第117話 次の冬の約束
「僕も、次の冬をここで過ごしたいです」
言葉は、驚くほどすぐ出た。
「一緒に暮らしてくれて、ありがとうございます」
「またお礼?」
「うれしい時に出るので」
「では、私も。ここを二人の家にしてくれて、ありがとう」
家と土地を持っていたのは僕でも、二人の家になったのはリゼが暮らしを持ち込んだからだ。橙の茶碗、工具棚、加工法の本、朝に閉じておく窓。僕一人の小屋にはなかった物が増えた。
僕は土地を貸す時に境界を決めた。今度は境界を守りながら、内側へ誰かを迎えることができた。
一月だけの試験は終わった。暮らしてみて、僕の自由時間はなくならなかった。一人で読む日も、二人で食事を作る日もある。仕事の紙は何度か居間へ入り、そのたび相談室へ戻した。
完璧に守れたから続けたいのではない。守れなかった時に、二人で戻せたから続けたいと思った。
「来年までの契約にしますか」
「一年ごとに更新する恋人?」
「それは、少し寂しい言い方ですね」
リゼは笑い、僕の青い茶碗へ自分の茶を少し足した。
「期限を決めなくても、困ったら相談する約束があればいい。私は、ここを家にしたい」
「僕たちの家に」
「ええ」
僕たちは生活板の『一月試験』の札を外した。代わりに、『次の冬も』と書いた青い札を、一年後の月へ置いた。
結婚という言葉は、まだ使わなかった。家族という言葉も、口に出すと少し大きい。それでも、帰る場所を一つにする選択はできた。
職人宿から、リゼの本と衣服を運んだ。
工具は全部持ち込まず、毎日使う物だけ土間へ。工房でしか使わない大型器具は職場に残す。本棚は二段ずつ分け、中央の一段を共有にした。
僕の測量史とリゼの加工法の本が、同じ棚で隣り合った。
バルド社長たちは、今度は玄関から来た。小さな夕食会を開き、麦穂村のマルク、レナとドム、ガント、セラ、ルカ、ミナ、フィン、テオたちも時間をずらして顔を出した。
誰も大きな祝いの言葉を言わなかった。
それぞれが一つずつ家の使い方を確認した。
マルクは野菜を置く場所。レナは保存食の賞味日。ガントは棚の耐荷重。セラは薬箱を開けてよい条件。ルカは受取札の裏返し方。
贈り物を置くだけでなく、僕たちが困らず使えるところまで伝える。これまでの案件で作った関係が、暮らしの中へ自然に入っていた。
バルド社長だけは大きな花束を持ってきた。花粉でリゼがくしゃみをしたため、半分を共同学び場へ飾り、半分は乾燥させて学校の教材にすることになった。
「祝いまで運用にするのか」
「無駄にしないだけです」
マルクは冬野菜を置き、レナは二人分の保存食を持ってきた。ガントは土間の棚を一段増やし、セラは薬箱へリゼの名前札を足した。テオは生活板へ、『終わったら片づける』の絵札を貼った。
家族のような仲間が、家を仕事で埋めず、暮らしに必要な物だけを置いて帰った。
夜、雪はまた強くなった。
僕とリゼは、二つの小部屋の間仕切りを半分開けた。中央の魔石灯が、青から橙へゆっくり変わる。
「来年は、どうなっているでしょう」
「弟子がもっと増えて、相談室が狭いと言っているかも」
「客室を増やしていなくてよかったです。仕事部屋にされます」
「その時も、居間には入れない」
変わる未来の中で、守る境界を二人で言える。
外から、鈴の音が聞こえた。
最初は風だと思った。けれど二度、三度と近づき、小屋の前で止まる。荷車の鈴だった。
こんな雪の夜に、予定の便はない。
僕たちは外套を着て、相談室側の扉を開けた。生活側の玄関ではなく、来客用の入口が役に立った。
外には、見覚えのない大きな荷車が一台あった。車輪に雪が付き、荷台は厚い布で覆われている。御者は疲れているが、怪我はない。馬も歩ける。
まず御者を暖炉のある相談室へ入れ、馬を会社の軒下へつないだ。荷物には触らず、積み主の封印が切れていないかだけ確認する。
「今夜、国境へ進む必要はありますか」
「いいえ。食料は保存できます。薬草にも保温布があります。朝まで休めれば」
緊急ではなかった。僕たちは道を教える前に、温かい茶と乾いた毛布を渡した。
生活側の居間へ入れず、相談室の長椅子を寝床にする。見知らぬ人へ親切にすることと、家の安全を守ることを両立できた。
御者の名、出発地、荷主、国境で会う相手を受付札へ書く。疑って捕まえるためではなく、朝に正しい道と連絡先を渡すためだった。
「夜分にすみません。国境の交易所へ向かっていましたが、雪で道を外れました」
荷台には麦と薬草、布、壊れやすい瓶。いくつもの国から集めた荷物らしい。
「危険な物はありますか」
「毒物も武器もありません。食べ物と生活用品です。ただ、札がなくて」
御者は、束になった木札を見せた。
ラウム王国の青札。隣国の赤い紐札。さらに向こうの国の、文字だけの薄板。同じ荷物へ三種類を付けようとし、荷台の紐が足りなくなっている。
「国境で、どれか一つを使えないんですか」
「ラウムの札では隣国の検問が読めない。隣国の札では、こちらの倉庫が受け取らない。三つ目の国では、色の意味が逆です」
カイが描いた、印のない荷車だった。
札を付けていないのではない。どの札を付けても、次の国では使えなかった。
御者は雪の中で頭を下げた。
「どの国の札も使えないんです。荷物を捨てずに、国境を越える方法を教えてもらえませんか」




