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震えでうまく動かない指が、懸命に襟首の中を這う。
だが、ペンダントの鎖は指先に引っかからなかった。制服を手で押さえてみたが、異物の感触はない。
「カートンさん。お友達が来てくれたわよ」
女医が声をかけてからカーテンを開く。
マリルルカは無意識に反応して、音がした方へ視線をやった。
女医がギョッとして、マリルルカに駆け寄る。
「ちょっと、どうしたの。どこか急に痛んできた? それとも吐き気がするの? あなたも頭を打ったんじゃないの?」
矢継ぎ早の質問に、マリルルカは弱々しく首をふる。その顔色は蒼白だった。呼気を乱し、涙を流しながら震えている。ただごとではないと医者でなくともわかるほど、マリルルカの様子はおかしい。
とりあえず寝台に移そうとする女医を押しのけたのは、後ろで控えていた少女だった。
「マリー様、どうしました」
「……セー、ラ」
沈着冷静な表情と声が、マリルルカから親友の名を絞りださせた。そうすることで息を吐きだすことができたマリルルカは、次には激しく息切れして呼吸を荒くした。セーラは肩を抱いてマリルルカを支える。
「大丈夫です、マリー様。息をゆっくりと長く吐いて。そうです。大丈夫。吸うより吐くのを意識してください」
呼吸を整えることで、のどの奥につまっていた声を出すことが出きるようになる。マリルルカは必死になって、セーラに訴えた。
「……セーラ、セーラ! カノンが、怪我して……ザッツが……っ。……形見もないの。どこにも、ないの……!」
「カノンさんもザッツさんも大丈夫です。形見は……形見がなくなったことに気づいたのは、いつですか」
「たった今、よ……」
そうですか、とセーラはうなずいて考えこむ。
ふたりを呆気にとられて見ていた女医が、安堵したように肩をすくめた。
「とりあえず、平気そうね。形見をなくしたの? 最近、なくしものが多いらしいけれど。落としたのかしら。探しにいく?」
「でも、ザッツが」
マリルルカが泣き顔のまま見上げると、女医は胸をどんとたたいて請け負った。
「まかせなさい。ちゃんと私が看ているわ。それに、さっきも言ったでしょ。彼は大丈夫だって。それより、形見だっていうぐらいだもの。大事なものなんでしょう? 気になるなら探した方がいいわよ。そのかわり、体調がおかしくなったら、すぐここに来てちょうだい。もちろんファストーさんが付きそうんでしょ、気をつけてあげてね」
「はい。マリー様、探しにいきますか」
居てもたってもいられなくなって、マリルルカは立ち上がる。深く頭を下げた。
「ザッツをお願いします。ザッツ、ごめんなさい。また戻ってくるから……」
去りがたい気持ちをふりきって、治療室を退出した。
まずは治療室から近い事務室に、マリルルカたちは立ち寄ることにする。落とし物が届けられていないか確認するためだ。
その間に、セーラに事の経緯を尋ねられ、マリルルカは努めて冷静に、感情に支配されないよう簡潔に話した。最後に、カノンがどこかへ走っていってしまったことを告げると、セーラは眉を微かにひそめた。
「どうしたんでしょうか。およそ彼らしくもない……。マリー様を硝子片から守れたのも意外といえば意外ですけれど……」
さらりと失礼なことをつぶやいた。そのままセーラはまた考えこむようにして口をつぐむ。
ちょうど事務室へ着いたので、マリルルカはその様子に気づかなかった。
事務室での問い合わせは空振りに終わり、マリルルカたちは移動した行程を遡って形見探しをすることにした。
最初は、転落した階段の二階へ向かう。治療室からの廊下を丹念に見て回ったが捜し物はなく、一番落とした可能性が高いと思われた階段にもない。
諦めて、次は窓硝子片が降ってきた屋外へ行く。大きな欠片は片づけられて、細かな硝子片が陽光にきらきらと輝いている。しかし、その輝きの中に、薔薇水晶は見あたらない。周りにも、陽射しに輝く物は落ちていなかった。
階段から転落したときか、硝子片から庇われたときに、鎖が切れて落としたものと思っていたマリルルカはひどく落胆する。
「もう、戻ってこないのかしら」
「諦めるのはお早いですよ。特別棟の方へ行ってみましょう」
励まされ、マリルルカは蹌踉とした足取りながら通った道をたどりはじめる。そうして成果のないまま特別棟の前までやってきた。
「……とっくに五限目が始まっているわ。講義室を調べることはできないわね」
「魔法学入門で、お母さまの形見を落としても気づかないような騒ぎはありましたか」
ちょっと考えたが、首を横にふる。
「思い当たらないわ。確かだとは言えないけれど、特別棟を後にしたときには、まだちゃんと身につけていたと思うの」
記憶の曖昧さがもどかしい。なくした時がわかっていれば、捜索範囲を狭めることだってできるのだ。
ふがいなさにうなだれるマリルルカを、セーラは力強く肯定した。
「マリー様が憶えている通りだと思います。肌身に触れていた品ですもの、何も騒ぎのないときに鎖が切れたなら、その感触に気がつかないはずがありません。午前中になくす訳はございませんし、やはり一連の騒動のときが怪しいですね」
「だけど、落ちていなかったわ」
「マリー様。落としたとは限りません。あの指輪は、特別なもの。盗まれたという可能性もなきにしもあらずです」
マリルルカは驚愕する。セーラが意味深に強調した言葉に気がまわらないほど、考えてもいなかった可能性に茫然とした。
「まさか……そんな。いつ盗めたというの? それとも落とした指輪を持ち去られたと言いたいの?」
「どちらとも知れません。ですが、そうなると彼がなぜわざわざ忠告などしたのか……黙っている方が得策でしょうに。疑いの目を逸らすには稚拙な手段ですし……」
「セーラ? 何を言っているの」
不穏な空気を察して問いただす。
迷うように口をつぐんだセーラが、ふいにマリルルカの腕を引いた。
「マリー様、こちらに」
すばやく特別棟の扉の内側に姿を隠す。
セーラは人さし指を口の前で立てて沈黙を要請してから、外を慎重に窺う。
出入り口は開放されているので、外でなされている会話をマリルルカは程なく耳に拾った。
「――――…んなこと言ったって、五限目はもう始まってるんだぞっ。講義中に乱入しろって言うのか?」
「はあーそれは案外いいかもですねー。きっぱりすっぱりサボり宣言してもらってから顔を貸してもらえば、講義中の方が無用な邪魔が入らないですよね」
「無茶言わないでくれ! その講義、俺もとってるんだ。のこのこ遅刻したあげく、講義を放棄していっしょに来いと説得しろって? そんな講義妨害したら単位は絶望的だ」
「単位? あははは、単位! あなたがしたことは、そんなもので済む話じゃないじゃないですか。最低でも停学は免れませんよ」
「そんな……っ俺はそんなつもりじゃ」
会話のもう一方は誰かわからないが、一人は知っている声だ。カノンである。しかし、なにやら様子がおかしい。
マリルルカはこっそり扉の陰から外を覗こうとした。その横をさっと風が通り抜ける。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、すぐに隣にいたセーラが消えたことを知る。マリルルカはあまりの素早さに泡を食いながら、セーラの行方を目で追った。
「失礼します、カノンさん」
セーラは、扉の前方を通りすぎようとしていたカノンの背後にいた。ぴたりと寄り添い、白い手は首許にあてられている。その手に、鋭利な輝きを放つ銀が見えた。
「あなたが盗んだのですか」
「なんのことです?」
カノンが普段と変わらない口調で返す。身動きはしないが、いたって気楽な立ち姿だ。
だから、マリルルカは首筋に押しつけられた銀が何なのか、しばらく判別できなかった。だが、セーラの怖いほどの気迫が、銀の正体を刃物だと突きつけた。
「駄目、セーラ! 何してるの!?」
思わずマリルルカが飛びだす。
すると、カノンが連れていた男子学生が悲鳴をあげた。それまで眼前の成りゆきを絶句して傍観していた彼は、マリルルカの姿を認めた途端、尻餅をついて後ずさった。
「ごめんっすみません、悪かった! あんな事になるとは思わなかったんだっ。ちょっと転ばせて脅かすだけのつもりで……それだって頼まれたからで、君に恨みはないよ!」
後ずさられながら謝られて、マリルルカは目が点になる。怖じける様子に気を取られそうになったが、言葉がじわじわと浸透して意味を成す。
「あなたが、嫌がらせを……?」
犯人を前にしてマリルルカがまだ茫然としている隙に、カノンが割ってはいった。
「ああもー、コルピィ先輩でしたっけ? とりあえず行っていいですよ。ただし、五限目が終わったら、絶対に連れてきてください。人気のない場所がいいですね、さっき先輩が逃げた森で落ち合いましょう」
「また、あそこに行けって言うのか!?」
「怖がらなくていいですよ。どこにいても同じです。あなたが罪を認めず逃げれば、あの子たちは地の果てまで追いかけていきます」
ヒィィッ、と細い悲鳴をあげて、コルピィは一目散に本校舎の方へ駆け去った。
「……セーラさん。とりあえず、そちらも退いてもらえますか」
ため息混じりに頼むカノンの首に、セーラはいっそう刃物を押しつける。
「盗んだ物を出してください」
「盗んでいません。まいったなー、服を脱いで証明します?」
嫌がらせの犯人が判明した上、セーラの疑念はあまりにも突拍子なく、その行動は想像を超えたものだった。マリルルカは何をどう問いただしたらいいかわからないまま、刃物にこめられた殺気とでもいうべき迫力に動けないでいた。
だが、救い主がそばにいた。
「本当にそれぐらいにしてあげてくれ、セーラ。カノンもふざけてないで」
「……リューンさん?」
セーラの視線につられてカノンの後方を見ると、リューンが数歩離れた場所で立っていた。彼はひっそりと苦笑している。
「気配に聡いセーラが、僕に気づかないなんてね。意外なことだけれど、怒りで周りが見えてなかったのかな。カノンは嘘を言っていないよ。僕が保証する」
「知りあって二月にもならない方を、信用なさりすぎではございませんか」
「二ヶ月じゃないよ。もっと前から知っている。貴方も、そろそろ潮時じゃないですか」
カノンの方へ視線をやり、丁寧に尋ねる。
対してカノンは、乱暴な言葉遣いでぼやいた。
「……しょうがねえなぁ」
それを「勝手にしろ」と解釈したリューンが、にっこり微笑んだ。
「セーラ。僕は、僕たちは、彼が学園に来る前から知っている。僕とカロニカの保証で足りないと言うなら、僕たちの実家が保証しよう。カノンは、我が家の恩人だからね」
セーラの刃物を持った手が、自然と下へ降りていく。顔は無表情のままだったが、それは驚愕で固まってしまったためだろう。
スフィア王家の恩人であり、そして意味深に響いた名前が指し示すのは――――。
「炎剣カノン? 嘘――――!」
マリルルカの絶叫は当の本人の手によってほとんどふさがれてしまったが、十分意味は通じたのだろう。分厚い瓶底眼鏡の少年は面倒くさそうに頭を抱えてつぶやいた。
「言われると思った……」
8章、ヤツの正体が明らかになったところで終了です。
9章は、また来週~。




