↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/150

第13話 僕の鍵で開く扉

街へ戻った翌々日、僕は再び麦穂村へ向かった。


今度の馬車代は灯り木魔道具社が出してくれた。往復ではなく、片道だけだ。


「帰りは、ちょうど村から来る荷車へ乗せてもらえるよう頼みました」


バルド社長は胸を張った。


少しずつだが、無料で何とかする以外の方法を考えてくれているらしい。


目的は、借りた小屋の掃除と、村の記録が続いているかの確認だった。仕事半分、休日半分。社長は休みでよいと言ったが、僕は気になって来てしまった。


古い鉄鍵を回すと、扉は前より軽く開いた。村の誰かが蝶番へ油を差してくれたようだ。


小屋の中には、寝台、机、暖炉、壁の釘。必要なものは揃っている。足りないのは、ここで暮らす人の気配だけだった。


窓を全部開け、床を掃く。舞い上がった埃が光の筋で踊った。元の世界で使っていた狭い部屋には、便利な掃除機も洗濯機もあった。それでも、休日に掃除を後回しにし、床へ物を積んでいた。


何もない小屋は、掃除する場所まで分かりやすい。


ルカが水桶を持って現れた。


「村長が、シュウは一人だと水を運びすぎるって」


「一桶で足りるよ」


「二桶持ってきた」


僕の返事を待たず、彼は雑巾を絞り始めた。しばらくすると、倉番の若者が壊れた棚板を持ってきた。村長の奥さんは藁の新しい敷物を置き、家具職人は背板だけでは気の毒だと、三本脚の丸椅子を貸してくれた。


僕は一人で暮らす場所を作るつもりだった。昼前には、六人で小屋を整えていた。


掃除をしながら、前の持ち主がどんな人だったかも少しずつ分かった。机の引き出しには、村ごとの魔道具を描いた古い点検札が残っていた。暖炉の横には、訪問した日を刻んだ木片が束ねてある。元の巡回保守員はグレンという人で、数年前に仕事を辞めて旅へ出たらしい。


「困った道具より、困っている使い手を見る人だったよ」


家具職人が言った。


壁には、部品より多く、村人からもらったらしい木の実や小さな絵が掛かっていた。空き家なのに寂しく見えなかった理由が分かった。


僕は古い札を勝手に捨てず、乾いた布で拭いて箱へ戻した。どれが今も使える情報か判断できない。持ち主か村長へ確認するまでは、整頓と処分を同じにしない方がよい。


「報酬代わりに働かせるつもりはありませんからね」


マルクさんが念を押す。


「分かっています。僕も皆さんの家を直して回るつもりはありません」


「小屋を使う代わりに定期点検を無料で、とは言いません」


マルクさんは続けた。


「仕事を頼むときは、灯り木へ依頼札を出します。今日の掃除は、村の空き家を守るためです」


僕が気にしそうなところを先に分けてくれた。村の人へ境界を教えたつもりが、僕の方が教え返されている。


扉の裏へ、仕事の依頼は会社へ、小屋の故障は村長へ、と二行だけ書いた札を掛けた。暮らしと仕事の入口を分ける、最初の小さな仕切りだった。


言ってから、本当に頼まれたら断れるだろうかと思った。リゼがいれば、また帳面を出されるだろう。


昼食には、紫の保存果実を刻んだ温かい飲み物と、豆入りの薄焼きパンを作った。飲み方は教わったが、果実を入れすぎてかなり酸っぱい。ルカは蜂蜜を足し、村長は湯を足し、最後には大鍋いっぱいになった。


「失敗すると増える飲み物だね」


「食料不足の村には向いているかもしれません」


皆で笑って飲み切った。


午後、僕は持ってきた荷物を机へ並べた。着替え二組、人材斡旋所でもらった文字表、炭筆、紙、使い道のない日本の社員証。財布は軽い。


社員証の写真には、少し疲れた顔の僕がいる。首から下げていた紐は、こちらへ来た日に商人が身元札だと思って大切に扱ってくれた。今では何の権利も証明しない。ただ、自分が別の場所で働いていた証拠ではある。


机の引き出しへ入れるか迷い、結局、文字表の横へ立て掛けた。元の世界を忘れたいわけでも、毎日眺めたいわけでもない。


その隣へ、灯り木でもらった契約札を置く。三十日のうち、もう半分近くが過ぎていた。二つの札の間に、どちらにも完全には属していない今の僕がいるようだった。


壁の釘へ、麦の穂を彫った椅子の背板を掛けた。丸椅子には取り付けられないので、今は飾りだ。


保存果実は棚の上へ置いた。種類ごとに札を付けそうになり、二袋しかないことに気づいてやめた。仕組みは、必要な大きさで作ればいい。


夕方、村の記録を見に行くと、色札も白い輪も使われていた。赤線を引いた失敗表には、誰かが『芋は籠』と大きく追記している。三色石は青かった。


僕が直すところはなかった。


小屋へ戻り、借りた丸椅子に座る。背もたれはないが、窓から夕日に染まる畑が見えた。暖炉で薪が弾け、保存果実の香りがする。


異世界へ来てから、自分の意思で閉められる扉は初めてだった。


寂しくないと言えば嘘になる。元の世界の家族へ連絡する方法も、帰る方法も分からない。けれど今夜だけは、分からないことを考え続けないことにした。


寝る前に窓を閉めようとして、外の暗がりに淡い点が動くのを見た。


昼間にルカが置いていった呼び鈴へ手を伸ばしたが、やめた。光は急いで近づいてくるわけではなく、規則正しく森へ離れている。危険なら村の犬が騒ぐはずだが、遠くで一度吠えただけだった。


僕は机の紙へ、光の色、間隔、進む方向を書いた。異世界へ来ても、分からないものを見ると記録してしまう。自分でも少し可笑しくなった。


窓辺へ椅子を寄せ、消えるまで眺めた。青白い点は森の入口で一度集まり、木々の奥へほどけていった。


一つ、二つ、三つ。


獣の足跡のような間隔で、青白い光が森へ続いていた。


見たことのない、光る足跡だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。