3
なくされた形見の指輪について内密で、話したいことあり。
マリー・カートン嬢ひとりで夕食後、学園西の森まで来られたし。
こう記されたノートの切れ端が戸棚の扉の隙間に挟まれていたのは、嫌がらせの犯人が判明してから一週間後のことだ。
これを見たカノンは、人の悪い笑みを浮かべた。
「指輪、か。決まりですね」
マリルルカは薔薇水晶の指輪を盗まれてから、周囲の人々に「形見をなくしたの」と明かし、打ちひしがれていた。人々は同情して励まし、形見がなんだったのかを尋ねたが、マリルルカはうなだれるばかりでそれ以上語ることをしなかった。
カノンの作戦である。それは的を射たらしい。わざわざ指輪と指定した呼び出しだ。悪戯でなく〝赤月の矢〟の仕業である可能性は高い。すると、この呼び出しは学園で暗殺を決行しようと敵が腹を決めた証なのだ。
マリルルカは呼び出しに従い、奇しくもリーチェドの悪事が暴かれた西の森に再び足を運んだ。
ひとりで来いという誘い文句には従う義理はないと、護衛に瓶底眼鏡の友人を伴う。嫌がらせ犯についてあの場にいた全員が沈黙した手前、ザッツとカノンの護衛はまだ続いていたので自然な流れには違いない。セーラは伯爵邸襲撃で守り手だとバレているため、暗殺者に警戒をさせないよう別動隊へ配置されていた。
空は淡い藍色に染まり、森にはすでに闇の帳がおりている。手提げの洋燈をさげ、夜闇に支配された森の道を行く。
炎が照らすのは心許ないほど狭い範囲だ。すぐそこの暗闇に潜むものの正体は杳としてしれない。ときどき梢や下生えが音を立てると、心臓がひやりとする。
マリルルカは、合図を送られたので隣へ話しかけた。
「誰もいないわね」
「そうですねー。戻りましょうかー」
いかにも怖々といったふうに声を震わせた返答だったが、表情が裏切っていた。
眼鏡少年の口許が不敵に笑む。
その笑みを消して踵を返すと、素っ頓狂な声をあげる。
「あれっ? ザッツさん?」
遅れてふりむいたマリルルカは、後方にザッツの姿を認めて口中でうめく。
知らされてはいたが、真実を正面から突きつけられるのは、やはり辛かった。
「カノン、なんだってこんな所までマリーを連れだしたんだ! 階段を突き落とされまでしたんだぞ、嫌がらせがやんでるからって不用心すぎる。出かけていくのに気づいてよかった。さあ、マリー。帰ろう」
ザッツは、カノンには任せておけないというようにマリルルカの隣に陣どる。そしてマリルルカの手を取ろうとして、逆にカノンに手首を押さえられた。
「やめてくださいよ。そんな毒の牙を持った手でマリーさんに触れるのは」
言うやいなや手首をひねりあげると、ザッツの手から金属の牙がふたつ付いた小さな木片が滑り落ちる。ザッツの顔が醜くゆがんだ。
「……貴様っ」
「指輪をどうしました?」
「知らないな!」
ザッツが怒鳴ると同時に、彼ら目がけて氷の矢が飛来する。カノンは手を放し、マリルルカを庇いながら横へすばやく退いた。
ザッツはその隙に大きく飛びすさり、距離をとる。
「攻撃の痕跡を残す魔法は控えろ!」
「威嚇だ。それともおまえも仲良く一緒に溺死するか?」
森の中から黒ずくめの男が現れた。顔も黒い布でほとんど覆われ、人相を隠している。
「他の奴らは?」
「わからん。だが、おまえと俺で十分だろう。相手は丸腰だ」
確認を取りあう凶手を見据えつつ、カノンはマリルルカに洋燈を持たせて背に庇った。眼鏡に指をかけて位置を直す。
「へえ、黒ずくめさんは中和の魔法具を持ってるんですか。それも僕たちを溺死させられるほどの魔法を行使できる、と。学園に巣くってるだけあって、よく勉強してますね」
「森の奥に貯水池がある。おまえらは足を滑らせ、池に沈む。事故死だ」
抑揚のない口調で宣言すると、男は低く唸るように呪文を唱え始める。高位の水霊魔法らしく詠唱に時間がかかるようだ。その隙に逃げられないよう、ザッツが隠し持っていた投げナイフを構える。
逃走を封じられて、なおカノンは笑った。
「冗談。謹んで遠慮するよ」
カノンが眼鏡を外し、瓶底レンズに口づける。
寄り添っていたマリルルカは、カノンの唇がささやくのを見た。一瞬、よく似た光景を思いだしかけ、しかしそれは眼前で起こった驚異に塗り替えられる。
ザッツがわずかに身じろぎしてうめく。
「貴様、いったい……」
瞬きする間に、平々凡々としたカノンの容貌は消えた。褪せた髪は黄金に、地味な榛の瞳は金混じりの深紅に色を変えたのだ。顔だちこそほとんど変わってないようだが、なぜこれほどの美貌に気づかなかったかが不思議である。
マリルルカはあえぐようにして、異彩を放つ美貌の少年に呼びかけた。
「……ディグナ……?」
「残念だけど、ディグナも眼鏡君と同じ偽装だ。文句は後で受けつけるから、今はおとなしくしててくれ」
答えながら、右手に手妻のごとく魔法石を数個持ち出す。その小さな珠を、指弾ですばやく周囲の地面に撃ちこんだ。この間、一呼吸もかかっていない。
あまりの速さに後れをとったザッツが、睨めつけながらその行為の真意を糺す。
「何をした!」
「光神。結界の無効化を。光散陣」
返事のかわりに右手にひとつ残った魔法石を掲げてみせ、簡易呪文を唱えた。
右手の珠が光を放つ。それに呼応するように地の珠も光を放って、一瞬で光の円を描く。円の中の地表が淡い光で満たされた。
ザッツが眼前の光景に愕然としている隙に、カノンはズボンのベルトに挟んであった短い棒を引き抜いた。よく見れば、刀身を取り外した剣の柄だ。
「炎帝の臣、ヴィルヒト。我が名と血による盟約を果たせ。〝坐神の虚〟に招請する」
言い終えた途端、魔法石がすべて砕け散った。
カノンが光の余韻に目を細める。
「ちっ。やっぱり限度は一回こっきりか」
{って、コラー! 無視すんじゃねーよ。毎回毎回あんなおおざっぱな召喚に応えてやってんだから、まず挨拶しろ――!}
「よお、久しぶり」
{だから、なんでそう適当なんだ!!}
わめく大剣――炎霊が変じた刀身が、ふいにカノンの眼前で構えられた。飛来したナイフを弾く。
投げナイフに対処したことでがら空きになった胸から下の部分へ、短剣の切っ先が切りこんでくる。
「……おっと。もう遅いよ、ザッツ」
「……っ! くそっ」
切り結んで、カノンとザッツがにらみあう。
ザッツがしかけた攻撃は遅きに失した。なまじっか、溺死を装うために切り傷をつけまいと威嚇だけにとどめたのが仇となった。精霊召喚は迅速に、魔法陣も書かないようなでたらめな召喚魔法と簡略化された呪文で為されてしまったのだ。
剣で押し合っていたザッツは、ハッとなって飛びのく。
短剣が急速に熱を持ち、手からこぼれ落ちる。落ちた短剣の刀身が、次の瞬間赤く輝き炎を吹いた。
「…………そうか。貴様が、炎剣か」
ザッツは火傷した右手を左手で庇うようにして、カノンを憎々しげに見やる。
「精霊相手に、ふつうの武器は分が悪い。だが―――」
ニヤリと暗い笑みが閃く。
同時に、黒ずくめの男が呪文を唱え終えた。
「水霊エレンティア! 契約の力を示して、ふたりをその腕に抱きたまえ、水柱牢!」
マリルルカとカノンを飲みこもうと、水の精霊たちが渦を巻いて集まる。水霊たちは水柱を瞬く間に形成していった。




