3
今回も引き続き、長めです。
蔦を回収し終えたころにちょうど鐘が鳴り、老教師は蔦を肩にかついで講義室を後にした。
煤けた床は、なぜか被害者のカノンと有志の生徒でモップ掛けをすることになった。ここまできたら皿まで食らえと自棄気味に、マリルルカも床掃除に加わった。
有志の生徒は一年生女子がふたり残ってくれている。ところが、彼女たちは黄色い声をあげてカノンを囲むばかりで、掃除をはじめる気配がない。
マリルルカは休み時間中に終わらせるため、水汲みにさっさとひとりで行く。
そうして戻ってくると、またぞろおかしな事態になっていた。
講義室の扉から、争うような声が洩れ聞こえてくる。
扉にそっと耳を寄せたマリルルカは、次第に眉間のしわを深めていった。
「――君が欲しいんだ! ぜひっ、ぜひとも」
「や、やめてくださいよぉ……僕、そんな……ていうか、あの、離してください」
「ダメだダメだ! 俺の気持ちが通じるまで、絶対離すんじゃないぞ、おまえたち!」
頭痛がする。マリルルカは頭を抱え、治療室へと回れ右してやろうかと検討した。といって、眼鏡君を置き去りにしたら、寝覚めが悪くなるのはわかりきっている。
諦めの吐息をつきながら、勢いよく扉を開けはなった。
「――――――!」
室内にいた生徒たちが、いっせいに振りむく。驚いて音にならない悲鳴が、ヒッと吸いこまれる。
マリルルカはついと顎をあげ、眼鏡君を取り囲む生徒を眺めまわした。ざっと十数人はいる。思った以上の人数がいて、内心では焦りを覚える。けれど、いまさら退けるわけがない。ぐっと下腹に力を入れた。
「あなたたち――」
怒鳴りつけようとした途端、倍の音量で男子生徒が叫んだ。
「あぅわっ、女王サマ――――っ」
マリルルカは絶句した。真っ白になった思考は次の瞬間、猛烈に回転しはじめた。
(何それ? 明らかに発音がバカにしてるじゃないのっ、どいつよ変なあだ名つけた大バカは!)
ねめつける双眸に殺気がこもる。視線だけで白状させようかという気迫に、男子生徒は震えあがった。そのめぐらせた視界の真ん中に、一年女子ふたりに腕を組まれた眼鏡君をとらえ、マリルルカは氷点下のごとき空気を漂わせた。
「……カノン、あなた、どうしたいわけ?」
「へ?」
突然お鉢がまわってきたカノンは、ぼけっとした顔で気のぬけた声を出す。
マリルルカは低く抑えた声で、言葉をつぎ足す。
「女の子とイチャついていたいのか、それともこの現状を打破したいのか」
「あ、あのもちろん後者で……」
「なら、女子の手ぐらい自分でふりほどきなさい!」
「はいぃぃっ! あのっ離してください離してくださいお願いしますホンット恐いんでっ」
拝みたおして、がっちり腕に巻きついていた女子からようやく解放されている。
カノンの嘆願には一部気になる台詞があったがひとまず横に置いておき、マリルルカはリーダー格であろう男子生徒の前につかつかと歩みよった。カノンの目前にいるのだから、つまりは迫っていたのもこの男子だろう。
五年生の男子は、年下の少女に気おされて一歩退く。
「数に頼んでなんて、情けなくはないの?」
「そ、それは……だが…」
「仮にもあなた、中等部の最高学年でしょうに。告白ぐらい、自分一人の力でしたらどうなの!」
叱りつけた途端、皆の動きが止まった。
唖然とする彼らをマリルルカが訝る前に、責められた当の男子が蒼白になって頭をふる。
「ち、違――っ、告白じゃない! 俺は女の子が好きなんだ――!」
声を大にして宣言したのを聞いて、周りが弾けたように吹きだした。カノンまで笑いをこらえてか、口を両手で押さえている。
状況がいまひとつ飲みこめないマリルルカは、当惑を通りこしてだんだん不機嫌になっていく。それをいち早く察知したカノンが、両手を大げさにふった。
「いや、あの、その人、会長さんなんです。僕を部活動に誘ってくれてたんですけど。えーと、なんだっけ……精霊、研究会?」
「ちがいますよぅ、フリクト先輩。精霊史精霊魔法探求研究同好会、でっす」
カノンの隣にいた一年女子がすかさず訂正を入れる。
無駄に長い名称に、マリルルカは目眩を覚えた。しかも、正規倶楽部ではない。学園には同好会、同人会、同盟と有象無象の非正規倶楽部が存在する。その大半が活動内容の怪しい、いわゆる「いかがわしい」か「いいかげん」な集まりだ。
胡散くさい集団がいつまでも笑い転げている状況――数人は、本当に床に伏せて笑っている――に業を煮やしたマリルルカは、軍隊の号令かという怒号を轟かせた。
「笑っている者は、全員正座――!」
よく通る声が耳を突きぬけ頭に直撃すると、会員たちは思わずすばやくひざを折った。眼鏡君も反射的に正座して小さくなる。
笑うどころではなかった会長もつられて正座していたが、思いきったように顔をあげた。
「誤解のないよう言っておくが、うちは真面目な同好会なんだ。精霊に関わることならどんな些細なことでも探求し突きつめていく、学究の徒だ。フリクトは、そんな我が会にとってまさに打ってつけの人間だと思わないか? 君も入門魔法学をとってるなら、見ただろう、フリクトが精霊にものすごく愛されているところを。しかも水だけじゃない、土もだっていうじゃないか! これはすごいことだぞ、魔力がたった〈鉄の位〉ぽっちで精霊にそこまで好かれることは滅多にない、ごくごく稀な例なんだ。これで相乗関係にある土水だけでなく、これらと相殺関係にある風火の精霊にまで好かれたとしたら……? まるで聖王国ゼア・ドゥーンや巫げき王家を擁するスフィア王国の王族みたいじゃないか?」
そこでマリルルカは、昼休みのカロニカとのやりとりを、ふと思い出した。
カロニカの素性が噂どおりなら、彼女はスフィア王家の一員ということになる。実際、双子は優秀な成績で魔法学を修め、飛び級によって大学の講義である高等魔法学をすでに受講している。真偽は定かでなくとも、カロニカが魔法に長けよく通じているのは事実だ。
それを踏まえれば、どうやら変わり種らしいカノンのことを耳にし、興味を持ったのではないだろうか。
魔法にうといマリルルカに説明をするのは、カロニカの性格上難しかったのかもしれない。講義で召喚された精霊を目の当たりにして、その存在を実感したばかりの今でさえ、カノンの特殊性はあまりピンとこないでいるのだから。
それでも、会長の口上は大言だと判断できる。一般人でも知っている魔法大国として名高い二国の王族を持ちだしたものだから、信憑性が地まで落ちたのだ。
マリルルカは胡乱な顔をするが、話に夢中になっている会長は気がつかないまま暴走していた。
「これはぜひとも研究する価値があるよ。あらゆる状況・状態での結果を分析して……気温、湿度、気象条件、それから対象の空腹時、疲労時、睡眠時…生活上の考え得るすべてで試してみないと。召喚した精霊が対象に対して、どういった行動をとるかも重要だな。対象への攻撃時の対応は絶対外せない項目だ。精神上の苦痛に対してはどうだろう。あ、できれば精霊召喚時の魔力反応も測定したいな。もしかしたらすごい発見があるかもしれない! 頼む、フリクト! そのやたら無節操に精霊に好かれそうな才能がっ、この同好会を救う! 君がいれば、倶楽部昇格の夢が叶うんだ。だから入部してくれ――!」
途中、会長が自分の世界に入りこみ、ダダ漏れとなった内容に会員たちが冷や汗を流す。マリルルカは、さもありなんと会長を見下ろした。「いかがわしい」方に決定だ。
「悲願なんだ、俺の代で絶対正規倶楽部にしたいんだっ。こんな機会はもう二度と……」
がしっと会長に両肩をつかまれたカノンは、前後にがくがくと揺らされる。だが、案外冷静に会長の手を肩からはずすと、にっこり笑った。
「お断りします」
「ど、どうしてだ」
勢いづいていた会長は、今度はカノンの二の腕をつかもうとした。その指先が届く寸前に、カノンは腰をあげてすっと下がる。手をかすめてひらりと逃げる蝶を追うように、会長は失望の眼差しを向ける。カノンは困ったように、首をかしげた。
「昨日も言ったじゃないですか~。僕、学業に専念したいんで部活動はできないです」
断り方が甘い。案の定、会長は言葉尻に食らいついてくる。
「そんなことはない! 魔法学を選択した君なら、この会の活動は必ずや学業にも」
弱々しい笑顔なんか浮かべていては埒があかないと悟れ、とカノンへ念力を送っていたマリルルカは、ハッとした。
「昨日って……あなたたち、まさか昨日路地でカノンを取り囲んでた集団?」
同好会員たちはギクッと肩を震わす。
一様に目をそらす一団のかわりに、カノンがうっとりと答える。
「そうなんですよー。あれは、マリーさんと僕の感動的な出逢いの場面でしたよね。あんまりこの皆さん方がしつこくて、さすがに身の危険を感じて恐怖心で動けなくなってた僕の前に、マリーさんが白馬の王子様か騎士様みたいに颯爽と現れて。僕、あんなに胸が高鳴ったのは初めての経験でした!」
胸が高鳴る点が、男子としては激しくずれていやしないか。いますぐ眼鏡君の乙女思考回路を叩き直したい思いに駆られつつ、マリルルカは正座集団を睥睨した。
(面倒な渦中にある私に、さらに面倒くさいお荷物を背負わせた諸悪の根元は、精霊史精霊魔法探求研究同好会だったというわけね……)
マリルルカは黒々とした気持ちで、一歩踏みだす。
その心中が洩れ出て見えているかのように、同好会員たちが戦いて後じさる。
「……大勢がひとりを取り囲んでの勧誘なんて、私刑と大差ないと思わなくて?」
マリルルカの低く抑えた声が、冷ややかに響く。唇はかすかに笑みを刻んでいるのに、双眸が無表情すぎて心胆を寒からしめる。
「そ、それは、仲間のことも知ってもらおうと……」
つっかえながらも反論した会長を、会員たちは勇者のように見た。
しかし、それはむしろ無謀だった。マリルルカの鋭い一瞥がとぶ。
「その仲間を使って、カノンが逃げられないよう捕まえていたでしょう! しかも、あなたたちは彼を仲間として迎えるんじゃない、実験動物を手に入れるのと同じ感覚だわ。それが真面目な同好会への勧誘文句だなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある」
ぐうの音もでないほどやりこめられ、会長は唇をかんでうつむいた。それでもなお、ぼそぼそと言い訳めいた言葉を口にする。
「……そんな、つもりじゃ…俺はただみんなのために、倶楽部昇格を……」
「おだまりなさい! 名誉欲だか何だか知らないけれど、そんなに倶楽部へ昇格したいのなら眼鏡君程度の小者じゃなく、〝北の塔の君〟でも勧誘すればいい」
その通り名に、皆ざわつく。
感嘆とも畏怖ともとれる吐息やささやきが、飴色の床に落ちた。
会長の大言に大言を当てつけて返しただけだったが、予想外に効力があったらしい。
ざわめきの後、しんと静まった彼らに、小者評価されたカノンが憮然としながら話しかけた。
「それじゃ、勧誘はきっぱり断られたってことで納得してくださいね、会長さん。ところで、下手な取引はしない方が賢明ですよ。釣り上げさせといて獲物だけ横取りする、なんて性悪な仕打ちをする人もいますから~」
ギョッとして後ろに反り返った正座中の会長は、勢いあまって倒れそうになるのを床に手をつき防いだ。口をぱくぱくさせるが、声にならない。尋ねるようにもすがるようにもとれる目をした会長の横を、カノンは通りすぎる。
「マリーさん、五限目始まっちゃいますよう。掃除、どうしましょうか」
カノンが会長にかけた言葉を内心訝りながらおくびにも出さず、マリルルカはずっと持っていたバケツを乱暴に置いた。
中の水がバケツに沿って波うち、波頭の滴が数滴、床に散る。けれど気にせず昂然と顔をあげたマリルルカは、項垂れる生徒たちを睥睨して尊大に言い放つ。
「もちろん、暇な方たちがしてくださるわ。私たちの貴重な休み時間を割いて、お相手してさしあげたのだから」
迷いなく踵をかえして教科書などの道具一式を抱えると、マリルルカはカノンを従えて風のように講義室を後にした。




