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ちょっと長め、かな。
4000文字前後を基準にしています。一応。
「じゃあ、フリクト君。補足して」
そんな異様な雰囲気の中、次に当てられたのは隣の眼鏡君だった。
「はあ……」
カノンが気のぬけた返事をして起立する。
マリルルカはさすがに心配になって、カノンを横目で見た。
自分たちよりデノンとつきあいの長い生徒たちが、オロオロしてうまく解答できないのだ。鈍くさそうな眼鏡君なら、なおさらまともに答えられなさそうだった。
「補足しますと、性質は一般的には温厚と見なされていますが、それはこちらが友好的、あるいは関心のない態度をとっている場合のことです」
滑り出しは順調だ。ちょっと驚いて、マリルルカは目を瞠る。
ところが、カノンはさらに予想を覆した。
「水を司るというからには、もちろん水の形態が性質に影響します。気体、液体、固体と温度による変化で大きく状態が変わる。また液体においても風によってさざ波が起き、強ければ高波になります。水はただ在るだけならば穏やかですが、働きかける力に左右されやすい。そのため敵意を向ければ、反撃は予想以上に苛烈なこともあります。これは個々の精霊の性格でまた変わってくることですが。魔法範囲については、通常では水場に限定されますが、これでは使い勝手がよくありません。水がない場所では、魔水を持ちこむという手もありますが、中級以上の魔法を使え素質を持つ者なら、事前に精霊と契約しておくのが一番手っとり早い方法です。魔法指向については攻撃・防御共にこなせますが、幻惑の魔法は他の元素より突出しています。伝承や民話から鑑みても、怪異に水が関わっていることは多く、代表的な語りの題材として船乗りを惑わすなどが挙げられます。男を幻惑するため、女性形態の精霊が多いという説もあるようです。それから、高度な結界をはる場合はやはり水場でなければ耐久時間が心許ないので、場合によっては防御方面の魔法は他より劣ります」
よどみのない淡々とした口調で、教科書もノートも見ずにそらで答えた。マリルルカは驚きすぎてポカンとする。
「よろしい。それでは、今日は土の精霊について講義する。教科書五十三ページから読んで、ドーチェ君」
デノンが満足げにうなずき、講義を進める。カノンは脱力したように、ふらふらと腰をおろした。
マリルルカは眼鏡君を多少見なおした。
(鈍くさいばっかりかと思っていたけれど、意外とできるところもあるのね)
だが、上がった評価は講義が終わりに近づくころ、再び変わる。
懐中時計で時間を確かめたデノンが、ふいに教科書を閉じて提案した。
「さて、講義はここまでにして。諸君、実験をしようか?」
わっと生徒たちから歓声があがる。なぜかマリルルカの隣からだけは、蛙がつぶれたようなうめき声がする。
不審に思う間もなく、デノン先生は好々爺の笑顔全開で名指しした。
「フリクト君。こっち」
教壇から降りつつ、扉前の机のない開けた場所へカノンを呼びつける。カノンは泡を食いながら、首を横にふった。
「ま、前の講義の時も、僕がやったじゃないですか?」
声が裏返っている。しかし、老教師は心動かされる様子は微塵もない。鼻歌でも歌い出しそうにご機嫌なばかりだ。
「だって君、結果がおもしろいんだよ。なあ、みんな」
教室中から拍手が起きる。恐い老教師にうながされたからではなく、生徒たち自身が楽しみにしているようだ。
彼らの期待に圧されて、カノンはしぶしぶ立ち上がった。
「……マリーさん。もしもの時は、骨拾ってくださいね……」
縁起でもないことを言い残していく。マリルルカは訳がわからないまま、眼鏡君の背を見送った。
肩を落として前に立ったカノンを、デノン先生は思案深げに見つめてのたまった。
「今回は火の精霊にしよう」
その言葉に、教室のあちこちからギョッと息をのむ音がする。
何より一番反応したのは、老教師の目前のカノンだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください! おかしいですよっ、土の精霊の講義をしたのに、何で火なんですか? だいたい、前回みたいなことになったら、火の精霊なんて洒落になりません。僕を丸焼きにするつもりですか!」
「だがしかし、水の精霊にあれだけ好かれていれば、往々にして火の精霊とは相性が悪いものだ。逆に今回は召喚失敗という結果も考えられる」
「推測でしょ、それ! 絶対安全とは言い切れないんでしょ!」
「む、私が信用できないのかね、フリクト君」
「できませんっ。あんな目にあわせておいて、信用なんて無茶な要求しないでください」
老教師と眼鏡君がにらみあう。
その沈黙の中において、生徒間ではなんとも言えない同情の空気が流れた。
不穏なやりとりに痺れを切らしたマリルルカは、後席を振りかえる。
「いったい何があったの」
後席の女生徒はちょっとびっくりしたように瞬いてから、耳打ちしてくれた。
「おとといの講義でね、水の精霊のことを習ったから、今日みたいにデノン先生が精霊召喚で実物を見せてくれるって言ったの。それで、生徒の資質を見るのも兼ねてフリクト先輩が当てられたのね。転入生ってこともあって印象に残ってたんだと思うけど。そしたらさあ……」
彼女が教えてくれたところによると、精霊との相性を判断するために生徒の魔力を餌として、精霊を召喚する魔法を使ったらしい。水の前の講義でも火の精霊を召喚したそうだが、そのときは本当に小さな、精霊というより妖精といった可愛らしいのが現れた。
ところが、カノンの時は様相がまったく違ったのだ。
「完全に等身大の、すんごい美女が召喚されたのね。それだけでも唖然としたけど、美女精霊がフリクト先輩に抱きついて押し倒しちゃって……あのときは目のやり場にホント困ったわぁ。というか、目を皿にして見ちゃったけど」
マリルルカが半眼で見ると、女生徒はあわてて続けた。
「まあ、すぐに先生が精霊を追い返したんだけどね。でも抱きしめられてたから、びしょぬれの先輩が後に残っちゃったのよね」
お気の毒、と締めくくられる。
マリルルカは納得しつつ礼を言った。それなら、火だるまになる心配もするだろう。
話を聞いているうちに、老教師と眼鏡君の攻防にも終止符が打たれていた。
デノン先生が長く息を吐く。
「わかった。安全を優先しよう。土の精霊を召喚する」
結局、デノンが折れた。命がかかっていたカノンの必死の抗議が勝利したのだ。
デノンは胸の隠しから緑のチョークを取りだすと、床に片ひざをついた。迷いのない動きで二重円を描き、魔法文字を書きこんでいく。
最後の一文字を記すと、立ち上がり一歩退いた。簡易形だが、ものの数分で魔法陣を完成させた老教師は、その中央へカノンをうながした。カノンは口の端に力を入れながら、そろそろと足を踏み入れる。
そこで、マリルルカの脳裡にはたと疑問がわきあがる。
「学園都市内は魔法が禁じられてるんじゃなかったかしら」
再びこっそり尋ねると、後ろの席の彼女は気持ちよく答えてくれた。
「うん。だけど、魔法学を教える先生は結界の力を中和する魔道具を持ってるの。私たちにも、実技の時は魔道具のコインを貸し出してくれるって」
そのときが早く来ないかと夢見るように楽しそうな表情で笑う。マリルルカも微笑むと女生徒ははにかんでいたが、すぐに「あ、ほら見て!」と前方を指さす。
「――――地王の御力に名を連ねし数多の地霊よ。陣の中に在る人の子に相応しき力をそなえた者よ。我が招請に応えたまえ」
呪文が唱えられ、魔法陣が光を発する。一瞬、瞳を灼くような強い白光を放った後、やわらかな若草色の光が陣の中を満たす。
それだけでも魔法に馴染みのないマリルルカには刺激的だったが、次に起こったことには心臓が止まるぐらい衝撃を受けた。
さまざまな植物の芽が床から頭を出し、すごい早さで育っていく。中でもカノンの前に生えた蔦はぐんぐんと伸び、あっという間に彼の背と変わらない高さになった。
そして蔦は緑の衣を突然脱ぎ捨てたように、女性の姿をとった。うねる新緑の髪、金色の瞳に琥珀色の肌。鮮やかな色彩と人にはありえない美しく整った造作、豊穣の大地を思わせる肉感的な曲線を描く身体は、誰の目も釘付けにする。
「……こんにちは、地の貴婦人」
ふるえる声が、水を打ったように静まった教室に響いた。生徒の幾人かが生唾を飲む。
{あなたが?}
挨拶をした眼鏡少年を、土の精霊が不思議そうに見つめる。けれど、さっと表情が変わり、まろやかな腕が伸ばされる。精霊の喜色にあふれた全身が、細い少年を包みこむ。
「わっ! ちょっ、待っ、ま……って、どこ触ってンですか――――!?」
やわらかく弾力のある胸の中に閉じこめられた眼鏡君が奇声をあげる。じたばたともがくが、女の細腕でも精霊だけあってはねのけられない。周囲に育った植物がゆらゆらと揺れて、まるで檻のように精霊とカノンを取りまきはじめた。
「おっと、いかん」
デノンが壁に立てかけてあった杖を手にすると、魔法陣内部に投げ入れて突き立てた。そして、手印を組む。
「其れは、人の子の形代なり。地王眷属がエリューシオの名において、この地に在らざる精霊よ、疾く去れ。大気に遊ぶ炎霊よ、精霊世界に開く路を断ち、扉を燃やし尽くせ」
カノンを捕らえていた精霊が、植物とともに床へ引きずりこまれていく。名残惜しげにカノンへ向けられたその指先まで沈むと、描かれた魔法陣上を炎が走った。一瞬火花を散らせると、魔法陣があった場所には煤けた跡だけが残っていた。
腰が抜けたようにして、眼鏡君が座りこむ。彼の身体は、いたるところに蔦がからみつき、がんじがらめになっていた。そのうえ、蔦は大きな黄色い花をたくさん咲かせていた。
老教師は、その惨状を物珍しそうに観察している。
「花人形みたいだねえ、それ。しかし、またもや中級魔法陣で呼び出せる最高位の精霊が現れるとはなあ。君、本当に魔力は〈鉄の位〉なの? だとしたら、よく今まで無事に親元で暮らせたもんだ」
〈鉄の位〉とは、魔力等級の四番目にあたり、魔法使いとしては呪い師か辻占師になれるのがせいぜいの魔力だ。ちなみに、マリルルカも〈鉄の位〉である。
感慨深げなデノンを、カノンが泣きそうになりながらもキッとにらみつけた。
「何、呑気なこと仰ってるんですかー! 安全優先とか言ったくせに、僕、結局ひどい目にあってるじゃないですかっ」
「うーむ、確かにさらわれかけたが、ちゃんと守ったじゃないか。君の身代わりにした杖、教練用とはいっても良いものなんだぞ。はっきり言うと、高価い。弁償しなきゃならんかと考えると、私の方が泣きそうだ」
「自業自得でしょうが。それよりこの蔦とれませんよ、どうにかしてください!」
ほとんど悲鳴に近い訴えを聞き入れて、デノンは生徒数人に手伝わせて蔦をはぎとった。最前列の席にいたマリルルカも当然のごとく、である。
打ちひしがれるカノンにからみついた蔦を引っぱりながら、マリルルカはなんと声をかけたらいいか少し悩む。
「……えー…と。その、大丈夫?」
ちっとも大丈夫そうじゃないが。
案の定、カノンは自由になった両手を床について、ガクリと項垂れた。
「…………お尻、なでられましたぁー……」
「………………」
マリルルカは半眼になる。さらわれかけたのに、こぼすのはそこか、と。
しかも男子として、女子に気遣われ返す台詞にそれはない。たとえ事実であったとしてもだ。
ちょっと見直されていた眼鏡君の評価は、きっぱり「情けない」に決定した。




