陛下が、これも成果だと」


「一番大事かもしれません」


王都での最後の日、中央穀倉の中庭へ各地の代表が集まった。


国王からの報酬は、契約に書かれた金銭と、細長い木製の印だった。


掌に収まる板へ、屋根と灯りの形が彫られている。裏には僕とリゼの名前、灯り木魔道具社の印、そして小さな地図の線があった。


「『炉辺の印』です」


クレイスが説明した。


今回の仕組みに参加した村、宿場、工房、学校が、自分たちの意思で登録した。印を見せれば、空いている寝床と一食を用意する。王国が宿へ命令した制度ではない。宿泊代を取るかどうかも、それぞれが決める。


道の縁亭のドムとレナが、最初の登録者だった。


麦穂村、赤炉工房、セラの薬房、ネルの水路小屋、学校、領地穀倉。地図の線に沿って、小さな屋根の印が増えている。


「お金の代わりではありません。契約報酬は別に払います」


クレイスは念を押した。


僕が報酬を断ったことにされないようにしてくれたらしい。


「これは、あなたたちが帰れる場所の一覧です」


印を握ると、少し温かかった。


登録簿には、宿を営んでいない家もあった。納屋の二階なら貸せる、夕食だけなら用意できる、庭で天幕を張ってよい。それぞれが、できる範囲を自分で書いていた。


何でも無料で差し出す印ではない。満室なら断れる。食材が足りなければ食事はない。僕たちも修理や相談を頼まれた時は、仕事の範囲と報酬を別に決める。


歓迎と契約を混ぜないところまで、僕たちらしい印だった。


リゼは自分の名前を指でなぞった。


「一人分ではないのね」


「僕が勝手に損をしたお礼なら、一人分だったかもしれません」


「今回は家族で相談したもの」


僕たちは二人で印を持ち、地図に増えた屋根を数えた。


王都を出る馬車には、来た時より荷物が増えていた。契約書の写し、各地の食べ物、フィンの型板、ミナの絵札。それでも僕の席の隣は空けてあり、リゼが眠れるよう毛布もある。


バルド社長は御者台で鼻歌を歌い、ルカは帰り道の中継所を確認していた。


王都の門が遠くなったころ、懐へ入れた炉辺の印から、ちりん、と小さな異音がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。