第11話 小屋の鍵
新しい仕組みを始めて三日目、僕は何もせず穀倉の隅に座った。
正確には、何もしないよう努力していた。
朝、年上の倉番が三色石の青を確認する。若い倉番が白い輪の前から古い麦袋を出す。村長の奥さんが黄色い札の日付を読み、ルカが小石を皿へ移す。
途中で豆袋の札が外れたが、倉番は僕を呼ばず、形を見て緑の札を結び直した。
「シュウさん、暇そうですね」
社長が隣へ座った。
「いいことです」
「仕事がないのに?」
「僕が帰った後に止まらないということなので」
社長は納得したような、していないような顔で頷いた。
台帳の数字は、三日続けて現物とほぼ合っていた。完全には合わない。料理中にこぼれた分、家同士で貸した分、子どもがつまみ食いした豆。けれど差が共通升一杯以内なら、村では理由を探し回らないことにした。
二日目には、若い倉番が記録を夕方まで忘れた。以前なら後から記憶で数字を埋めていただろう。今は色札が袋に残っているので、使った札だけを集めて記録できた。
三日目には、白い輪が隣の棚へ移されていなかった。ルカが古い袋を見つけ、輪の移動も袋を出した人ではなく、次に確認する人が行う形へ変えた。
小さな抜けは毎日出た。でも、そのたび人を増やしたり、長い注意書きを作ったりはしない。手元に残る札や、次の作業のついでで拾えるようにした。
「一粒まで合わせなくていいんですか」
マルクさんが最初は心配した。
「一粒を探すために一日使ったら、その方がもったいないです。次の日に差が増えたら調べましょう」
僕は紙へ、共通升一杯までを小さな波線、一杯を超えたら大きな丸で囲む決まりを書いた。数字の誤差を許すと言うと雑に聞こえるが、どこから確認するかを決めることでもある。
「毎日ぴたりと合う方が気持ちよいのですが」
「僕もです。でも、合わせるために誰かがこっそり数字を直したら、もっと分からなくなります」
マルクさんはしばらく台帳を見つめ、昨日までの不自然にきれいな数字へ薄い線を引いた。合わない日を合わないまま残す勇気も、記録には必要だった。
許してよいずれを決めると、台帳を付ける人の顔が楽になった。
余りが見えるようになると、村の女性たちが保存食作りを始めた。豆を香草と一緒に煮て壺へ詰め、根菜を薄く切って干す。傷みかけの果物は蜜で煮る。
僕も芋を切る手伝いをしたが、厚さが揃わない。
「仕事の順番は整えるのに、包丁はだめね」
リゼットが僕の芋を並べて笑った。
「切れれば同じでは」
「乾く時間が違う。厚いものだけ中が湿るわ」
僕の仕事と同じだった。結局、彼女が芋を切り、僕が干し台へ並べた。
干し台には、朝、昼、夕方の札を付けた。裏返す時刻を鐘に合わせれば、誰か一人が覚えていなくてもよい。女性たちは「そこまで札にするのか」と笑ったが、翌日には自分たちで果物用の札を増やしていた。
僕が止めようとすると、「三種類を一週間続けてから増やすのでしょう」とマルクさんの奥さんに返された。言ったことをきちんと覚えられている。
保存食の瓶には作った日と開ける目安が描かれた。字ではなく、月の形と季節の花だ。リゼットの絵が村中に増えていった。
作業場には甘い果物と香草の匂いが満ちた。子どもたちは乾く前の芋をつまみ、怒られて逃げる。食料が十日しかないと言われた村とは思えない。
ただ、量が急に増えたわけではない。使える物を見つけ、傷む前に回し、誰が何をするか決めただけだ。
夕方、マルクさんが新しい集計紙を持ってきた。
「近くの村から買う必要も、最初に考えていた半分で済みそうです。春まで、たぶん大丈夫です」
「たぶん、は残すんですね」
「シュウさんに、仮の数字を確かなように言うなと教わりましたから」
僕はそんな立派な言い方をした覚えはない。それでも、マルクさんの肩から不安が消えていた。
その夜、村の集会所で小さな食事会が開かれた。保存食に回す前の豆と野菜を使った煮込み、古い麦のパン、蜜煮の果物。僕の前には、皆より少し大きな器が置かれた。
「これは報酬ではありません」
マルクさんが念を押した。
「報酬にすると銀貨五枚には足りませんから、ただの夕食です」
皆が笑った。
食事の後、彼は一つの鉄鍵を差し出した。
「村外れに、先代の巡回保守員が使っていた小屋があります。今は空いています。街へ戻るまでの宿に、いえ、また来るときの拠点に使ってください」
「そんな大きなものは受け取れません」
「建物は村のものです。所有権を渡すわけではありません。使って、屋根が傷んだら教えてくれれば、こちらも助かります」
食事会の後、皆で小屋を見に行った。村の外れ、森へ向かう道の手前にあり、石壁へ蔦が絡んでいる。扉は重かったが、鍵を回すと素直に開いた。
中には古い寝台、作業机、冷えた暖炉があった。窓からは麦畑と穀倉の屋根が見える。埃は厚いが、雨漏りの跡はない。
巡回保守員が使っていたため、壁には魔道具の部品を掛ける釘が残り、床下には小さな保管箱もあった。灯り木魔道具社の出張所として使えるかもしれない。
「これを報酬代わりに押しつけるつもりではありません」
マルクさんは念を押した。
「空き家は傷みます。誰かが窓を開けてくれる方が村にも得なんです」
僕だけが得をする話ではないと分かり、ようやく鍵を受け取れた。
僕が断りにくい言い方を、マルクさんも覚えたらしい。
社長は、宿代を考えればありがたいと小声で言った。リゼットは、利用期限と修理負担を書いた札を付けるならよいと条件を出した。
「では、春まで。延長は相談。大きな修理は村、小さな掃除は僕たち」
僕がまとめると、マルクさんは嬉しそうに頷いた。
鍵は古く、手のひらにずしりと重かった。
現金は戻っていない。椅子も買えない。それでも、この世界で初めて、自分で開けられる扉ができた。
翌朝、村長の奥さんは旅の食料にと、見たことのない紫色の保存果実を籠いっぱい持ってきた。




