第144話 計算しても決まらない夜
僕は、一晩だけ考える時間をもらった。
契約の返答期限までは五日ある。今夜決める必要はない。それでも、考える終わりを朝食後と決めた。眠らず何日も同じ紙を見ることはしない。
王都の宿の机へ、四枚の紙を置いた。
助けたい理由。
家族から失う時間。
会社の収入。
ほかの方法。
助けたい理由には、辺境も全国網へ残ること、食料不足を早く知らせられること、試験に協力した人へ約束を返せることを書いた。
『かわいそうだから』だけにはしなかった。何が変わるのかを言葉にする。
四十七村の人口は合わせて二万人ほど。今すぐ食料不足ではないが、天候が変わった時、返事が遅れやすい。基本四項目だけでも、王都や近隣倉庫へ現在量を伝えられる。
家族から失う時間。
僕が四十七村を回れば、一村二日でも九十四日。移動を含めれば百二十日以上。四色札を教え、質問に答え、更新するなら毎年続く。
リゼとの休日、学校、今の会社の仕事。その全てを圧迫する。
ただし、僕が全部行く必要があるかは別だった。
会社の収入。
独占使用料をそのまま受ければ、四役の新しい担当者を雇い、今の全員の給与を上げても余裕がある。辺境を無料対象へ加え、会社が導入まで負担すれば、利益は三分の一以下になる。
基本手順だけ無料にし、導入支援を有料にすれば、独占使用料は減るが、研修と保守の仕事は残る。
王国との独占契約を受けたまま、会社の利益から支援基金を作る案。最初の年は十村まで。残りは数年かかる。
ほかの方法。
王国の補助を待つ。領地に負担してもらう。商会から寄付を集める。辺境同士で共同契約する。学校や運送組合が基本だけ教える。
案ごとに、お金、日数、届く村、続けられる年数を書いた。
独占契約だけなら、収入は最大、僕の追加日数は年二十日ほど、対象外は四十七村。
全て無償なら、使用料はほぼゼロ、追加日数は百日以上、全村へ届くが継続担当が足りない。
基本公開と有料支援なら、継続収入は独占案より三割ほど減る。僕の追加日数を手順書作成の十日へ限定できる可能性がある。村は自分たちで始められ、必要な所だけ研修を買う。
でも、手順書だけで使えない村もある。文字を読めず、共通重りがなく、連絡路もない。結局、誰かが教えに行く。
計算は、答えを一つにしなかった。
僕はさらに、失うものへ値段を付けてみた。
休日一日は、会社の一日分の報酬ではなかった。リゼと森を歩く時間、庭を直す時間、何もしないで昼寝をする時間を、銀貨へ換えることはできない。それでも『無料だからゼロ』とは書かず、一日を通常の仕事より高く見積もった。
健康にも欄を作った。連続出張は十日まで。夜間の質問対応はしない。食事を抜いた日が一度でもあれば、翌日は休む。体力のない僕が無理をすれば、結局は別の誰かが穴を埋めるからだ。
助けた後に返ってくるものも書いた。
麦穂村では、最初に自分で払った保存箱の代金が、土地と食事と友人になって返った。工房、薬房、宿場町でも、予定外の時間はかかったが、あとで僕一人ではできない仕事を担う仲間が増えた。
けれど、『今回も返ってくる』とは計算しなかった。
過去に八割ほど報われたからといって、次も同じとは限らない。返礼を期待して無償にするなら、それは名前のない請求書を相手へ渡すことになる。
返ってこなくても選べる範囲はどこまでか。
その問いを、新しい紙の一番上へ書いた。
全面無償は選べなかった。家族と仲間の時間まで、僕一人の気持ちで差し出すことになる。
全面独占は選べた。間違いではない。正当な報酬を得て、来年、別の方法で辺境を支えることもできる。
基本公開と有料支援は、その中間に見えた。ただし、公開する手順書を僕だけで作り、質問にも僕だけで答えれば、名前だけ中間で実際は全面無償と同じになる。
必要なのは、お金の配分だけではなかった。誰が作り、誰が教え、どこから有料で、何をしないか。役割まで決まらなければ、僕の空欄へ全部流れ込む。
四枚目の『ほかの方法』へ、五つ目の欄を足した。
『僕以外にできる人』
フィンなら、色の出にくい木札を直せる。ミナなら、文字の少ない説明に変えられる。ルカなら、連絡路のない村まで中継を作れる。学校の卒業生や各地の担当者も、すでに基本四項目を使っている。
名前を書き始めると、紙の下まで埋まった。
ただし、彼らの時間も僕のものではない。頼めば断りにくい人もいる。僕が善意の案を決めてから割り当てるのは、以前の上司が僕へしたことと同じだった。
朝になったら、決定ではなく相談として見せる。それぞれが断れるように、必要時間と報酬の有無も添える。
金銭だけなら独占契約。届く人数だけなら全面無償。家族時間なら何もしない。将来の会社なら有料支援。どの数字を一番にするかで、得が変わる。
夜の二刻目になった。
僕は紙をそのままにし、寝室へ行った。
リゼは答えを聞かず、橙の茶碗へ温かい茶を入れた。二人で飲み、眠った。
朝、数字は変わっていなかった。
助けたい気持ちも、家へ帰りたい気持ちも、どちらも残っていた。
計算しても、どちらが得かは決まらなかった。




