薔薇の子の証
〝赤月の矢〟の襲撃から三日後、マリルルカは学園を去った。
誕生日が目前に迫っていた。貴族庁へすでに書類は提出済みなので、十六歳になって成人と認められれば、自動的に後継者からカラヴェイン伯爵へと貴族簿が書き換えられる。
国にいなくとも爵位継承が為されるわけだが、ストリア国の慣習で継承権を有する身内が集まり、新当主を認めるか否かの話し合いの場が持たれる。これはいわば新当主を祝う宴席の前座で、形だけの決議をとった後は盛大なパーティが催される。カラヴェイン邸では暗殺騒動があったためパーティは開催せず、身内のみの食事会といった体裁をとることとなった。
その新当主祝いの場にいる血縁者は、叔母エイミリカだけである。
捕縛された〝赤月の矢〟の子飼いが白状し、マリルルカの暗殺を依頼したのが、アシュレーの二番目の姉でありリーチェドの母であるシジュキアだったことが発覚していた。彼女はストリア国兵士に拘束されたという。その悲報を聞いて、一番目と四番目の叔母は寝込んでしまったそうだ。それゆえ、たったひとり、三番目の叔母だけが出席と相成った。
他に出席したのは管財人ラングレー・ダビトン、後見人ギルバード・ヴィオーダ将軍、護衛のカノファーン・ディレイスだ。
「それでは、マリルルカ・エヴィンがカラヴェイン家の新しき当主にふさわしいか、決を採りたいと存じます。皆さま、挙手でよろしくお願いします。マリルルカを当主とすることに異義がある方!」
管財人が司会を務めて進行する。
まず否決をとるが、このときに否やが出ることはなく、次の可決により満場一致で拍手のうちに祝いの席に移行するのが通例だ。ところが、否と訴える手があがった。
「……や、これは、どういうことで?」
「認められない、と申しあげています」
挙手したのは、エイミリカだ。
「伯爵家を存続させるためには、もちろん当主が必要ですわ。けれど、それが彼女に務まるか甚だ疑問です。カラヴェイン伯爵は薔薇男爵で呼び慕われる。果たして彼女に、新品種を作出し、薔薇男爵を叙される力がありましょうや。学園では薔薇栽培について学んでいるようですが、伯爵家に勝る知識と施設が他にあるはずがございません。わかっていて愚かな選択をしたと私には見えます。伯爵家を愛せず、薔薇の子の証を持たないあなたは、当主にふさわしくない」
淡々と語るエイミリカに、将軍が渋い顔をする。
「若いマリルルカに、最初から求めすぎちゃいないかね。それに、伯爵位に薔薇男爵は関係ないだろう。たまたま、ここ三代続けて当主が叙されたってだけの話だ。証だって、アシュレーから受け継いだ指輪があった。盗まれてしまったがな」
「盗難に遭うこと自体、後継者としての自覚が足りなかった証左ではございませんか?」
「おいおい、無茶を仰るな。エイミリカ殿」
「いいのです、ヴィオーダ将軍」
庇ってくれる将軍をマリルルカは止める。そして、叔母をまっすぐに見つめた。
「確かに、私には薔薇男爵を叙される自信はありません。伯爵家を愛せずにもいました。ですが、義務だけで薔薇栽培を学んでいたのではないのです。伯爵家の知識は観賞用の薔薇作出に偏っている。私が学園で学ぶ理由は、原料としての薔薇について知りたかったから。知っていますか、叔母様。薔薇水や薔薇精油の抽出したての素晴らしい香り。原産国のガゴサでは新鮮な薔薇水を飲食にも使うんですのよ。幼い頃、祖父に連れられて旅した彼の国での体験は今も鮮明に残って、私を突き動かしています。私は、ストリアで原料の薔薇を生産し、旅路によって変質する前の薔薇水や精油を自国に広めたい。それに」
マリルルカはそこでいったん言葉を切る。
そして、服の下につけていたペンダントを外し、銀鎖に通していた指輪をとって左手の人さし指にはめた。
「薔薇の子の証は、持っています」
指輪をはめた手を机上に差しだす。
銀の輪は女性らしい繊細な意匠、台座を飾るのは薔薇水晶で、内包された薔薇は〝マリルルカ〟。女王陛下の薔薇だ。
「父は十二年前、〝マリルルカ〟を作出した際にこの指輪をつくり、将軍に預かってもらったそうです。将軍からこれを受け取ったとき、父の愛情が確かに私にもそそがれていたのだと実感しました。これから父を愛するように、伯爵家も愛していきましょう。叔母様、これでも認めてもらえませんか」
「………………」
「認めて、返していただきたいのです。―――父母の形見を」
「……何を言っているのかしら?」
エイミリカは変わらず淡々と返す。
カノンが席を立ち、マリルルカの横に控えた。
「あんたは指輪盗難を、仲介者にうまく交渉して、姉の仕業に見せかけようとしたんだろう? だが、あいにく〝赤月の矢〟は学園にいた子飼いから足がついて、とっくに仲介のポードル男爵まで捜査の手が及んでる。指輪盗難を依頼したのがあんただということも、昨夜判明した。だから、姉から預かったって言い逃れはできないぜ。それでも返さないって?」
沈黙するエイミリカに、カノンは最後通告をする。
「じゃあ、勝手にさせてもらおう」
そう言ってカノンが部屋へ呼び入れたのは、〝赤月の矢〟の捜査を担当しているストリア国の兵士だった。
「失礼いたします。間に合ったようですね」
カノンが笑顔で迎えると、簡単に挨拶を済ませた兵士が恭しく両手で小箱を差し出した。
「カノン殿がおっしゃったように、そちらのエイミリカ様の邸で発見されました。しかし、我々ではすぐさま魔法の封じを破ることができず、そのまま持ってまいりましたが……」
兵士が箱に視線を落として示す。箱は、魔法文字の刺繍された絹に包まれていた。
「このままでは開けられません。宮廷魔法士に連絡して、封印を解かせましょうか?」
「いや、いい。──炎帝の臣ヴィルヒト。其の炎をもって、封印布を焼き尽くせ」
前置きもなしに、カノンが炎霊魔法を使う。
生まれた炎は絹のみを燃やし、中身も兵士の手も煤に汚れることさえない。
とはいえ、箱を取り落とさなかった兵士はたいしたものだった。驚愕のあまり固まってしまっただけとも言えたが。
棒立ちしている兵士が持つ箱に、カノンの手が伸びてふたを開ける。箱の中には元はマリルルカの父の、そして母から娘へ譲られた薔薇水晶の指輪が収められていた。
「マリルルカ、指輪を呼べ」
うながされてマリルルカはうなずき、手を組みあわせて祈る。
左手の中指に寄り集まるように銀の煌めきが舞った。それは急速に形を成して、中指を飾る。水晶の中では、やわらかな薄紅色の薔薇が咲き誇っていた。
「この指輪は、すでにマリルルカのものだ」
カノンが宣言すると、エイミリカは表情ひとつ変えずに首をふった。
「それは、わたくしのものです」
その言葉は、あまりにも静かに響いた。
マリルルカは形見の指輪が盗まれる前に見た、いくつかの夢を思い出す。
母エリカが心酔していた令嬢は、その聡明さのために弟がいるにも関わらず伯爵家の後継者と見なされている節もあった。その弟が薔薇を敬遠して異国へ留学したことがあったから、なおさらである。けれども、彼女本人は弟を立てつづけた。
『エリカ。ここは賢き女王陛下のお治めになる国だけれど、それでも女性の身でできることは未だ少ないわね。ときどき、男児に生まれていればと考えることもあるわ。だからでしょうね。わたくしは、自らが果たせない願いをアシュレーに託しているの。薔薇を愛する我が家を、そうやって守り続けていくわ。薔薇男爵と親しまれるカラヴェイン家が、愛おしいから』
―――令嬢とその弟と、侍女エリカ。三人がそろう幸せな夢は、アシュレーとエリカが結ばれたことで、最後に壊れてしまった。令嬢は、跡取りたる弟が恋にうつつを抜かし、薔薇から遠ざかろうとするのを許さなかった。マリルルカの父母を出逢わせたのも、引き裂いたのも、エリカと似た名前を持つ伯爵家令嬢――エイミリカだった。
「アシュレーはわたくしのものでした。――エリカさえ、いなければ」
エイミリカがマリルルカを見る。その眼差しは、愛おしむようでも憎悪するようでもあった。
常に泰然とした彼女が露わにした激情を、マリルルカはただ黙って受けとめることしかできなかった。
* * *
爵位継承した翌日、女王陛下との謁見の仕度をしていたマリルルカは、カノンが邸を去ったことをセーラから聞かされた。
「――そう。行ってしまったのね……」
挨拶もなしなんて、と口をとがらせたいような気分だったが、彼らしい気もした。
ふとマリルルカは、セーラに叱られるのを予想しながら言ってみた。
「いつか再会したとき、今度は私が彼を夢中にさせるような〝いい女〟を目指そうかと思うのだけれど。どうかしら?」
「……そうなさいませ」
予想に反して、セーラはうなずいた。珍しく満面の笑顔を浮かべて。
マリルルカもつられて、花が咲くように笑った。
終わり。
ということで、
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
無事、引越作業を終えることができたのは、
読んでくださっていた方々のおかげです。
本当に励みになりました!
あとがきを書いたのですが、長くなってしまいましたので、
あとがきページを作ることにしました。
よろしければ、次ページもご覧くださいませ。




