第115話 二つの部屋で一緒に暮らす話
初雪は、朝から静かに降った。
会社の外扉には白い雪が薄く積もり、相談室の窓から見える家庭菜園も、畝の形だけを残して白くなった。
その日は最初から休日だった。
僕は新しい机で本を読み、リゼは隣の作業台で、小さな色変わりの魔石灯を磨いていた。温泉で話した、役に立つ期限のない灯りだ。
「休日なのに、作業をしていいんですか」
「作りたいから作ってる。顧客も納期もないわ」
「僕も、読みたいから測量史を読んでいます」
同じ部屋にいて、別々のことをする。時々、リゼが金具を探し、僕が棚から渡す。僕が古い文字で止まると、リゼが意味を教える。
昼前、雪が強くなった。
職人宿へ戻る道は歩けるが、夕方には凍るかもしれない。リゼは今夜も小屋へ泊まることにした。
増築した寝室は、中央の間仕切りで二つに分かれている。片方には僕の寝台と本棚。もう片方には予備の寝台、リゼの工具棚、まだ半分空いている衣装箱。
「泊まる荷物が、だんだん増えていますね」
「毎回、職人宿から持ってくるのが面倒だから」
着替えが三組。作業着が二組。本が五冊。髪を結ぶ紐、薬箱、冬用の室内靴。『泊まり用』と呼ぶには、すでに小さな生活だった。
「一緒に暮らす話を、試してみますか」
僕が言うと、リゼは工具を置いた。
「試す、というのは?」
「一月だけ、ここを二人の生活場所にする。職人宿の部屋はその間も残す。困ったことを記録して、一月後に続けるか話す」
「困ったことだけ?」
「よかったことも書きます。損だけ数えず、戻ったものも数えると教わりました」
生活板の端へ、二つの小さな籠を掛けた。黄色には困った札、緑には助かった札。一月後、両方を開く。
ただし、毎日の家事を採点する箱にはしない。相手へ直接言えることは、その場で言う。後から話したいこと、何度か起きることだけを入れる。
「私が茶碗を置きっぱなしにした、と毎回黄色札を入れないでね」
「夜の一刻までに洗う約束なら、その前には入れません」
「もう約束ができたの?」
まだ決めていない生活から、すでに一つ具体的な時刻が生まれた。
同居を始めるか、始めないか。大きな二択にすると、完璧な答えが必要になる。戻れる期間を決めれば、生活を実際に使って考えられる。
リゼは少し笑った。
「私たちらしい始め方ね」
居間の生活板へ、必要なことを並べた。
休日。二人一緒の日と、別々の日を一月に一度ずつ先に置く。残りは天気や仕事を見て決める。
仕事場所。相談と資料は外の相談室。リゼの趣味の作業は居間でもよいが、火や強い魔力を使う作業は土間。僕が家で報告書を書く時も、食卓ではなく机。
食事。作れる人が作り、無理なら買う。『作れなかった借り』を数えない。買い物代は共通の箱へ一月分ずつ入れる。
掃除。曜日で半分にせず、寝室、居間、台所、土間を札で担当する。疲れたら交換する。
「僕は台所の掃除が遅いです」
「私は本棚を勝手に分類し直すかもしれない」
「それは、先に相談してください」
「では、本棚はシュウ。土間は私」
得意な場所と、触られたくない場所を同時に決めた。
お金は、家と土地の修理を僕、リゼ専用の道具をリゼ、食費と暖房を共通箱。大きな買い物は、一晩置いてから決める。どちらかが出せない月は、割合を相談し直す。
「契約書にしますか」
「生活の約束表くらいでいい。でも、嫌になった時のことは書きたい」
一月の試行で合わなければ、リゼは職人宿へ戻る。恋人をやめる意味にはしない。距離が必要な日には、間仕切りを閉める。話し合いを夜中まで続けず、翌朝へ置く。
体調が悪い時の札も作った。
僕は疲れると、何も言わず早く横になりたくなる。リゼは作業へ集中すると、食事を忘れる。青札なら一人にしてほしい、橙札なら声を掛けてほしい。言葉を出す力がない時に、寝室の扉へ掛ける。
もちろん、札だけで相手の状態を決めつけない。青でも水は要るか、橙でも今すぐ話せるか、一度だけ聞く。
「暮らしを魔道具の運用みたいにしすぎでしょうか」
「札があるから話さなくなるなら、そう。でも、話す入口になるなら便利よ」
二人の家に合わなければ外せばよい。最初から永遠の決まりにはしなかった。
終わり方があると、始めやすかった。
午後は暖炉の前へ椅子を二つ置き、本を読んだ。雪は窓の下まで積もり、外の音を吸い込んでいる。
リゼの魔石灯が完成した。
丸い石の中で、青、橙、薄紫の光がゆっくり変わる。明るさは読書には足りず、部屋を暖めることもない。
「役には立ちませんね」
「きれいでしょう」
「はい。寝室へ置きたいです」
二つの小部屋の間仕切り棚へ置くと、どちらからも色が見えた。
間仕切りを閉めると、光は細い隙間からだけ届いた。完全に相手の存在を消さず、一人の空間も作れる。
「これを作りたかった理由が、今分かりました」
リゼは、役に立たないと言った灯りを見た。
「二つの部屋から見えるから?」
「たぶん。作り始めた時は、そこまで考えていなかったけど」
仕事でない物にも、後から暮らしの役割が見つかる。見つからなくても、きれいなら置いてよい。
僕は台所で茶を淹れようとした。
暖炉の前の小さな卓には、いつも使う僕の茶碗が一つ置かれている。その隣に、見覚えのない茶碗があった。
同じ形で、縁だけ色が違う二つ目の茶碗。
僕もリゼも、そこへ置いた覚えはなかった。




